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今朝のメルマガは、現在先行発売中の成馬零一さんの新著『テレビドラマクロニクル 1990→2020』からのピックアップをお届けします。前回に引き続き本書の表紙を飾る女優・のんさん主演の『あまちゃん』をめぐる論考の一部を特別無料公開!
『あまちゃん』以降、現代を舞台としたドラマを描けなくなっていく朝の連続テレビドラマ小説。それは、震災以降の社会の空気とも無縁ではありませんでした。

 2000年の『池袋』がビッグバンとなり、その後、様々な場所で、ドラマに関わったスタッフや俳優が活躍するようになったように、『あまちゃん』も関わった人たちにとってビッグバンとなり、様々な作品を生み出していく。
 まずは、言わずと知れた宮藤官九郎の作品。その後、宮藤は3本の連ドラを手掛け、2019年に再び『あまちゃん』のチームと、大河ドラマ『いだてん』を執筆することになる。これらのドラマを執筆することで宮藤の作風がどう変化したかは、改めて検証する。
 次に、チーフ演出の井上剛が手掛けたドラマ。井上は『あまちゃん』で見せた映像表現をより洗練させていくことになるのだが、その方向性は過去を再現するノスタルジックな作品と現在を切り撮るドキュメンタリーテイストの作品に分かれる。つまり『あまちゃん』で過去を描いた手法と、現在を描いた手法である。

テレビのお葬式としての『トットてれび』

 前者の路線が際立っていたのが、2016年の『トットてれび』(脚本:中園ミホ)だろう。
 本作はタレントの黒柳徹子の自伝エッセイ『トットひとり』『トットチャンネル』を原作に、黒柳徹子(満島ひかり)の視点から、昭和のテレビ史を描いた作品だ。テレビ黎明期の、まだ生放送だった頃のNHKでのドラマ撮影風景や、森繁久彌(吉田鋼太郎)、坂本九(錦戸亮)、渥美清(中村獅童)、向田邦子(ミムラ)といったレジェンドたちとの邂逅が「上を向いて歩こう」などの昭和の歌謡曲にのせて描かれた。

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▲『トットてれび

 こういったテレビの黎明期や昭和の戦後芸能史を総括するドラマが増えてくるのも『あまちゃん』以降の流れだが、背景にあるのは国民的メディアとして絶大な立場にあったテレビに携わった人々や視聴者の高齢化で、テレビの時代がじわじわと終わりつつあることの現れだったのだろう。
 当時『トットてれび』を観て筆者は〝テレビのお葬式〞だと思ったのだが、その後、NHKではコメディアンの植木等や漫画家の赤塚不二夫を主人公にしたドラマが作られ、テレビ朝日でも倉本聰脚本の『やすらぎの郷』(2010年)という倉本本人をモデルにした老いた脚本家やかつての人気俳優が暮らす高級老人ホームで暮らす姿を描いた昼帯ドラマが作られる。
 同ドラマ枠では、その後も『トットてれび』と同じ、黒柳徹子の半生をドラマ化した『トットちゃん!』(2017年)や歌手の越路吹雪の半生をドラマ化した『越路吹雪物語』(2018年)といった実在する芸能人の半生を元にした自伝ドラマが作られるようになっていった。
 『あまちゃん』が放送された2013年は、NHK総合テレビジョンが開局して60年というテレビ史にとっての節目の年だったが、その年をピークにテレビは緩やかに老いはじめている。昭和の芸能史がドラマ化されるのはその流れの一環であり、この流れはもはや、避けられない。だからこそ過去の遺産の検証をしようというのが『トットてれび』だったのだろう。

