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ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春」。代表作『タッチ』の分析の最終回です。
達也、南、和也をめぐる青春劇の脇を固める存在ながら、本作が普遍的な物語として読み継がれる上で決定的な役割を果たした、原田正平と柏葉英二郎の二人の“大人”について、前後編で掘り下げます。

碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春
第12回 『タッチ』における「賢者」としての原田正平と「影(シャドウ)」としての柏葉英二郎(前編)

欲望を暴走させない装置としての原田正平

前回はジョゼフ・キャンベルが世界中の神話の共通項をまとめた「単一神話論」と『タッチ』との共通点について論じた。
1980年代という新しい時代のヒーローになっていった上杉達也。彼がヒーローになるために欠かせない存在が「『賢者』としての原田正平」と「『影(シャドウ)』としての柏葉英二郎」の二人だった。『タッチ』をめぐる分析の最終回として、この強面の二人のキャラクターについて取り上げたい。

 達也の同級生・原田正平は、儲けもののキャラクターでした。何も考えず、計算もなく出したのに、本当に使いやすかった。ちょっと俯瞰した立場でセリフを言えるキャラクターとして、解説役、進行役になる、みんなはごまかしているけど、唯一本当のことを言ってるんです。最初は変な、乱暴なキャラクターを出そうと思っただけだったはずだよ。しかもこの手の顔は描きやすい。
(中略)
 原田は達也を振り回してくれたし、達也のいちばん痛いところを突いてきて、達也の性格の説明を最も的確にしてくれる。達也は自分では何も言わないけど、常に正しい判断を促してくれる。こんな使えるキャラクターになって、最後まで絡んでくるとはまったく思ってもみなかった。
〔参考文献1〕

『タッチ』では達也と和也と南の幼少期が何度かエピソードとして登場する。これに関してあだち充は「基本的には回想好きの漫画家」であると語っている。物語は甲子園を目指す高校編から初めてしまうと、甲子園に縛られてしまい、遊べる部分やキャラクターの掘り下げという下準備ができないため、その前の中学編から始まっている。これがさらに幼少期をきちんと描くという物語になっているのが『クロスゲーム』という作品だった。
また、『タッチ』は『みゆき』と同時連載だった時期があり、ゆるいラブコメ的な展開になっている。そして、高校に入学する少し前の3学期から同級生として、それまでは一度も出てきていなかった原田正平が登場する。最初は確かになにか繋ぎのようなキャラクターであったが、次第に表情も変化していき、達也か南の近くにいる二人の理解者としてのポジションを得ていく。
『タッチ』①でも紹介したが、柏葉英二郎についてあだちが語っているものを下記に引用する。

「タッチ」後半の大きな登場人物として代理監督・柏葉英二郎がいるけど、柏葉の登場もまったく計算してなかった。この世界観の中であのキャラがどこまで動けるのかと思ったけど、柏葉監督のおかげでちゃんとした野球漫画になりました。漫画の世界観が変わったからね。これは基本に忠実な、正しい悪役の登場の仕方。「タッチ」の後半が動き出したのはこの男のおかげです。
(中略)
 柏葉英二郎については、うまくストーリーが動かなければ、いくらでもギャグで逃げられると思ってましたから。逃げることにはなんの衒いもなくて、いざとなったら逃げちゃえという覚悟は常にあります。この漫画に関しては、そういう賭けが平気でできた。
〔参考文献1〕

最後に取り上げるこの二人の重要人物は、あとのことを考えて出したわけではなく、とりあえず出してみただけのキャラクターだった。その結果、この二人は物語の内容に深く関与し、また名作として読み継がれる要因となっていった。
「ほんとか? そうは言っても、あだち充は計算してたんだろ?」と思う人もいるかもしれない。しかし、これまでこの連載で取り上げてきたように、あだち充という漫画家はフリージャズ的な週刊連載の進め方で、その週ごとに読み切りを描くように漫画を描いてきた。
結果としてあまり必要ではないキャラクターは知らずといなくなっていくし、原田や柏葉のように存在感が増してくる者もいる。彼らはおのずと「単一神話論」あるいは「英雄神話構造」的な物語に必要なキャラクターに成長していったのだろう。この部分に関しては、やはりあだち充という漫画家は感性の天才だということにつきる。
理詰めで考えるのではなく、漫画を描いていく中である程度自由に振り幅のある物語を展開させていける。そして、アドリブのように出したキャラクターが作品において必要とするポジションを担うようになっていく。

『タッチ』という作品は、年代ごとに読んで感じるものはかなり違ってくるはずだ。年齢を重ねれば当然親の視線になったりもするだろうが、十代の頃には読めていなかった部分やキャラクターの魅力もわかるようになってきたりもする。個人的には一番最初に読んだ小学生の頃とまったく印象が変わったのが原田正平だった。
登場初期はいわゆる番長的なキャラクターであり、強面の顔はどこか1970年代の劇画的な雰囲気も持っていた。喧嘩の強さは折り紙付きで、他校の生徒からも何度も喧嘩を売られていたりして、同級生たちにも恐れられている存在だ。だが、子分や舎弟を引き連れて行くようなことはせずに基本的には一匹狼だった。それでも、高校のボクシング部ではキャプテンを務めることになる。
原田正平は基本的には上杉和也とは絡んでいない。毎日甲子園を目指して練習に明け暮れ、勉強もできる優等生だった和也とは距離があったと思われる。兄の達也はその逆で、部活もしておらず勉強もさほどできずにブラブラしており、原田としても接点の持ちやすい存在だったのだろう。
あだち充がインタビューで答えているように、原田は達也を導く存在として次第に物語には欠かせない存在になっていく。

