会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。
酷暑と第二波真っ只中の連日の感染拡大の報に、大見さんの読書生活も確実に蝕まれていった二〇二〇年八月。台湾民主化の父・李登輝の死去や香港での民主化運動の弾圧など東アジア政治に暗雲が垂れ込め、歴代最長となった安倍政権にも退陣の声が囁かれる中で、日本の停滞を見つめる戦後75年目の夏が過ぎてゆきます。
大見崇晴 読書のつづき
[二〇二〇年八月]日本の夏、停滞の夏
八月一日(土)
もう八月になってしまった。今月はクレジットの利用代金が高額で何十万。とはいえ、ほとんどが交通費なので仕方がないのだが、こうしてみると交通費をクレジットカードで支払うのも考えものかもしれない。もっとも昨年のキャッシュレス決済・ポイント還元事業を政府が推進してから、いろんな決済をクレジット決済にする習慣になってしまったから、現金払いに戻せる自信もない。
クレジット払いをしていて不安になるのは、このCOVID-19伝染の沈静化が進まないかぎりは、いつか急に手元資金が尽きるようなことがあって、クレジットを返済できなくなる日が訪れる気がしてならないためだ。出費を減らすには本を買わないことが一番簡単かもしれない。積ん読がたくさんあるのだから、それを丁寧に読み込んでいけばよいのだと思うけれど、なかなか誘惑に勝てずに本を買っている。
今日は明け方四時に眼が覚めてから一度覚醒したあと、十時まで寝込んでいた。昼食後に横になると、自然とまた眠りこけていた。蓄積疲労が抜けないんだろうか。
注文しておいた古書が続々と届く。
地元の図書館に借りていた本を返却する。
なんとも息が切れるかんじがする。地元古書店で矢作俊彦[1]『悲劇週間』を買う。呆れるくらいに見たい番組がない。見逃していた「かりそめ天国」を見る。日本の古書店で以下の本を注文した。
- 田中成明『現代法理学』
- ペレルマン『法律家の論理』
- 『イギリスの政治思想』I~IV
東出昌大と杏が離婚。この疫病が広まる最中、不信の対象が家庭にいるのは精神的負荷になるから理由もわからなくはない。
I・A・リチャーズ『新修辞学原論』を少し読む。バークレーが引かれていた。
今日の東京のCOVID-19新規感染者は四七二人とのこと。これでテレワークが広まってくれないか。満員電車は御免被りたい。
李登輝[2]の死を受けて中国の官僚政治家の歴史に関する書籍を改めて読む。そういえば、このあたりについて「自己宣伝」という観点から草森紳一が本を書いてたはずだが、実際はどうなのだろう。このころの中国の政治家たちの言葉は含蓄がある。林彪の毛沢東批判など分析として面白い。「あの豚のような独裁者は、まず人に意見を言わせてから否定しようとする」「否定から入るな、という否定で冒険主義を進める」。やはり権謀術数というのは中国史に学ぶところがある。日本であれば太平記や平家物語、吾妻鑑に梅松論などがそれに当たるのだろうか。江戸時代などには太平記読みが多かったというのに、その意義が見落とされている気がする。
音泉のプレミアム版がPCブラウザからもアクセス可能になったと言うので、ログイン設定を済ませる。
しっかりとは読めていなかった表象文化論学会のハラスメント規定を読みなおす。
角川グループ、新社屋がある所沢にはマンホールも角川グループのアニメやマンガのものが設置されているそうだ。街のディズニーランド化を実現しているようで、『物語消費論』のころの大塚英志氏の構想や仮説を現実化してきている。そういう意味では、大塚英志氏ご自身がバブル期に「空間プランナー」などと怪しい肩書きを名乗ったことを自嘲的に語っていたはずが、今なら何と発言するのだろう。そして、角川歴彦氏と大塚英志氏がいなくなったら、企業としてのアイデンティティを見失ってしまうのではないか。そのことが懸念されてしまう。