『LLS』──ドキュメンタリーとしての震災ドラマ

 もう一つの重要作が単発ドラマ『LIVE!LOVE!SING! 生きて愛して歌うこと』(以下『LLS』)。本作は、4年前に福島で被災して今は神戸で暮らす高校生の朝海(石井杏奈)と恋人の教師・岡里(渡辺大和)が二人の少年と一人の少女と共に原発事故で立ち入りが制限されている福島の故郷を目指すロードムービーだ。
 脚本は『あまちゃん』と同じ2013年に、宮城県女川町に実在する女川さいがいFMを舞台にした単発ドラマ『ラジオ』(NHK)を手掛けた一色伸幸。本作は、同局でアナウンサーをしていた女子高生のブログが元になっている。
  『その街のこども』を手掛けた井上にとっては、3本目の震災ドラマだということになる。
 震災以降、NHKでは特集ドラマという形で震災を題材にしたドラマを多数手掛けている。それらの作品は実話を元にしたドキュメンタリー的な作品が多く、被災地となった土地の風景を映像として残す意味でも重要な役割を果たしている。
 この『LLS』で朝海たちが目指す故郷・富波町は架空の町だが、劇中では原発事故で立ち入り禁止となった浪江町の映像が記録されている。(1)
 面白いのはそこで朝海がお祭りの幻想を見る場面。お祭りの中で流れる「GIGつもり」の歌詞は「3・11はなかったつもり 地震も津波もないつもり 日本はひとつであるつもり それで安心な、つ・も・り」という辛辣なもので、震災の記憶が風化しつつある当時の日本の空気に対する強烈な皮肉に聞こえる。
 またお祭りの映像の中心にいるのが『あまちゃん』でいっそん(磯野心平)を演じた皆川猿時だからか、『あまちゃん』で描いた祝祭感に対する作り手自身による辛辣な批評にも見える。
 当初は前向きなものとして感じられた「震災からの復興」や「絆」という言葉に彩られた物語が、次第に空疎なものに変わっていき、震災をドラマで語ることが次第に難しくなっていく中、本作はなんとかそんな空気に抗おうとしていたのだが、『あまちゃん』や『ラジオ』に比べると、作り手の戸惑いの方が強く刻印されている。

『あまちゃん』以降の朝ドラ

 そして『あまちゃん』の成功を経て朝ドラは唯一無二の国民的コンテンツへと変っていく。『ちゅらさん』や『ちりとてちん』といった(朝ドラとしては)低視聴率ながらも、一部で熱狂的に支持されるマニアックな作品がある一方で、総体としては低迷していた朝ドラが、2010年の『ゲゲゲの女房』以降、復調した背景には様々な要因がある。
 まず何より、1日15分を週6日(2020年の『エール』からは週5日)放送するという視聴形態が、1時間の作品を決まった時間にじっくりと視聴することが難しい今の視聴者のライフスタイルに適している。加えて、毎日の録画が簡単なハードディスクレコーダーやネット配信が普及したことで、全話を観ることが簡単になり、リアルタイムで観逃しても隙間時間で楽しむこともできる。特に朝ドラはBSの再放送も含めると1日に4回放送されるので、逆に作り手にとっては、全話が有機的につながった話を書くこともできる。朝ドラは短い話の連鎖によって半年間放送にわたって放送される長尺ドラマだが、展開によっては、いくらでも面白いことができる。そんな放送形態そのものの面白さが再発見されたのが、この10年だった。
 脚本家も、『ジョゼと虎と魚たち』(2003年)や『天然コケッコー』(2007年)といった映画の脚本が高く評価されていた渡辺あやが『カーネーション』(2011〜12年)を書いたり、ドラマ『家政婦のミタ』で高視聴率を獲得した遊川和彦がアンチ朝ドラとでも言うような『純と愛』(2012〜13年)を書くなど、NHKと縁遠そうな書き手を積極的に起用。その最たる作品が宮藤官九郎の『あまちゃん』だった。長い間、朝ドラのネックとなっていた優等生的なヒロイン像も年々、更新されており、様々なヒロインが生まれている。男性が主人公の『マッサン』や『エール』といった作品も作られており「朝ドラだから優等生的なヒロインでなくてはならない」という枷はなくなりつつあると言えるだろう。
 そうなると脚本家にとっては、民放の連ドラよりも自由に作家性を発露できる場所となっている。もちろん完全に枷がなくなったわけではない。『ゲゲゲの女房』以降、Twitterにイラストや感想が多数つぶやかれるようになった朝ドラだが、それは逆に視聴者の感想や求めるものが可視化されてしまうという側面もある。
 そんな視聴者のつぶやきに現れる反応を逆算的に考えて作品を作り出しはじめているのが近年の傾向だ。
  「朝ドラあるある」や作品のツッコミどころをあえて提示し、それを作り手と受け手が共有して楽しむといった共犯関係は、近年より強まっている。

