(ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。
阪神淡路大震災にオウム真理教事件と、戦後日本社会の繁栄を揺るがす出来事が相次いだ1995年。その時代の空気に呼応するかのように、TBS金曜ドラマ枠の『未成年』や「土9」の先駆けとなる日本テレビ系の『家なき子』では、野島の作風は自閉的な肥大化に向かっていきます。
成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉
野島伸司とぼくたちの失敗(4)──『未成年』『家なき子』に刻まれた臨界点
1995年の『未成年』
ここまでの野島ドラマの特徴をまとめると、以下のようになるだろう。
・子どもや少年・少女といった「無垢なる存在」への憧憬。
・社会から開放された仲間たちだけで暮らす疑似家族的共同体の構築。
・愛する者を守るためなら「暴力も辞さない」という覚悟。
つまり、「無垢」、「共同体」、「暴力」の3点こそ、当時の野島が70年代的な表層の奥底に抱えていたテーマだと言えるが、この問題意識を極限まで突き詰めたドラマが『未成年』だ。
▲『未成年』
1995年の10月から金曜ドラマで放送された『未成年』は、野島ドラマの臨界点とでも言うような作品だ。それは95年という時代とも完全にシンクロしていた。
物語は、父との関係がうまくいっておらず、優秀な兄・辰巳(谷原章介)にコンプレックスを持っている高校生のヒロこと戸川博人(いしだ壱成)が、ライブハウスの警備員のアルバイトをしている時に知りあった女子大生・新村萌香(桜井幸子)と出会うところからはじまる。
萌香は兄の恋人だが、心臓に疾患を抱えており性行為ができない身体だった。そんな萌香に惹かれていくヒロ。そして彼の周りには、クラスメイトのインポこと田辺順平(北原雅樹)、ヤクザの構成員のゴロこと坂詰五郎(反町隆史)、デクこと知的障害者の室岡仁(香取慎吾)、進学校に通いつつ母親からの過干渉でノイローゼになっている優等生こと神谷勤(河合我聞)といった、それぞれに深い悩みを抱えた少年たちがおり、やがて立場を超えて深い友情で結ばれるようになる。
あるとき、デクがゴロから預かった拳銃で銀行員を誤射してしまったことから、ヒロたちは銀行強盗だと誤解されてしまい指名手配されてしまう。しかし家にも学校にも居場所がないヒロは、デクと一緒に逃げようと言う。そして一度は自首を勧めた仲間たちも、家にも学校にも職場にも居場所がなくなり、この世界から逃げ出して山奥の廃校で暮らそうと決意して、ともに家出をすることになる。
夜中に仲間たちが先に乗り込んだ貨物列車に乗り込もうと走るヒロの姿に「知ってるかい? 知ってるかい? これから何もないとこ目指すのさ」「知ってるさ、知ってるさ、そこにはきっとホントのことしかないってことを」というモノローグが被さる。
廃校での暮らしは、はじめは順調に思えた。しかし、田畑瞳(浜崎あゆみ)の出産準備をする中で、神谷がノイローゼになって火炎瓶を作って「戦いの日は近い」と言い出し、妄想じみた革命思想に囚われるようになっていく。
「誰と戦うってんだよ」と言うヒロに銃を突きつけて神谷は「体制さ。歪んだ社会をつくってる国家さ」と言い、その後、ゴロを撃ってしまう。
神谷は、地球と人間を含めた生物を一つの巨大な生命体だと唱えるガイア理論と反体制思想が混同されたような、被害者意識にまみれた妄想を語り、戒厳令を敷くと言ってヒロたちを閉じ込める。
そんな神谷の盲言を、(田畑の出産をフォローするために)廃校を訪ねた萌香が録音してマスコミにリーク。その音声が恣意的に編集されて、ワイドショーで報道されてしまったことで、ヒロたちは革命思想を持った反社会的組織だと誤解されてしまい、やがて機動隊に取り囲まれる。
廃校に立て籠もったヒロたちが機動隊に取り囲まれる様子は、まるで浅間山荘の立てこもり事件の戯画化のようでもある。しかし、それ以上に連想してしまうのは、95年に連日連夜放送されていた地下鉄サリン事件に端を発したオウム真理教事件だろう。状況を煽るワイドショーの露悪的な見せ方も含めて、よく95年にこれを放送できたなぁと、改めて感心する。
『未成年』の放送がスタートした95年10月には、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(テレビ東京系)もスタートしている。ユダヤ教の旧約聖書をベースにした宗教的世界観のもとで展開される哲学的な物語だったこともあってか、『エヴァ』もまたオウム事件と一緒に語られることが多い作品だった。
本作は使徒と呼ばれる謎の巨大生物と人類の戦いを描いたロボットアニメだったが、物語は途中から迷走していき、最終的には主人公の14歳の少年・碇シンジの内面が自己啓発セミナー的な舞台装置のもとで強引に救済されて終わる。
『未成年』の終わり方も『エヴァ』と同じように、最後に物語を放棄したような展開となり、ヒロの自問自答のような演説の果てに、唐突に終わる。
廃校から逃げ出したヒロは、警察に捕まったデクを助けて無罪を立証しようとする。しかし、その過程で萌香は病気が悪化し命を落とす。
仲間とはぐれ孤立無援となったヒロは、高校の屋上に立つ。
見上げる同級生たちの前でヒロは演説をし、デクの無罪と正当な裁判を受けさせてほしいと訴える。
「俺の愛する人が教えてくれた。ただ精一杯そこに咲いていた彼女、人間の価値をはかるメジャーはどこにも、どこにもないってことさ。頭の出来や、身体の出来で簡単にはかろうとする社会があるなら、その社会を拒絶しろ! 俺たちを比べるすべてのやつらを黙らせろ! お前ら、お前ら自分は無力だとシラける気か。矛盾を感じて、怒りを感じて、言葉に出してノーって言いたい時、俺は、俺のダチはみんな一緒に付き合うぜ」
その後、ヒロの演説に熱狂したクラスメイトたちの後押しもあってかヒロたちは改めて公平な裁判を受けることになり、物語は幕を閉じる。
長回しで引いた視線から撮影されるヒロの演説は、下から見上げる生徒たちや撮影するカメラマンの目線で描写される。つまり正面から彼の表情を捉えたアップがないのだ。下から見上げる限定された視点は、ドラマの映像というよりは報道番組の映像で立てこもり犯の姿を観ているようである。
ヒロの姿は、テレビカメラを通じて全国に中継される。『人間・失格』でも誠の葬式の場にワイドショーのリポーターが押しかけ、憔悴した衛に話しかける無神経な場面が描かれたのだが、『未成年』では当時の加熱するオウム報道の影響もあってか、事件を煽る報道の在り方そのものに対する批判にも見える。
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