アニメーション監督の山本寛さんによる、アニメの深奥にある「意志」を浮き彫りにする連載の第11回。今回は、目下PV制作中の新作『魔法少女たち』のコンセプトに関するセルフプレビューです。一貫して「日常」を描き続けてきた山本監督が、いま改めてファンタジーに臨む真意とは?
山本寛 アニメを愛するためのいくつかの方法
第11回 『魔法少女たち』に込めるもの~「希望」により抑圧されたアニメは
現在、PV(パイロットフィルム)を制作中の新作『魔法少女たち』だが、多分に漏れず所謂「コロナ禍」の煽りを受け、2か月の完全な作業中断の末、その後もスケジュールの切り直しなど、苦戦を強いられている。
フィルム自体は8月頃には完成する予定だが、今度は予算面に限界が出てきた。
完全自主制作のこの作品はまとまった出資者がいない。やむなく、2回目のクラウドファンディングを行うことになった。
以下、URLを載せておくので、興味のある方は是非ご支援願いたい。
『魔法少女たち(仮)』制作中のPV、追加予算集めさせてください!
宣伝はこのくらいにして、やはりクラウドファンディングで集められる額には限界がある。
ましてや他のコンテンツに比べても巨額の制作費がかかるアニメでは、全額クラウドファンディングで賄うことは到底不可能だ。
もちろん本編制作の営業、製作組成も同時並行で進めていたのだが、これもやはり「コロナ禍」で止まってしまい、仕切り直しの状態だ。
恐らく今はほとんどの業種・業態で同じような苦境が想像されるので、ひとり被害者ぶるつもりもないのだが、しかしこれはキツい。
まぁ「コロナ禍」はひとまず置いておいて、ところでこの『魔法少女たち』についてだが、最初のクラウドファンディングで宣言した通り、きっかけはあの「京アニ事件」である。
一応そのURLも載せておく。
山本寛新作アニメプロジェクト『魔法少女たち(仮)』のPV、作らせてください!
この時の「声明文」は、事件直後なのもあって、今読むとかなり過激な文章となっている。
しかし、その時の想いは、今も変わっていない。
「京アニ事件」がアニメ業界と現代社会にどれだけの禍根を残したかについては連載第6・7回で分析したのでそれを読んでほしいのだが、さてその分析をどう『魔法少女たち』に盛り込むのか?
僕はここで「ファンタジー」の機能に着目した。
「ファンタジー」とは、言わば「たとえ話」だ。
現実に対し直接的な批判や風刺が難しい時(政治情勢など)、ファンタジーは雄弁となる。
宮﨑駿は『風の谷のナウシカ』を生み出した時、当時のバブル期全盛の浮かれた世相には直接的な批判を加えられないと判断し、ファンタジーの力を利用したという。
結果、必ずしも彼の本意通りではなかったにせよ、環境問題他多くのテーマが『ナウシカ』を通して世間に広く顧みられるようになった。
同様のことを海外ではアーシュラ・K・ル=グウィンやミヒャエル・エンデなどのファンタジー界の巨匠たちが実行しており、人種問題や文明・社会批判などの要素を「たとえ話」として描出している。
さて、僕がどうして今「魔法少女」を選んだのか?
これまでの創作は『Wake Up, Girls!』(2014~2015)や『薄暮』(2019)など、ファンタジー要素皆無の現実・日常路線の作品が続いた。
それは、二作とも東日本大震災を「批判」することではなく、むしろそのまま「語り継ぐ」必要があると判断したからだ。
だから被災地の様子もそのまま絵に起こし、原発問題も現実問題として登場人物の中に設定した。
これはつまり高畑勲の言う「現実を描き起こす」機能として、アニメを活用したのだと言える。因みに彼も『火垂るの墓』(1988)では(若干のファンタジー要素はありつつも)戦争の惨状を徹底したリアリズム志向で描いている。
過去の悲劇や災禍をまずはそのまま「伝え残す」、そのためには当然、ファンタジーよりリアリズムが相応しいと、僕は考える。
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