現代が描けなくなった朝ドラ

 同時に、黎明期ゆえの何でもあり感は一段落したと言えるだろう。もちろん『半分、青い。』のような意欲作は今でも時々生まれているのだが、同作は良くも悪くも北川悦吏子のカラーが強い作品で、『純と愛』と同様、ベテラン脚本家が作家性で押し切ったことで視聴者が不愉快に感じる描写も忖度せずに描ききることができた異色作だと言える。だがこれは、あくまで例外である。
 今の朝ドラが、脚本と映像のアベレージが高く、優秀な若手俳優が頭角を現す興行の場として、日本で一番であることは間違いない。
 しかし、新しいものが続々と生まれる勢いは『あまちゃん』をピークに後退しており、かつてとは違う意味で保守化している。
 これは現代を舞台にしたドラマが作られなくなっていることとも関連している。2010年代の朝ドラで批判的に語られた朝ドラは『純と愛』『まれ』『半分、青い。』の3作だが、どれも放送当時と時代が近い現代(昭和末〜平成)を舞台にした作品だった。つまり『あまちゃん』を除くと、現代モノの朝ドラはあまり好意的に受け止められなかったのだが、そもそも現代が、朝ドラの舞台として描きにくい場所だからだろう。それはもちろん震災以降の空気とも無関係ではない。

誰も傷つかない優しい世界

 江戸末期から物語がスタートする朝ドラ『あさが来た』(2015〜16年)の脚本家・大森美香にインタビューした際に彼女は『風のハルカ』(2005〜06年)を書いた時とは朝ドラをめぐる空気が以下のように変わったと語っている。

今の朝ドラは成功が続いているからか、以前より失敗できない雰囲気がありました。制作総指揮の佐野元彦さんからも「絶対はずせないんです」と言われましたし。(2)

 また、3・11以降に朝ドラを書く際に「時世が暗いので、見る人が明るい気持ちになって朝を迎えられるようなものを誠実に作ろう」(3)と思ったという。

三・一一以降、みんな心がナーバスになっているので「見ている人を傷つけたくない」と思いながら書いていました。嫌な気持ちになるシーンがあっても長くは続かないようにして、「明日もがんばって生きてみよう。来週の続きが気になるから、がんばってみるか」という気持ちになってもらえる物語を心がけました。(4)

 筆者は2010年代後半のテレビドラマを語る際に「誰も傷つかない優しい世界」という表現をよく用いているのだが、その始まりが『あさが来た』だったように思う。現在、お笑い第七世代と呼ばれる若いお笑い芸人たちが「人を傷つけない笑い」の担い手として注目されているが、テレビドラマではその傾向がいち早く現れていた。背景にあるのは大森が語る震災以降の空気だろう。「傷つかない表現」が求められているということは、それだけ多くの人々の神経がピリピリとしており、何がきっかけで爆発するかわからない苛立ちを抱えているからだ。おそらく『あまちゃん』と同じ2013年に放送された『半沢直樹』が、古くは野島伸司あたりから始まっている、不快で挑発的な物によって視聴者を惹きつける「露悪的表現」のピークであり、それ以降は良くも悪くも視聴者は、優しくて正しい世界を求めている。(5)
 そのためにはノイズが多くてファンタジーに徹することができない現代よりも、戦前・戦中・戦後や高度経済成長期の日本のような過去を舞台にした方が描きやすいのだろう。

モデルからヒントへ 史実に対する距離感

 そしてもうひとつ重要なポイントは、過去に実在した偉人の物語をベースにしているということだろう。
 例えば2019年に放送され朝ドラ100作目の記念作品となった『なつぞら』は終戦直後からスタートし、当時はまだ〝漫画映画〞と呼ばれていた戦後アニメーション草創期の歴史を下敷きにしていた。
  『なつぞら』の主人公・奥原なつ(広瀬すず)は東映動画に所属した女性アニメーターの奥山玲子がモデルとなっている。だが、この言い方は正確ではない。公式にはモデルではなく「ヒントになった」と表記されている。
 この、モデルを特定しないという傾向は近年の朝ドラで強まっており、2016年の『とと姉ちゃん』からは「モチーフ」と言われるようになっている。『とと姉ちゃん』の制作統括・落合将はモデルとモチーフの違いについて以下のように語っている。

