会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。
緊急事態宣言が延長され、例年繰り返してきた読書生活のリズムにも狂いが生じる大型連休。ステイホームで部屋掃除ばかりが捗る中で、往年のテレビバラエティの旗手らの変調や世間の「カモ」たちの動向を横目に、歴史なるものの功に思いを馳せます。
大見崇晴 読書のつづき
[二〇二〇年五月第一週] 大型連休に為する事
五月一日
部屋片付け。カルペンティエール『方法異説』[1]、チェスタトン[2]『チョーサー』[3]が見つかる。独裁者もの[4]が読みたくなっていた昨今だから、ちょうど良かった。
長谷川宏[5]訳のヘーゲル『美学講義』[6]を落札。
「全力!脱力タイムズ」がテレワークを前提としたコントを放送。この手のものではいち早い。
注文しておいた以下の書籍が届く。
・デイヴィッド・ロッジ[7]『絶倫の人 小説H・G・ウェルズ』
・ロバート・ブレイク『英国保守党史』
・ジャン・クリストフ・アグニュー『市場と劇場』
ロッジとブレイクの本は、第二次世界大戦前、カズオ・イシグロが描いた過去のイギリスが描かれているようなもの。イギリスという国は二つの大戦を経て、植民地を手放し、連合王国の栄光を失った。世界の覇権というものがあるならば、第一次世界大戦が終戦したあたりでイギリスからアメリカ合衆国に、それは移行している。そうだとしても、当時のイギリスは依然として植民地を多く抱えた宗主国に変わりなかった。
パンク・ロックを代表するボーカリストであるジョン・ライドン[8]はザ・キンクス[9]のファンとして知られている──このこと自体が英国の複雑さを物語っている。ジョン・ライドンは家系をたどればアイルランド移民であり、差別の対象だったわけであるから──が、キンクスには『アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡』という名盤がある。このアルバムは、イギリスの絶頂期にあたるヴィクトリア女王の時代が過ぎ去り、オーストラリアに移住する家族の物語をコンセプトに作られた。発売されたのは一九六九年だが、ビートルズが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』[10]を発売したのが一九六七年だから、それから二年遅れてのことになる。ロック史、というよりは商業音楽史の重要なエポック・メイキングのことなので、さも常識のように『サージェント・ペパーズ』と略されるビートルズのアルバムは、レコードアルバムが楽曲を集めたコンピレーションというものから、コンセプトに沿って録音された芸術であると、多くの聴衆の理解(受容意識)を変えた作品だった。
ある意味においてはへんてこなことである。イギリスのロックシーンは世界を席巻しているのである。しかしキンクスは「大英帝国の衰退」を歌わなくてはいけなかった。このへんてこさは当時のイギリスを考えると理解ができる。ビートルズは一九六五年にエリザベス女王から勲章を受章したが、これはイギリスがビートルズのレコードで外貨を多く獲得できたからというものだ。それほどまでに商業音楽というものは巨大化していたわけだが、イギリスはすでにして工業において他国に遅れを取り始めていた。だからこそビートルズの輝きは、より鮮明に思われたわけである。産業革命が起こった国であるイギリスは、脱工業化のまっただなかにあった。工業と貿易で世界に覇を唱えたイギリスは国のつくり自体を大きく変えなくてはいけなかった。それゆえの「衰退」であり、オーストラリア行きである。そのオーストラリアは、形式的にはイギリス国王を君主としているからイギリスみたいなものだが、二〇世紀には実質的には独立国家になっている。イギリス本国にとって、領土の開墾という意味よりも、富の源泉である国民が流出しているという意味のほうが大きくなっている。
連合王国であるイギリスの悩みというものを、小説や演劇などよりも、ポップ・ミュージックであるロックがわかりやすく、かつ芸術的に成立したものとして表現してしまうのが、第二次世界大戦のイギリスである。レコードを中心とした音楽産業はイギリスを抜きにして語ることが難しいだろう。しかし、大戦後の小説をイギリス抜きでも語れてしまいそうなぐらいには、目立たなくなっていく。その理由はいったい何なのだろう。
[1]『方法異説』 キューバの作家アレホ・カルペンティエールが一九七四年に発表した長編小説。小説は水声社から寺尾隆吉の訳で二〇一六年に刊行された。「啓蒙的暴君」である架空の独裁者を描く。[2]G・K・チェスタトン ギルバート・キース・チェスタトン。イギリスの作家、評論家。一八七四年生、一九三六年没。熱心なカトリック信者としても著名。推理小説の古典となっている「ブラウン神父」シリーズは彼の手によって生まれた。一九〇九年に発表した『正統とは何か』はキリスト教擁護論の古典であり、多くの保守主義者が参照する一冊となっている。
