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大西洋沿岸のインフォーマルマーケットとレバノン人ネットワーク|佐藤翔

2021/06/15 07:00 投稿

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  • インフォーマルマーケットから見る世界
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国際コンサルタントの佐藤翔さんによる連載「インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち」。新興国や周縁国に暮らす人々の経済活動を支える場である非正規市場(インフォーマルマーケット)の実態を地域ごとにリポートしながら、グローバル資本主義のもうひとつの姿を浮き彫りにしていきます。
今回は、旧大陸側から大西洋を渡って新大陸へ。大航海時代の欧州列強による植民地化の時代を経て、地中海東岸のレバノンからの移民ネットワークがこの1世紀あまりで拡大している中南米地域。ブラジル出身のカルロス・ゴーンやメキシコの富豪カルロス・スリムなど、国際ビジネスの表舞台でも存在感を発揮するレバノン人たちの活動が、いかに大西洋西岸のインフォーマルマーケットを牽引しているかにスポットを当てます。

佐藤翔 インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち
第6回 大西洋沿岸のインフォーマルマーケットとレバノン人ネットワーク

大西洋におけるレバノン人の存在感

 ヨーロッパ大陸、アフリカ大陸、南北アメリカ大陸をつなぐ大西洋。「大西洋革命」という表現があるように、アメリカ・西ヨーロッパにおける近代社会の成立を促したとも言える海です。東側におけるアフリカとヨーロッパ、西側における中南米諸国とアメリカ・カナダを比較すればわかるように、両岸とも南北に極端な経済格差があるため、南側の国々に巨大かつ国際性の強いインフォーマルマーケットが形成されています。

 大西洋のインフォーマルマーケットを語る際に欠かすことができないのがアラブ系移民の存在です。シリア系移民はブラジルやアルゼンチンに多く、パレスチナ系移民はチリに多いのですが、大西洋沿岸諸国において数が最も多いのはレバノン系移民です。地中海東岸に位置する中東諸国の一つであるレバノンは、古くから様々な地域に移民を出してきましたが、特に第一次世界大戦中に深刻な飢饉が発生したため、多くのレバノン人が国外へ移住しました。

 東地中海からジブラルタル海峡を越え、北に沿ってレバノンの委任統治を行っていたフランスへ、あるいは南に沿って西アフリカへ、さらに西アフリカから中南米へ、そして中南米から北米へと、大西洋全域に広がっていきました。その後も独立前後の混乱やレバノン内戦といった事件を契機に、移民は増え続けました。

 こうしてそれぞれの地に住み着いたレバノン人同士が連絡を取り合い、大西洋に一大商業ネットワークを築き上げたのです。移住したのは、20世紀前半はキリスト教徒が中心だったようですが、1943年にレバノンが仏領委任統治からの独立を果たした後は、キリスト教徒だけではなく、ムスリムの移民も増加していったようです。

 西アフリカの旧フランス植民地では、レバノン人の商人が各国経済において重要な役割を担っています。特にコートジボワールではレバノン商人の経済における影響が非常に大きいとされています。また、セネガル出身でフランス在住の弁護士ロベール・ブルジは、フランスと旧フランス植民地をつなぐ政治人脈のボスとして知られています。レバノン内戦以降は、前回取り上げたナイジェリアでもレバノン人の移民が増えていったようです。

 西アフリカ以上にレバノン人の存在感が強いのは中南米です。レバノン・シリアのゴラン高原で飲まれるマテ茶、ラテンアメリカのマーケットでよく見る水タバコは中東から中南米へはるばる旅をし、本国と交流を保ってきた証とも言えます。

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▲ブラジル・サンパウロのゲーム屋に置かれていた水タバコ。(筆者撮影)

