アニメーション監督の山本寛さんによる、アニメの深奥にある「意志」を浮き彫りにする連載の第13回。
今回は、山本さんの古巣・京都アニメーション制作の『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』をめぐる分析です。近年の京アニ作品の作画技術の結晶と言われる本作について、視線やモチーフ演出の面から検証します。
山本寛 アニメを愛するためのいくつかの方法
第13回 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』に見る「愛への視線」~「京アニ」現代史
『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』(2020)が公開された。
この作品について書こうか、書くまいか、ずっと悩んできたのだが、どこかでこの作品を含めた「京アニ現代史」を、学術的には到底無理にせよ直観的に捉えることは自分の今後の仕事にとっても重要だと思い、TVシリーズ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』(2018)と共に、ここに記すことに決めた。
なお繰り返すが、僕は近年の京アニ作品をほとんど見ていないので、少なくともアニメ史的価値のある文章は書けないと断言しておく。
まずこの作品は、言わずとも解るはずだが、「手」のドラマのはずである。
手を失った主人公が「手」を、換言すれば「身体性」を取り戻す物語だ。
「手の映画」と言えばロベール・ブレッソンを思い出すのだが、それを本作が意識しないはずがない。
「手」がいかに語るか、顔の芝居以上に、そこを注目しない手はない。
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