会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。
Zoomでの読書会などが浸透して新しい行動様式が生まれる一方、街にはたがの外れた日常感を帯びる人々が水流のように漂ってもいる梅雨のおり。アウロラ、パイロット、モンブランといった老舗ブランドの万年筆を使い分けながら、手書きとキーボード入力での「書くこと」の感覚の違いを改めて見つめ直します。
大見崇晴 読書のつづき
[二〇二〇年六月中下旬] 万年筆とヒッピーと水流
六月十二日(金)
都内に連日の出勤をしたので疲れを覚える。午前中に妙な眠気があった。カロリー不足が原因かと思い、昼食は日高屋で担々麺大盛りを注文。
六月十三日(土)
地元の図書館で以下の本を予約した。
- 常盤新平[1]『翻訳出版編集後記』
- 常盤新平『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』
- 今泉文子『ノヴァーリスの彼方へ ロマン主義と現代』
- ピーター・アクロイド『T.S.エリオット』
エリオットの伝記は愉しみだ。彼への関心が増したら全集を買うことにする。
[1]常盤新平 一九三一年生、二〇一三年没。日本の編集者、翻訳者、作家。早川書房の編集者としてキャリアを積み、一九六〇年代ごろには早川書房のほぼ全般を職掌とする。このころにテレビドラマ『探偵物語』の原作などで知られ日本にハードボイルドや犯罪小説を根付かせた第一人者であった小鷹信光と、メディアの内幕を暴くノンフィクションを紹介する書籍を早川書房が多く手掛けるきっかけを作った(このころに翻訳されたものに、ハルバースタムの『メディアの権力』(一九七九)などで参照されていたと思しいジョン・コブラー『ヘンリー・ルース』、フレッド・フレンドリー『やむを得ぬ事情により エドワード・マローと理想を追ったジャーナリストたち』)。このハヤカワ・ノンフィクションの系譜は、ラリー・コリンズとドミニク・ラピエール『さもなくば喪服を』の翻訳を校正した井田真木子がのちにノンフィクション作家として著名になるなど、ニュージャーナリズムを日本に根付かせるものとなった。海外文学の翻訳を手掛けていたころに都会的な文章の彫琢にこだわっていたが、その際に参考にした山口瞳の小説に感銘を受け、私淑することになる。国立に居を構えていた山口瞳のもとに新年会などで通うようになり、いわゆる「山口組」の一員となる。一九八六年には『遠いアメリカ』で直木賞を受賞。その後もエッセイや翻訳、海外文学の紹介など旺盛な活動を続けた。広くは知られていないが、同じ池波正太郎の愛読者でありながら、植草甚一に対しては憎悪と言ってよいほどの恨みを文章にしている。
六月十四日(日)
大塚英志『大政翼賛会のメディアミックス』読書会用のレジュメ、担当分を作り終える。この本の種明かしになる部分と、付論についてもレジュメを作りたいが、後者については体力的に難しいかもしれない。レジュメをクリーム色のノートにまとめているのだが、普通の修正テープでは白が目立ってしまって、見栄えが悪い。なにか良い方法はないものか。
このコロナが終息したらフルハルター[2]でペリカンのM800を一本注文したい。しかし、この場合の終息とはなにをもって終息とするのだろう。
調べ物をしていたら、三島由紀夫全集(一九七〇年代のもの)の三十巻がなくて困る。買うべきか。
[2]フルハルター ドイツ語で「万年筆」を意味する単語。店主である森山信彦氏が一九九三年に開店した万年筆専門店。
六月十五日(月)
オッカム先生が評価されていたのと、兄事していた方が経営されていた古書店──現在は夫人が経営を引き継いでいる──に在庫があったので、ブルース・アッカマン『アメリカ憲法理論史 その基底にあるもの』を注文する。
唯美主義[3]や労働者階級の文化に関心を持っていた十代のころはイギリスにばかり意識していたが、二十代ごろになってボブ・ディランを聴き続けるようになってから以来、わたしはアメリカという国が気になっている。同じ一つの国なのかと疑ってしまうほどアメリカは広くて、キリスト教ひとつをとっても宗派がたくさんあって、もともとヨーロッパを追われたプロテスタントの国なのに、プロテスタントの宗派でもいくつかあって、ボブ・ディラン[4]もアメリカが保守化していく八〇年代にボーン・アゲイン・クリスチャン[5]になっている。それに加えて州ごとに法が異なり、マイノリティ(黒人やヒスパニック、LGBT)に対して明文的に扱いが異なったりもする。それなのに大統領というトップを選ぼうとする。わたしにはアメリカという国がよくわからない。わからないから少しづつアメリカに関する本を買って読んでいて、これもその買い物のひとつになりそうである。とはいえ、いつ読むのだろうか(わたしは積ん読をしがちである)。
有楽町にある三省堂で松苗あけみ[6]先生の新刊『松苗あけみの少女まんが道』を買おうとしたが品切れになっていた。松苗あけみ先生のマンガと先生が挿絵を担当していた文学評論を読む高校生時代を送っていたので、わたしにとって松苗先生は大スターである。西荻窪に引っ越してきたころは、松苗先生のご実家があったのが西荻窪だと知らなかったので、大変に驚いた。当時住んでいた部屋の比較的近所で、ご実家の近くには日本のヒッピーにとって聖地のひとつとも言えるナワ・プラサード[7]があって、その正面の小さな路地を歩くと小物屋さん(昨年ぐらいに閉店してしまった)があって、それは松苗先生のお姉様が経営されているという話を聴いたことがある。その横には二郎系のラーメン屋があって、そこで夕食をとっていたことが肥満になった一因だったのだが、よく席で隣り合わせた萱野稔人[8]さんは『ミナミの帝王』を読みながら勢いよく食べても太っていなかった(それどころかダイエットで有名になってしまった)ので、いま思えば運動不足だったのだろう。
閑話休題。
わたしの西荻窪物語は本筋ではなく、高校生時代「ぶ~け」[9]を愛読していたので、あの伝説的なマンガ雑誌について知りたくて新刊を探していたのである(九〇年代末、まだ休刊していなかった。山内規子[10]先生が連載を持てた最後の新人漫画家だったんではなかったか。最後のスターは稚野鳥子[11]先生だった)。
当てが外れたので、書店にあった西寺郷太『始めるノートメソッド』とロルバーン用修正テープ(これはクリーム色で先日から探していたものだ)、フリクションの蛍光ペン、ボールペンを買う。『始めるノートメソッド』はJ-POP/ロックのコーナーに並べられていて、中々見つからなかった。
コメント
コメントを書く