基本的にそんなに差はないと思います。簡単にいうと、朝ドラは、多少コメディタッチにディフォルメしています。朝からあまり重いものは敬遠されるし、より多くの方が見やすく、楽しんで観て頂かねばならないので。題材の事実と多少距離感が必要になるんです。(6)

 邪推するならば、「史実と違う」という批判をかわして、作品の自由度を高めるための苦肉の策にも聞こえる。
 一方、『なつぞら』は、〝ヒント〞という言い方を用いることにより(史実をもとにした)フィクションとしての色合いが、より強まっている。
 脚本を担当した大森寿美男はインタビューで以下のように語っている。

孤児のヒロインが黎明期のアニメーションと出会うことにして、なつが、当時、実際、活躍していた女性アニメーターの草分け的存在・奥山玲子さんのような立場になったらどういうふうな反応をするかという発想で話を考えました。奥山玲子さん自身を描くつもりではなくて、当時の女性アニメーターの参考例として旦那さんの小田部羊一さんに取材させて頂いたんです。(7)

 ヒロインの奥原なつは、奥山玲子の経歴や性格を部分的に採用したり逆に戦災孤児で北海道の酪農家の元で育ったというオリジナル要素を加えたりしている。
 後者の要素は、アニメーションというテーマと重ねるため『アルプスの少女ハイジ』(1974年)や『火垂るの墓』(1988年)といったアニメ作品のキャラクターから引用した要素だが、こういった様々な設定が混ざり込んでいる。
 一方で奥山自身が持っていた「自立した女性としての生き方や考え方」つまりフェミニズム的な価値観は、柴田夕見子(福地桃子)ら他の女性キャラクターに割り当てられており、そういった設定の足し算と引き算が各キャラクター間でおこなわれている。
 つまり、「引用と編集」がキャラクターレベルでおこなわれているのだ。
 また、奥山は実際にはアニメーターの小田部羊一と結婚したが、ドラマのなつは、高畑勲をヒントに造形された坂場一久(中川大志)と結婚する。そして劇中に登場するなつが関わったアニメも、現実の作品をヒントにした架空のものとなっている。
 こういった改変に関しては意見が分かれるところだろうが、アニメ関係者からの批判はほとんどなかった。
 これは奥山の夫だった小田部がアニメーションの時代考証を担当し、アニメーション監修に元スタジオジブリの舘野仁美が関わっていたことも大きい。 
 確かに、スタジオの名前は東映動画から東洋動画に変更され、『白蛇伝』は『白蛇姫』に変わったが、歴史的な経緯は史実を踏まえており、流れ自体は間違っていない。
 なつが十勝で暮らした経験が後に『大草原の小さな家』を原案とする『大草原の少女ソラ』(『アルプスの少女ハイジ』がヒントとなっている)に収斂されていくとことで、なつの日常とアニメが対照関係になっている脚本は実に見事だったと言えよう。
 しかし、東映動画と奥山玲子、そして彼女の同僚だった高畑勲、宮﨑駿といった人々を描いた物語と見た時に、果たしてこの展開で良かったのか? と疑問が残る。
 特に宮﨑駿の高畑への愛憎を知っていると、宮﨑駿にヒントを得た神地航也(染谷将太)の扱いは粗雑でうまく生かされていない。
 本来なら宮﨑・高畑の功績とされる作品の多くが奥原(奥山)・坂場(高畑)の功績に書き換えられているのを見ていると「史実をヒントにしたフィクション」だとわかっていても、その解釈は違うのではないかと思ってしまう。
 懸念するのは、朝ドラの影響力だ。当時のアニメに興味がない人にとっては『なつぞら』の世界が正しい歴史だと印象づけられてしまいかねない。
 もちろん、『なつぞら』の影響で、小田部が奥山について語った『漫画映画 漂流記 おしどりアニメーター奥山玲子と小田部羊一』(講談社)や叶精二の『日本のアニメーションを築いた人々 新版』(復刊ドットコム)が刊行されたという正の側面もある。『なつぞら』で興味を持った人には是非、この2冊を読んで、奥山のことを知ってほしい。しかし皮肉なことに、奥山のことを知れば知るほど、『なつぞら』のなつよりも、現実の彼女の生き様の方が面白かったと思ってしまうのだ。
 それは坂場や神地にしても同様で、ノイズとなる要素を排除した記号的存在に見えてしまう。つまりフィクションが現実の豊穣さに負けてしまっているのだ。
 何より当時、東映動画で起きた労働争議が描かれなかったことが一番の問題だ。
 筆者が『なつぞら』に一番期待していたのは『太陽の王子 ホルスの冒険』(1968年、以下『ホルス』)の制作秘話が描かれることだった。宮﨑、高畑の著作や関係者の証言を読むと『ホルス』の制作と並行して宮﨑、高畑が労働運動に関わっていたことが、作品の背景を知る上でもっとも重要な要素だとわかる。
 同時に理不尽な労働条件で働く人々に対して、異議申し立ての手段としての労働運動を啓蒙する効果があるのではないかと思った。
 特にアニメ業界における低賃金の長時間労働は深刻だ。2019年だけでも、4月にはアニメスタジオ・マッドハウスが月100時間以上の残業に対する未払い残業代があったことがわかり、新宿労働基準監督署から是正勧告を受けていたことが発覚。10月には『ジョジョの奇妙な冒険 第五部 黄金の風』(2018〜19年)の作画監督を務めた芦谷耕平が1年半のギャラ未払いをTwitterで告発。同月には、映画『海獣の子供』(2019年)を制作した「STUDIO4℃」の制作進行だった男性が未払い残業代と付加金など計約535万円の支払いを求める訴訟を起こしている。
 