 さて、中南米でコミュニティを形成するレバノン人の商人としての才覚としたたかさを代表する二人の人物を挙げたいと思います。一人はかつて日本の日産自動車のトップの座にあり、2019年レバノンに逃亡したカルロス・ゴーンです。ブラジル西部のロンドニア州ポルト・ヴェーリョ出身の彼は、父親がブラジル生まれのレバノン人ですし、母親も西アフリカ・ナイジェリア出身のレバノン人です。彼が述べたところによりますと、彼の父方の祖父であるビシャラ・ゴーンが、3ヶ月かけてレバノンのベイルートからブラジルに移住した、とされています。

 もう一人はメキシコの富豪であるカルロス・スリムです。「フォーブズ」紙の長者番付において、2010年から4年間、ビル・ゲイツを資産保有額で上回り、世界最高の金持ちとなったこともあります(2021年版は16位)。彼の母方の祖父はメキシコでレバノン人向けの新聞を発行し、メキシコのレバノン人コミュニティにおける有力人物でした。最近では長者番付のトップ10から外れたとはいえ、カルロス・スリムはどのようにしてビル・ゲイツを一時的にとはいえ上回る金持ちになったのでしょうか?

 その答えは彼がオーナーとなっているメキシコの通信キャリア、アメリカ・モビルにあります。1990年に民営化した際に彼によって買収されたアメリカ・モビルは、世界有数の通信キャリアであり、中南米の大半の国ではスペインのテレフォニカとともに、通信キャリア市場を二分する存在になっています。本国であるメキシコでは固定電話・携帯電話ともにほぼ独占に近いシェアを築き上げてきました。

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▲メキシコの固定電話業者Telmex。かつてはアメリカ・モビルの親会社だったが、巨大化したアメリカ・モビルに逆に買収され、カルロス・スリムが会長になった。(筆者撮影)

 国内における通話料・通信料以上に安定して大きな収入源となっているのが、アメリカのヒスパニックの本国への通話料です。アメリカのヒスパニックで最も多いのはメキシコ系ですが、アメリカからメキシコへの国際電話の通話料の精算制度は、メキシコ政府の規則上、2004年までメキシコの最大通信キャリアであるアメリカ・モビルが代表して交渉を行うことになっていました。つまり、国際通話の料金の決定権は民間企業であるアメリカ・モビルが事実上独占していたのです。

 アメリカからメキシコへのトラフィックのほうが、メキシコからアメリカへのトラフィックよりも断然多い、ここがミソです。つまり、アメリカ・モビルが通信インフラの整備に大きな投資をしなくても、発信のための通信インフラは、世界一の技術力を持つアメリカの通信キャリアが整備してくれます。しかも、アメリカのヒスパニックが増えれば増えるほど、アメリカ・モビルの収益は増大することになります。このように他の通信キャリアにはない大きな収益源をテコに、中南米各国に次々進出していったことで、アメリカ・モビルは世界有数の巨大な通信キャリアへと成長していったのです。

 レバノン本国は内戦以降、経済はあまり活発ではありませんが、彼らのように強力なビジネス・ネットワークを誇るレバノン移民を、自国経済の発展に活用しようとしています。レバノンの外務・移民省は「Lebanese Diaspora Energy」というレバノン移民のための国際イベントをアメリカやフランス、アフリカなど様々な地域で行っています。TED TalksライクのLDE Talksという、レバノン人によるレバノン人のためのプレゼンテーションコーナーなどもあるようです。

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▲Lebanese Diaspora Energyの公式サイト(出典

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▲LDE Talks(出典

 このように国際ネットワークを持つレバノン人は、中南米のインフォーマルマーケットにおいても重要な存在です。ブラジルの大きなインフォーマルマーケットでは、レバノン人が商売を行っているケースを多く目にしてきました。面白いのは、中南米におけるレバノン人のネットワークはレバノン人だけで完結した閉じたネットワークではなく、他のエスニシティに属する人々と共同経営の形を取っていることがあることです。私がブラジルのサンパウロで訪問したインフォーマルなゲームの販売店でヒアリングを行った際も、レバノン人が華僑と一緒にビジネスをしているケースを見かけました。