香港警察が海外に居住している民主化運動家たちを取り締まろうとして指名手配を始めた。香港に戻れば逮捕されるだろうとのことだが、そうでなくとも親中国であれば身柄が拘束される恐れがあるのではないか。イギリスかアメリカでないと安心ができない。
新規感染者が劇的に増えているように思われる昨今だが、七月二三日からの四連休で一気にウィルスが広まったのだろう。原因ははっきりしている。二週間後の盆のころになれば少し数字が落ち着いて、更にその二週間後の九月頭くらいになると盆休みを原因した感染者増加があるんじゃないか。そのあたりで通常なら秋国会(臨時国会)が召集されて、各種特措法が通過するはずである。八月十五日の終戦記念日のあとに安倍総理辞任の声が高まる気がするが。
レイモンド・ウィリアムズ[3]『テレビジョン』を買い忘れていることに気づいた。
広島カープの最下位、昨年から佐々岡が投手陣の整備を任されていたことを考えると、この大惨事になったのは「妥当」というより他ないし、佐々岡は結局二年続けて投手陣整備に失敗したわけだから、原因と結果を見つめ直してほしい。それができなければ、来年の秋には監督辞任の足音が聞こえてくる。
[1]矢作俊彦 一九五〇(昭和二五)年生。日本の小説家、マンガ家。ダディ・グース名義でマンガ家としてデビューするが、『マイク・ハマーへ伝言』(一九七七)でハードボイルド小説作家としての評価を確立。一九八〇年にマンガ家の大友克洋の原作者として『気分はもう戦争』に関わる。『気分はもう戦争』は物語でも絵でも革新的とされ、大いに話題を呼んだ(作家や文芸評論家たちが批評の題材にした)。八〇年代には司城志朗とタッグを組み冒険小説を発表し好評を博す。『スズキさんの休息と遍歴』(一九九〇)は、自動車雑誌「NAVI」編集長鈴木正文(現「GQ Japan」編集長)をモデルにした小説だが、日本の小説で最もヴォネガットの『チャンピオンたちの朝食』からの影響を露にした作品となった。この小説が三島由紀夫賞候補作となったこともあり、以後純文学作家としての側面が大きくなる。日本が関西と関東で分割され、吉本興業が関西政界を牛耳るというブラックな世界を描いた『あ・じゃ・ぱん』(一九九七)でBunkamuraドゥマゴ文学賞を、『ららら科學の子』(二〇〇四)で三島由紀夫賞を受賞。『悲劇週間』(二〇〇五)はフランス文学翻訳者の堀口大學を主人公に据えた小説であるが、フランス文学(の翻訳文体)へのオマージュにもなっている。[2]李登輝 一九二三年生、二〇二〇年没。台湾の政治家。第四代目の中華民国の総統を務めた。大陸からの移民ではなく、台湾に従来から生活をしていた本省人であり、初の直接選挙によって選び出された総統であったことから、台湾民主化の父とされる。現在知られているような台湾のイメージは李登輝時代に築かれた部分が大きく、それ以前は一九四七年から一九八七年までの四〇年は「白色テロ」と呼ばれる戒厳令下であった。
[3]レイモンド・ウィリアムズ 文学・文化評論を中心に活動をしていた研究者。一九六〇年代から評論の対象はマスメディアにも広がり、『コミュニケーション』(一九六六)、『テレビジョン』(一九八四)のような著作も刊行している。ウィリアムズの影響を受け、カルチュラル・スタディーズと呼ばれるサブカルチャーも含めた文化研究が大学でなされるようになった。
八月二日(日)
草森紳一の『江戸のデザイン』を注文する。
眼精疲労がひどい。
関川夏央『文学は、たとえばこう読む』が面白そうだ。
理髪店でカットを済ませる。
今日で大河ドラマの『麒麟がくる』は十回ぐらい放送を見送っていると思うのだが、このままで当初の予定通りの放送回数を消化することができるのだろうか。越年をしないと難しい。
アキラ100%が秋田の観光大使と知って驚く。吉本の芸人でなくとも、ちゃんと地方公共団体の仕事を受けている芸人もいるのだな。とはいえ、冬の地方営業は、小島よしおもそうだけれど、裸で寒そうだ。