 奥山玲子は1972年に起きた大量解雇を求める東映動画社と同労組の対立の末に起きたロックアウト(会社封鎖)について、以下のように語っている。

宮さん(引用者注:宮﨑駿)、小田部と相次いで辞めてしまい、会社も希望退職者を募りました。それでも辞めなかった人、上手でも効率の悪い人は指名解雇されました。アニメーターや仕上げの人たちが90人位指名解雇されたと思います。女性アニメーターは私以外は全員解雇。組合が「指名解雇反対」を叫んで全面対決して、会社はロックアウトを断行。私の机も資料ごと捨てられてしまって、長編の頃の貴重な設定やボード、原画などもごっそり捨てられてしまいました。先の展望が見えず、私も辞めようと思っていた矢先に闘争となり、それどころではなくなりました。(8)

 宮崎駿や高畑勲が辞めた後も、奥山は会社に立てこもり、会社の不当解雇の撤回を求めて抵抗した。まるで『風の谷のナウシカ』のヒロイン・ナウシカのようである。
 同時に奥山は労働運動の持つ負の側面について、こう指摘している。

 会社としては経営悪化で肥大化した人件費を減らしたい一心だったのでしょう。確かに、組合が強いのをいいことに、1日2、3枚しか描かない人も出てきて、しかも仕事量に応じた給料の差もない。格差是正で頑張って来た運動の結果が悪平等を生むとは皮肉でした。宮さんは辞める前に随分そのことを問題提起していましたが、組合と対立する能力主義と批判されたりしていました。そうした停滞ムードで、能力のある人たちが次々と辞めて行ったのは必然でした。(9)

 こういった労働運動の生々しい手触りは、現代の私たちにはわからなくなりつつあるものだ。だからこそ今の時代に改めて描くことができれば、新しい視点を提示できたと思うのだが、『なつぞら』では労働者の団結にまつわる話は北海道時代の農協の話として描かれたのみで、女性にとっての子育てと仕事の両立というテーマが全面的に描かれた。
 朝ドラというジャンルを考えれば、その選択は正解だったのかもしれない。
 しかし、本来なら最重要作であるはずの『ホルス』(劇中では『神をつかんだ少年クリフ』)が、難しすぎて子供には受けなかった失敗作という扱いにしかならなかったのは、労働運動という側面が大きく後退してしまったからだ。
 これは、現代の視点で過去を解釈してしまったがゆえの弊害だろう。現代ではわかりにくくなっているからこそ、1960年代には成立していた労働者の連帯をもっと具体的に描いてほしかった。おそらく作り手は、かつての仲間たちが結集したマコプロダクションに職場の理想を託したのだろうが、あれはフリーランスでも生きられる強者が集まった共同体でしかなく、立場の弱い労働者としてのアニメーターを契約面で包摂できていたとは到底思えない。子育てと働き方の問題を、社会や会社の制度不備の問題ではなく、個々人の問題(だから家族や友人と支えあってほしい)という自己責任論に追いやってしまったことが、逆説的な意味で現状を反映してしまったというのは、なんとも皮肉である。