 さて、前回はナイジェリアという大西洋東側・ギニア湾にある国を中心に扱いました。大西洋西側の中南米諸国はGDPや一人当たり可処分所得のような表面上の数字だけを見れば対岸のアフリカよりも立派な数字ですが、いずれもインフォーマル経済が重要な役割を果たしています。インフォーマルマーケットが欧州のように一定の空間に限定されておらず、明らかにフォーマルではない要素が町中ににじみ出ているのです。これらの中でもインフォーマルマーケットの中心となっているのは地域経済大国、つまり中米の大国であるメキシコ、南米の大国であるアルゼンチン、そしてブラジルの存在です。

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▲ブラジルのストリートにあったグラフィティ。(筆者撮影)

 メキシコはアメリカという世界最大の経済大国に隣接しており、中米における人やモノのインフォーマルな流れの集約点となっているため、インフォーマルマーケットも巨大になっています。メキシコで有名なインフォーマルマーケットとして挙げられるのが首都メキシコシティのテピートと、グアダラハラのサン・フアン・デ・ディオスで、何度も「悪質市場リスト」に取り上げられています。そのほか、日本のアニメやマンガ関連のインフォーマルマーケットとしては、現地のFriki Plazaというショッピングモールチェーンが重要な役割を果たしています。

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▲メキシコのオタクビル、Friki Plaza。現地ゲーム・アニメ・マンガファンの実態を知るにはここが一番。(筆者撮影)

 アルゼンチンはこれまでに何度も債務不履行に陥ったことで有名な国です。私が現地のゲーム開発カンファレンスへ訪れた際も、銀行のATMに人々が列をなしていました。そして財政破綻の連続で自国通貨であるアルゼンチン・ペソの信用がまるでないため、街中には「カンビオ! カンビオ!(スペイン語で両替の意)」と連呼し、ヤミレートでアルゼンチン・ペソとアメリカ・ドルを交換する両替商人を多数見かけました。

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▲アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの通り。こうしたところにも行商人や両替屋が出没していた。(筆者撮影)

 さらには、暗号通貨に手を出す市民も多く、ビットコインのATMがあり、ブロックチェーンを活かしたスタートアップが多数出てきています。こうした中で、アルゼンチン最大のインフォーマルマーケットであるラ・サラディタはこの国のカオスぶりを象徴する存在です。毎度おなじみの「悪質市場レポート」によると、オーナーはアルゼンチン大統領の海外訪問に同伴し、ラ・サラディタの海外支店を作ろうとするほどの経済力を持っています。

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▲ブエノスアイレスで見つけた求人広告。「MiniGame、3Dモデラーを募集中。お支払いはUSドルかビットコインで。」(筆者撮影)

 ブラジルにおいては連邦政府、州政府、市などが様々な税金を課すため、世界一税制が複雑な国と言われています。下の表は世界銀行が発行している“Doing Business”において、1年間に従業員60人程度の企業が、法人税・消費税/売上税・源泉所得税などの税金や社会保障費を政府に収めるためにかかる手続きの時間を示したものです。ブラジルで納税に必要な作業時間は1,501時間。ご覧の通り、まともに払おうとすると、日本やアメリカのような国はおろか、ロシアやインドのようなブラジル以外のBRICs諸国と比べても桁違いの時間がかかるのです。昔は2,600時間かかったのでこれでもかなりマシになったのですが、世界銀行が集計している国の中では圧倒的な最下位です。

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▲税務作業手続にかかる時間の比較。(世界銀行“Doing Business”をもとに筆者作成)

 もっとも、これは外資系企業や中規模以上の企業についての話で、小規模の会社についてみると、ブラジルは税制が非常に簡略化されています。このため、ブラジルにはゲームも含めて優れたスタートアップがたくさんあるのに、売り上げが上がって成長フェーズに入るとアメリカなどに移転してしまうケースが後を絶たないのです。税制以外のルールも複雑なため、インフォーマルマーケットが大きくなるのも当然と言えるでしょう。


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