原田正平の初登場はコミックス3巻の「だれが悪い子」の巻からであり、中等部3年の3学期という高等部進学まで残りわずかという時期だった。そこから高等部入学までの6話分は喧嘩の強い原田というキャラクターを自由にさせて、メインの達也と南に絡ませて物語を進めている。この時点では原田正平は物語に大きく絡んでくるようにはまったく思えないのが正直なところだ。
高等部に進学すると達也と和也と南、そして原田と孝太郎、達也とつるんでいた初期の友人全員が同じクラスになる。
原田はある少女が不良に絡まれているところを助けるが、その少女は和也のライバルでもある西条高校3年のエース・寺島の妹だった。彼女が原田にお礼を言いにきて以降、物語は和也の死に向かって大きく動きだす。和也が交通事故に遭った日の決勝戦の相手は西条高校であり、原田が準レギュラーのようになってから、高校編は本腰が入っていくとも言える。

「みゆき」に関しては、ちゃんとまともな人物はひとりも出てこない。「タッチ」の登場人物、原田正平みたいに、まともなことを言うやつも誰もいなくて、誰も誰を戒めることもない。〔参考文献1〕

彼がいることで登場人物たちが欲望のままに動かないようにもなっていた。前回も取り上げた「単一神話論」から原田正平を当てはめて考えてみると彼の存在がよりわかりやすくなる。

第一幕 出立
Step 1 冒険への召命
Step 2 召命の辞退
Step 3 超越的なるものの援助
Step 4 最初の境界の越境
Step 5 鯨の体内
〔参考文献2〕

上杉達也は野球部に入ろうとしたが、南がマネージャーとして入部したことを知り、入部寸前のところでやめてしまう。これは【Step 2 召命の辞退】になる。

 現実生活においては頻繁に、神話や通俗物語においては稀有というわけではない程度に、召命に応じないというしらけた事態に遭遇する。それというのも、他の関心に耳を貸すのがいつの場合だって可能だからである。召喚の辞退は、冒険をその否定態に転化する。倦怠、激務、ないしは「日常生活」にとり囲まれてしまえば、当の主体は有意な肯定的行為の力を喪失し、救済されるのを待ち侘びる犠牲者ともなろう。
〔参考文献3〕

双子の弟である和也がいる野球部に入部するというのは、達也にとってはそれまでずっと逃げ続けてきた問題であり、彼にとっては大人になる最初の一歩だったが、自ら逃げ出してしまったかたちとなった。
どこかで大人になりたくないと思っていた達也の内心を表すような展開だが、ここで【Step 3 超越的なるものの援助】として手を差し伸べるのが原田正平である。この原田の役割は「贈与者」と呼ばれる存在だ。

 召命を辞退しなかった者たちが英雄として征旅におもむき最初に遭遇するのは、庇護者(しばしば矮小な老婆、老人)の身なりをしてあらわれる者である。この身なりをした者が、冒険に旅立った者のいままさに通過せんとしている魔の領域で身を護ってくれる護符を授ける。
〔参考文献3〕

原田が『タッチ』においてまともなことを言い出すのは、野球部に入部しようとしたが諦めた達也を強引にボクシング部に入部させてからになる。
新入部員歓迎スパークリングで先輩にボコボコにされる達也。原田は仇を取るかのように、すました表情で達也をボコボコにした先輩部員を圧倒的に打ち倒す。その帰り道、原田に肩を貸してもらってなんとか歩いている達也とのやりとりが以下のようなものになる。

「なんなんだよ これは……」
「おまえはすこし殴られる必要があるのさ。」
「なんだァ?」
「でなきゃ、おまえからは殴らねえだろが………」
〔コミックス4巻「南の日記にはの巻」より〕

帰宅後に南になんでボクシング部なんかに入ったのかと聞かれたやり取りの中で、達也は「自分から殴れるようになるまでさ」と答える。
原田は、前述したあだちの発言のように、達也のキャラクターを読者に伝えながらも、成長を促していく存在になっていく。
和也が交通事故で亡くなる第一章の終わるコミックス7巻の「泣いてたよ」までだけでも、原田は達也のそばにいてずっと助言のように、達也の痛いところをつく発言をして彼を鼓舞し続ける。
和也が死ぬことは最初から決まっていた。原田は彼が死ぬことが運命づけられていたからこそ、達也を導く役割を自然と担っていったのだろう。同時に和也にとって、原田は死神のような存在だったのかもしれない。和也が亡くなるまで原田は達也を鼓舞するが、そのセリフによって物語がドライブしていき、どうしても和也が物語から退場するしかない流れをあだちは作り上げていった。


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