分析哲学研究者・小山虎さんによる、現代のコンピューター・サイエンスの知られざる思想史的ルーツを辿る連載の第9回。これまで中欧からアメリカに渡った学問や思想の潮流や担い手たちを辿ってきましたが、今回は知の生産を担う「大学」制度に光を当てます。宗主国イギリスのカレッジ制度を範に出発したアメリカの大学は、南北戦争後の「ドイツ化」の波を経て、次第に独自の発展を遂げていきます。
小山虎 知られざるコンピューターの思想史──アメリカン・アイデアリズムから分析哲学へ
第9回 アメリカにとって大学とは何か〜アメリカにおける大学観の変遷
どうしてENIACは大学で開発されたのか?
コンピューターの歴史にその名を刻むENIACが開発されたのはペンシルバニア大学である。現在の視点からすると、大学がコンピューターを開発することに何の奇妙さも見出されないだろう。じっさい、Google、Apple、MicrosoftといったIT界の巨人たちはみな、その誕生の物語が大学と結びついている。
しかし、改めて考えてみると、今となっては常識にしか見えないことにうちに隠れているミステリーが浮かび上がってくる。例えば、試しに考えてみて欲しい。ENIACが高校で開発されるなどということは、ちょっと想像できないのではないだろうが。もちろん、小規模のものなら高校でも可能だったかもしれないが、周知の通り、ENIACは巨大であり(設置には167平方mのスペースが必要だったという)、開発のためのスペースを確保することすら容易ではない。しかし、なぜ高校では不可能なものが大学では可能になるのだろうか。もし大学が高校卒業後に学ぶ次の学校に過ぎないのなら、高校と同じような困難があるはずである。問題はスペースだけではない。開発のための予算がどこから入手するのか。誰が何のために開発するのか。大学では中学や高校とは違って、こうしたことは問題にならない。その理由はなぜかというと、大学は教育だけではなく、研究もおこなう機関だからだ。
くどくど述べたが、大学では教育とともに研究もなされていることは、大学院に進学した人や理系の研究室に所属したことのある人には、改めて述べるようなことではないだろう。だが、ここで立ち止まらず、さらに考えて欲しい。どうして大学では、高校までと異なり、研究もおこなわれているのだろうか。そもそもどうして学校で研究もする必要があるのだろうか。
コンピューター誕生の背景には、今となっては当たり前の、「研究機関としての大学」の存在がある。だがそれは、大学という制度が誕生した当初からのものではなかった。コンピューター、そしてコンピューター・サイエンスという学問は、アメリカに「研究機関としての大学」が根づいたことによって初めて誕生したものだ。今回はこのことに焦点を当ててみたい。
大学の歴史〜世界最古の大学からアメリカ最古の大学まで
大学の歴史は古い。世界最古の大学と言われているのはイタリアのボローニャ大学であり、11世紀に設立されたとされている(正確な年月は残されていない)。ボローニャに続くのはパリ大学、そしてオックスフォード大学であり、13世紀までにはヨーロッパの各地で大学が設立されたことがわかっている。ただし、ややこしいことに、設立当時の段階では、これらは大学とは言えない。まだ大学制度が確立されていなかったからだ。
じつのところ、設立された時点では、ボローニャ大学もパリ大学も当時世界各地にあった学校のひとつに過ぎず、世界最古と呼べる要素は何ひとつない。日本では、奈良時代(8世紀)の時点で「大学寮」と呼ばれる学校があり、大学寮で教える役職として「博士」が設置されている。その意味では、日本の「大学」の方がヨーロッパよりよっぽど歴史が古いのである。
もちろん、その名称だけを理由に、日本にはヨーロッパよりも古くから大学があった、と言うのは無理が過ぎる。事態は単に、明治期にヨーロッパから大学制度が輸入された時に、奈良時代に存在した由緒ある言葉を訳語として利用した、というだけである。そもそもヨーロッパでも、ボローニャ大学ができるよりもずっと前から同じような学校は存在した。ボローニャ大学は法学校として始まるが、もちろん最初の法学校ではない。ローマにはそのずっと前から法学校があった。では、どうしてボローニャ大学は最古の大学だとされるのだろうか?
