ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春」。
今回は、『タッチ』に続く代表作と評される『ラフ』の読解です。
少年漫画として青春群像劇の王道を引き受けつつ、あだち充版『ロミオとジュリエット』とも言えるストーリーを展開していった本作の成立背景と魅力を考察します。
碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春
第14回 完遂できなかった『陽あたり良好!』を進化させた青春群像漫画『ラフ』(前編)
国民的漫画となった『タッチ』の陰に隠れて
あだち充という名前を国民的なものとした『タッチ』のすぐあとに連載が始まったのは、前回取り上げた『スローステップ』だった。その月刊連載と同時期に連載されることになったのが『ラフ』であり、『タッチ』の最終回から4ヶ月後ほどで「少年サンデー」で1987年に始まった週刊連載だった。
「ラフ」の水泳と寮生活という設定は、自分で決めました。水泳というテーマはもちろん初めてだったけど、何かを準備した記憶はないな。すべての作品において、思いつきで決めて、とりあえず始めちゃうというのはいつも変わらないから。水泳というより、寮生活という発想のほうが先だったかもしれないね。
いろんなジャンルの天才たちを集めて、主人公に何をやらせようかという流れで、水泳になったんだと思う。野球を続けて描くのはないだろうと思ったし、違う絵が描きたかったから。それで絞られていったのが、「ラフ」だったんじゃないかな。
寮生活で「陽あたり良好!」のように、何人かのキャラクターを描きたいと思いました。相も変わらず御都合主義で、男子寮と女子寮を向かい合わせにして、描き易い設定を考えてから始めました。大事なのは思いつき。とりあえずスタートさせちゃえば、なんとかなる……と思っていた。〔参考文献1〕
『タッチ』の終わらせ方について頭を悩ませていたあだち充は、次作について考えている余裕などなかった。しかし、「少年サンデー」側としてはドル箱となった『タッチ』が終わった後にできるだけ間をおかずに新作をあだちに連載してほしいと依頼をしていた。
そうやって始まった『ラフ』は、あだちがインタビューで答えているように、いつものフリージャズ的な手法で始まった。水泳を描くことにした理由のひとつとしては、ヒロインの水着姿が描けるということだった。しかし、『ラフ』のヒロインである二ノ宮亜美は飛び込みの選手であり、競技用の水着はあだちが考えていたよりもエッチなものでなかった。そのためか着替えシーンを描ける更衣室が多くなっていった。
この競泳水着に関しては、『タッチ』におけるヒロインの浅倉南が新体操を始めることにおそらく近いものがあったのではないだろうか。どちらも思春期男子のエッチな欲望が反応してしまうユニフォームでもあった。競技としても得点による勝負であるが、「美」が大きな要素になっている。そう考えると、あだちと「少年サンデー」の若い読者と近い視線だったことも作品へのめり込みやすい要素ともなっていたのだろう。
『タッチ』と『ラフ』は連載が終了して、10数年経った2000年代になってから実写映画化されるほど、世代を越えて読み続けられているあだち充の代表作である。人気投票すれば一位と二位を争うこの二作品だが、連載中の手応えはまるで逆だったとあだち充は語っている。
『タッチ』は連載中から爆発的な人気になっていたが、『ラフ』はまるで手応えがなかったという。『ラフ』連載中にも前作『タッチ』の余波はずっと続いていた。1987年3月まではテレビアニメ『タッチ』の放映は続いていたし、同年4月にはアニメ映画『タッチ3 君が通り過ぎたあとに -DON’T PASS ME BY-』が公開されており、世間からすれば「あだち充」と言えば『タッチ』一色のままだった。そのためか、あだちは次作で何を描いても文句を言われるだろうと考えて、読者アンケートを気にしないでいた。
結局のところ、それが功を奏した形となった。
『ラフ』は連載中には爆発的な熱狂を起こすほどではなかったが、連載終了後に評価されることが多くなっていった作品だ。まず、『ラフ』の「少年サンデー」での連載は1987年17号〜1989年40号と約2年という、『タッチ』の余波が引いていくにはちょうどいい時間だった。また、同時期に「少女コミック」で連載していた『スローステップ』はコミックスもヒットしていたが、少女漫画でありながらフリースタイルの「あだち充無双」が過ぎていたため、一般的なものとはならなかったことは、前回述べた通りだ。
対して『タッチ』と『ラフ』は、あだち充なりに「少年サンデー」での自分のポジションなり打率なりといったものを考えた上で連載していたこともあり、王道の少年漫画作品の系譜にあった。そのため、『タッチ』の余波の中で連載期間が終わった『ラフ』は、どうしても『タッチ』的なものを求めた人たちにとっては、なかなかリアルタイムでは魅力に気づきづらい作品であった。
しかし、『ラフ』の次の「サンデー」連載である『虹色とうがらし』の時代劇×SF的な世界観の変化球ぶりが受け付けられなかった読者が、本来読みたかった直球のあだち充作品として読み直していったことで、その魅力が再発見され、連載後の評価に繋がっていった部分がある。
では、遊びに走った『スローステップ』とは対照的に、この時期のあだち充にとっての「王道」を担った『ラフ』の独自の立ち位置と魅力は何だろうか?
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