今朝のメルマガは、インターネット番組「作ること、生きること ― 分断していく世界の中で」を放送中の文筆家/キュレーターの上妻世海さんによる論考をお届けします。
人類は発展の過程で、虚構を媒介に認知の限界を乗り越え、社会集団の規模を拡大してきましたが、それは「生活」からの乖離を伴うものでした。
その弊害が現代文明の様々な領域に噴出するようになる中、同じく「オイコス(家)」の語源を持つ経済(エコノミー)と環境(エコロジー)を改めて包摂する「広義の思考」に、私たちの歩みを進めていくためには?
※本記事は、「建築雑誌」2020年2月号 No.1733「特集:震災以降の生活の転換者たち」所収の同名論考を採録したものです。
【上妻世海さん出演予定!】
9/30(水) 20:00〜 上妻世海「作ること、生きること ― 分断していく世界の中で」 第3回
現代美術や建築から人類学・哲学、脳科学・進化生態学まで、さまざまな分野の叡智をたぐり合わせながら、人として「作ること」「生きること」の深淵を思索していく連続講義、第3回目の放送です。
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生活の審級性とそこからの分離
かつて、三木成夫は、植物や動物との比較によって共通する原型を求め、各段階における変異-変容を探るゲーテ形態学の方法で、生活の核を食と性の営みであると感得した[1]。彼は植物を栄養と生殖に自足しつつ変態する生物として描き、動物を光合成能力と世代交代の欠如として感覚と運動を備えた生物として捉えた。つまり、植物が持つ自律的な生活形式(成長繁茂と開花結実)の欠如-過剰性として、動物の餌と異性に向かう個体運動を理解するのだ。西洋では、植物から動物へ、動物から人間へと、生物は層状に発達してきたと考えられている。そして、僕たちも日常的に、栄養-生殖よりも感覚-運動を、感覚-運動よりも理解-意志を高級なものと考える。しかし、三木の思考は突拍子のないものではない。なぜなら、生活への適応欠如によって進化が促されることは生物一般に当てはまり、我々人類史の中でも散見されることだからである。
たとえば、ホモ・サピエンスは哺乳類でありながら体毛に覆われていないため、衣服を必要しており、母胎内にいるのは9カ月と比較的短い上に、出産後も長期間にわたって自活できないため、他者からの継続的なケアを必要とする。更に、我々は他の哺乳類より狩猟に適していないだけでなく、人類の中でも相対的に貧弱である。アウストラロピテクスは頑丈型と華奢型に分類され、頑丈型アウストラロピテクスは、歯を含めた咀嚼器官の発達によって、サバンナのますます乾燥していく気候に適応し、より硬い果実や植物を食料とすることができた一方、ヒト属の祖先である華奢型アウストラロピテクスは、乾燥化の進展とともにより硬い食料を避け、道具文化を発達させるようになった[2]。弱かった我々の祖先は道具の制作によって環境を改変し、環境からの独立を進めざるを得なかったのである。結果として生き延びたのは弱さであった。栄養-生殖能力の欠如が感覚- 運動能力を促したように、感覚- 運動能力の欠如が理解- 意志という我々の特徴を促したのである。そして、上述の経緯は、サピエンスが具体的生活から分離していく傾向を起源にもつことを示唆している。
進化の過程は生活への欠如- 過剰性によって、既存の生活から別の生活へと生物を促す。生活は食と性の営みであり、『広辞苑 第五版』でも「生存して活動すること、生きながらえること、世の中で暮らしてゆくこと」と定義されている。それは文字通り、栄養- 生殖(植物)、感覚- 運動(動物)、理解-意志(人間)に共通する基礎- 目的なのである。実際、我々が用いている多くの概念も生活を基礎につくられていた。たとえば、経済(エコノミー)という概念は古代ギリシャのオイコノミアーに起源をもち、オイコス(家)+ ノモス(法)であることから、文字通り家の管理を意味する単語であった。