能年玲奈からのんへ

 最後に天野アキを演じた能年玲奈のその後について触れておきたい。
 2000年代を象徴した役者が窪塚洋介だったとすれば、2010年代をもっとも体現した役者は能年玲奈だったのではないかと思う。
 それは『あまちゃん』のアキを演じたからという意味だけではなく、その後に彼女がたどった変遷がそのまま、2010年代に激震した日本の芸能界を象徴していたからだ。『あまちゃん』の成功によって国民的女優になった能年だったが、その後の出演作はなかなか決まらなかった。2014年に主演を務めたのはオムニバス・ドラマ『世にも奇妙な物語’14春の特別編』(フジテレビ系)の「空想少女」。映画は『ホットロード』と『海月姫』の2作。テレビドラマの出演を避け、映画に進路を絞ったのであれば、妥当な本数かもしれない。
 しかし翌15年になるとドラマも映画も出演作は0本、CMは多く流れていたが、朝ドラで主演した他の女優と比べると、これは極端に少なく、週刊誌では彼女と所属事務所の関係がうまくいっていないのではないかという記事が報じられるようになる。そして2016年7月に能年と所属事務所レプロエンタテインメントとの契約が終了。その後、彼女が芸名を「のん」に改め、自身が代表取締役を務める「株式会社non」を設立。のんとレプロの契約内容の是非については、雑誌等で得た知識しかないため、ここで詳しく触れるつもりはない。ただ客観的な事実だけを追っていくと、彼女は本名の能年玲奈という名前をのんに変えて芸能活動を再スタートしたということになる。

アニメ映画『この世界の片隅に』での大抜擢

 のんとしての女優業は決して順風満帆というわけにはいかなかったが、一つだけ幸運だったことがある。改名してすぐに、2016年のアニメ映画『この世界の片隅に』のヒロイン・すず役の声優に抜擢されたことだ。

(続く)

(1) 2017年3月31日に、帰宅困難区域以外の避難指示は解除され、居住が可能となっている。しかし浪江町への帰還住民は事故前の約6%にとどまってる。

(2)(3)(4)「中央公論 2016年7月号」(中央公論新社)「特集ーー「朝ドラ」ブームを読み解く「あさが来た」脚本家が二度目の「朝ドラ」挑戦で意識したこと」(聞き手・構成:成馬零一)

(5)現代を舞台に震災を描いた『あまちゃん』が好意的に受け入れられたのは、優しさと悪意のバランスが今までのクドカンドラマに比べて前者に寄っていたからだろう。また震災を描く際にも細心の注意が払われており、宮城出身の宮藤の体験も強く反映されている。逆に言うと『あまちゃん』と同じレベルの覚悟と震災に対する意識がないと挑みにくい題材である。その意味で『あまちゃん』が、現代モノの朝ドラのハードルを上げてしまったという側面は否めないだろう。

(6)Yahoo!ニュース個人「木俣冬のエンタメ観察記」「「とと姉ちゃん」Pに聞いた、なぜ「暮しの手帖」や大橋鎭子や花森安治はモデルでなくモチーフなのか」(インタビュー:木俣冬)  
https://news.yahoo.co.jp/byline/kimatafuyu/20160813-00061063/

(7)Yahoo!ニュース個人「木俣冬のエンタメ観察記」「「なつぞら」最終回 脚本家が明かすぎりぎりの創作秘話。「締めのナレーションには好き嫌いがあると思う」」(インタビュー:木俣冬)  
https://news.yahoo.co.jp/byline/kimatafuyu/20190928-00143761/

(8)(9)叶精二『日本のアニメーションを築いた人々 新版』(復刊ドットコム)


▼プロフィール

成馬零一(なりま・れいいち)
1976年生まれ、ライター、ドラマ評論家。テレビドラマ評論を中心に、漫画、アニメ、映画、アイドルなどについて、リアルサウンド等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生 テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)、『テレビドラマクロニクル 1990→2020』(PLANETS)がある。

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