TBSの良原アナ、まだ全然こなれてないけれど、どうにもこなれる雰囲気がない。ガツガツしていなくて好ましく思えるか、それともハングリー精神のなさと捉えるか。
なんとなく、むかしの文芸誌「重力01」を読んでみたが、経済学者の西部忠の議論や意見が敷衍されていないのは何なのだろう。重要な示唆的な発言も多いのだが。
大杉 ちょっと話をずらしますが、一時、鎌田さんが「重力」に女性を加えるか加えないかっていう話をしていたじゃないですか。でも原理への服従ということで、それで果たして女性が加わることがあり得るのかっていう問題をちょっと考えたんですけれど、NAMも女性が少ないらしいし。
鎌田 原理への服従で女性が加わる? 僕にとっては服従だけど、強すぎる言い方だったら撤回します。経済的自立が原理だから、その通り動いてみよう、そういう感じ。(「重力01」p.17)
このひとたちは一体なにを話しているのだろう。少なくとも座談会を編集するときに、もう論旨が汲み取れるような日本語にするものだが。そういう恥じらいや読者の視線といったものが頭に浮かばないのだろうか。と思って読み進めると座談会構成を大杉重男[4]が担当しているとあって、これでは雑誌が短命に終わるのも仕方がないかなと思わされた。
それから大杉重男氏に対して保坂和志氏が批判的だという記事をどこかで見かけたが、その一連のやりとりがあったことを踏まえた上で次のような発言を読むと、「だからなに?」以上の言葉が出てこなかった。あてこすりにも程がある。
大杉 保坂のは将棋雑誌の一般読者からも不評だと思う。『羽生』なんて嘘ですよ。保坂は羽生が最初からすべてを見通している神みたいに語っているけれど、羽生はやっぱり終盤力で勝っているのではないか。(「重力01」p.18)
大杉氏世代の文藝批評家がそれ以前の批評家たちと異なり、若年層からの人気を勝ち取れなかったのも、こうした「ためにする」議論が多かったからなのだろう。
今年の東京は、七月は一日しか晴れの日がなかったそうだ。ガルシア・マルケスの『百年の孤独』の舞台となったマコンドのようだ(もっとも、あちらは年単位で雨が続いたはずだが)。そうと知ると、最近気が塞いでいたのは、天候が原因だったのかもしれない。
インドのパンジャーブ州で密造酒を飲んだ人たちが大量死。メチルアルコールを含んだ(戦後間もなくの日本で言えば)「バクダン」だったことが原因だそうだ。何故こんなにも密造酒が出回ってしまうのだろう。インドの流通事情、酒税について知りたいところだ。なにかしら密造に庶民が走ってしまう構造的な原因がある。しばしば「戦後のどさくさ」という定型句が使われるが、そのころの日本と同じようなことが日常的に起こっているというのは、平時の国としては考えものである。
昨日の読売新聞で二階氏がインタビューに答えているのを読む。「もうはまだなり、まだはもうなり」という格言を思い出してしまった。
声優の桑原由気[5]のネットラジオを課金して視聴しているのだが、好きが講じて寄席を開いていることを彼女が話していて、真顔でサンシャイン池崎が引いているのに笑ってしまった。K-PROというのは、いま女性たちにとって、ひとつのロールモデルになっているのかもしれない。
[4]大杉重男 一九六五(昭和四〇)年生。日本の近現代文学研究者。群像新人文学賞(評論部門)を受賞した「『あらくれ』論」は、筒井康隆に激賞された。以後、徳田秋声を中心に研究を進めている。「重力」は二〇〇一年ごろの評論を中心とした雑誌。[5]桑原由気 一九九一(平成三)年生。日本の女性声優。漫才コンビ天津の向と「桑原由気寄席」を開催している。「桑原由気と面白いひとたちのらじお」では、ゲストに呼ばれたトム・ブラウンのみちおが自分の観ていたアニメの声優と共演できることを喜んでいた。同番組のゲストは、佐久間一行、トム・ブラウン、サンシャイン池崎、虹の黄昏、Aマッソ、ネルソンズ、蛙亭、真空ジェシカなど。
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