オイコノミアーの理論的定義はアリストテレスに帰せられるが、彼が想定していた家は核家族ではなく、「奴隷や従者や職人、農園や果樹園、家畜を備えた有力な大土地所有者が所有する、半ば城壁で囲まれた大邸宅」[3]であった 。そして、「そうした家が目指すべきであったのが自給自足であった。そのためには節約とやりくりの原則に従って、家庭の資産を慎ましく管理することが求められる」[4]。アリストテレスは経済の本質を生活資料を確保する一つの制度化された過程と捉えていた。経済は他者や自然環境への依存を前提とし、生活を継続的に充足するための実質的な意味だったのである[5]。
しかし、現在、僕たちは経済を、市場を前提とした効率や便益を重視する希少性の原理で捉えている。つまり経済を、経済それ自体を目的とした形式的な意味で用いている。経済は生活から分離し、家や共同体のような有限の基礎を持たないため、利益を自己目的化し、無限に拡大再生産を繰り返すことをよしとされる。古代ギリシアでは、交換は共同体の正義として役立つ限り承認されていたに過ぎない。自己目的としての交換は共同体を不安定化するとして忌避され、経済はあくまで良き生活や共同体の正義を導く実質的な手段であった。興味深いことに、市場経済の始祖とされるアダム・スミスの『国富論』にすら、生活資料こそが国民の富であると明記されている[6]。スミスは市場経済の中で需要と供給によって決定される価値(市場価格)と共同体的富(生活資料)を区別していた。そして、生活資料を便益品や奢侈品よりも優先し、食・衣・住の順で捉えるという審級性を打ち立てた。これまで欠如が別の生活を促すとしても、生活から分離することはなかった。僕たちは慣れ親しんだ生活と概念の分離を真剣に再考する必要がある。
分離の完結と近代の始まり
そもそも経済と貨幣の機能は多元的であった[7]。市場社会以前は、経済の実質的な意味が共同体に根付いており、統合機能は主に互酬と再分配が担っていた。互酬は対称的な親族集団システムを前提とした、集団間の相対する点の移動として定義され、親密な関係や噂話が流通するローカルな範囲のものとされる。再配分は宮殿や神殿のような分配の中心を前提に、中央に向かい、またそこから出る専有の移動と定義され、集団が巨大化し、機能分化し、皆が皆と知り合いでなくなった時に始まった。貨幣の起源は交換原理からではなく、互酬と再分配を前提にしなければ分からない。貨幣は、第一に、婚姻、犯罪、犠牲の必要など、債務の互酬的支払い手段として、第二に、再分配制度の元で徴収した食料などの尺度標準として、第三に、飢饉に対する備えや軍事力や労働力の支払いに対する蓄積手段として考えられる。僕たちの最もよく知る経済の秩序維持機能は交換と呼ばれ、価格の自己調整を担う市場を前提とし、各自に生じる利得を目指して行われる財の相互移動として定義される。しかし、そもそも交換は共同体の内部ではなく、異なる共同体の間に市場が開かれ、そこで例外的に始まった。しかも、それは元々、互いに危害を加えるつもりがないことを示す儀礼的ものであった可能性が高い[8]。マックス・ウェーバーはそのことを「商業は、同一種族あるいは同一共同体に所属する人々の間にはおこなわらず、むしろ取引はただ種族を異にするものを相手にする場合に限っておこなわれる」[9]と述べ、カール・マルクスは「商品交換は、共同体の終わるところで、共同体がほかの共同体と、またはほかの成員と、接触する点ではじまる」[10]と述べた。貨幣の第四の起源として考えられている交換手段としての機能も、個別的な物々交換の行為からではなく、組織された対外交易と関連して発展した。市場社会を前提にすることで、現在のように、交換手段としての貨幣機能が他のすべての貨幣機能を支配し、一元的に統合するのであり、互酬や再配分が中心の共同体では、貨幣用途に応じてそれぞれの貨幣が制度化され、多元的に用いられていたのである。
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