[3]ジェフリー・チョーサー イギリスの詩人、外交官。一三四三年ごろに生まれ、一四〇〇年没する。ボッカチオの物語集『デカメロン』の影響を受け、『カンタベリー物語』を執筆した。未完となったが『カンタベリー物語』はイギリスを代表する文学作品として評価されている。
[4]独裁者もの(独裁者小説) 第二次世界大戦後、植民地だった地域はそれ以前から引き続き次々と独立したが「開発独裁」と呼ばれる軍事力を背景にした独裁政権が多かった。ラテンアメリカも多分にもれず独裁国家が多かったため、一九七〇年代に体制を皮肉った文学が流行を見せた。代表的な作品はカルペンティエール『方法異説』(一九七四)、アウグスト・ロア=バストス『至高の存在たる余は』(一九七四)、ガブリエル・ガルシア=マルケス『族長の秋』(一九七五)など。
[5]長谷川宏 日本の在野研究者。一九四〇年生。一九六八年東京大学大学院哲学科博士課程を終了。学生運動に参加したこともあり、大学に就職しなかった。一九九〇年代から読書会の成果であるドイツ哲学者ヘーゲルの翻訳を続けて刊行する。訳書はヘーゲル『哲学史講義』(一九九二~一九九三)、『歴史哲学講義』(一九九四)、『美学講義』(一九九五~一九九六)、『精神現象学』(一九九八)など。
[6]『美学講義』 ヘーゲルがベルリン大学で開いていた美学の講義を、受講していた学生のノートを元に書籍化したもの。一般的には聴講生だったホトーのノートに依拠したものが広まっている。近年シュナイダーという速記者が残したノートを元にした講義録も出版されている。
[7]デイヴィッド・ロッジ イギリスの作家、英文学者。一九三五年生。一九九八年に長年にわたる功績から大英帝国勲章が授けられた。大学の研究者を題材にとった『交換教授』などで知られることになったが、近年はヘンリー・ジェイムズやH・G・ウェルズの伝記小説を著している。
[8]ジョン・ライドン イギリスのミュージシャン。一九五六年生。ニックネームは「ジョニー・ロットン」で、この名前で呼ばれていた時期にセックス・ピストルズに参加。一躍パンク・ロックの代名詞的存在となる。アイルランド系移民の子供で、幼少期に差別を受ける。七歳で髄膜炎を患って昏睡状態に陥るなど弱者の立場を経験していた。衰退にあるイギリスで体制(現状)を皮肉った「アナーキー・イン・ザ・UK」、「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」、「プリティ・ヴェカント」などの作詞を手掛ける。過激な詞が原因で保守派の暴漢からナイフで襲われた。セックス・ピストルズ脱退時に「ロックは死んだ」と発言し、このことは広く知られることになった。脱退後は、クラウト・ロックと呼ばれた西ドイツの実験的なロックや、ジャマイカで生まれイギリスでも独自に発展していたダブを愛好していた友人らとP.I.L.(パブリック・イメージ・リミテッド)を結成。一九九三年と二〇〇七年にセックス・ピストルズを再結成したが、そのたびに「金のためだ」と取材に応えた。二十一世紀に入るとリアリティーショーに多く出演し、テレビタレントとしてを活動の領域に加えた。女性ミュージシャンへのリスペクトが多いことでも知られ、スリッツやレインコーツ(のちにソニック・ユースのメンバーとなるキム・ゴードンが所属)を評価し、後押しをした。
[9]ザ・キンクス イギリスのロックバンド。一九六四年にレイとデイヴのデイヴィス兄弟によって結成された。オアシスがデビューする以前は兄弟仲の悪いバンドの代名詞のように必ず名前が挙がっていた。デビュー年のシングルである「ユー・レアリー・ガット・ミー」はヴァン・ヘイレンによってカバーされた名曲。ディストーションサウンドを広めた楽曲として知られる。「ウォータールー・サンセット」は男女の恋愛風景を描いた名曲として知られる。七〇年にヒットした「ローラ」は自分を誘惑した美女が実は男性だったことを歌ったもので、ミュージカル「キンキー・ブーツ」に影響を及ぼした。
[10]『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』 ザ・ビートルズのアルバム。一九六七年に発売され、グラミー賞では「最優秀アルバム賞」、「最優秀コンテンポラリー・パフォーマンス賞(ロック部門)」、「最優秀ポップ・ボーカル・アルバム賞」、「最優秀アルバム技術賞(クラシック以外)」、「最優秀アルバム・ジャケット賞(グラフィック・アート部門)」を受賞した。架空のブラスバンド「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のショウを収録したレコードというコンセプトをとっており、バンドの自己紹介からアンコール曲で締めくくられる構成となっている。
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