13世紀に入ると、こうした各種学校のうち一定の基準を満たしたものに対して、ローマ教皇が「大学」として認可を与え始める(といっても、まだ「大学(university)」という名称は用いられていないのだが)。最初に認可されたのはフランスのトゥールーズ大学、次がモンペリエ大学。それ以前から名声を獲得していたボローニャ大学やパリ大学も負けじと認可を求め、無事認可される(奇妙なことに、オックスフォード大学は何度か認可を求めたにもかかわらず、結局一度も認可されることがなかった)。ローマ教皇による認可はその後、ヨーロッパ中に広まっていく。こうしてローマ教皇から認可を得た大学のうち、もっとも古くから存在していたことが確認されているのがボローニャ大学だ。ボローニャ大学が最古の大学とされるのは、このような理由からなのである。
ローマ教皇が認可していたということからもわかるように、初期の大学で重要な地位を占めていた学問は神学だった。13世紀ごろ、教会の神父やその上の司教になるためには神学をしっかり学ぶことが求められるようになり、そのための「品質保証」をしてくれる学校を定める必要が生まれていたのだ。その後もずっと、聖職者を育成することは大学の大きな役割として残り続ける。今の日本の大学でも神学部を持つものがあるぐらいだ。
現代の日本に生きる我々にはイメージしづらいが、建国当時のアメリカでひとつの問題となったのは聖職者の育成だ。前回の連載でも少し触れたが、アメリカ建国はピューリタンたちによって始められた。毎週日曜には教会の礼拝に参加するような敬虔なキリスト教徒である彼らの生活にとって、聖職者は不可欠である。そして上述のように、聖職者になるには大学で必要な課程を修了する必要があった。こうした理由により、当時のマサチューセッツ入植地政府は大学の設立を決定する。1636年のことだ。だが、大学のための土地は確保したものの、大学設立を進めるための予算が足りず、計画は頓挫する。
2年後、状況が変化する。ジョン・ハーバードという人物が、大学設立のためとして莫大な遺産を寄贈するのだ。その額は入植地政府の1年間の予算に相当するほどだったという。こうしてアメリカで最初の大学が設立される。それがハーバード大学である。ジョン・ハーバードはイギリス生まれであり、ケンブリッジ大学の卒業生だった。だからハーバード大学はケンブリッジ大学をモデルとして設立される。ハーバード大学が立地する土地の名前もまた、「ケンブリッジ」へと改称される。
「カレッジ」と「大学」の差〜植民地時代のアメリカの大学
エマニュエル・カレッジ(ケンブリッジ大学)の礼拝堂にあるジョン・ハーバードの記念碑
Dolly442 at English Wikipedia / CC BY-SA
ハーバード大学はケンブリッジ大学をモデルとしていたが、ケンブリッジ大学全体ではなく、その一部だった。少し細かい話になるが説明しておこう。大学制度は国ごとの違いが大きいため、日本の大学のイメージで捉えていると簡単に誤解してしまうからだ。
ケンブリッジ(およびオックスフォード)大学は、世界でも数少ないカレッジ制を採用した大学である。ざっくりいって、日本の大学が文学部や理学部などの学部によって構成されているのに対し、カレッジ制の大学は学部の代わりにカレッジによって構成されていると理解しておけばよいだろう。
学部とカレッジはある点ではよく似ている。例えば、日本の大学では学部ごとに歴史が異なる。例を挙げると、山口大学で最も古い経済学部の来歴は1905年設立の山口高等商業学校にまでさかのぼるが、最も新しい国際総合科学部が設立されたのは2015年である。一方カレッジ制の大学であるオックスフォード大学で最初にカレッジとして認められたのはマートン・カレッジであり(1274年)、最も新しいカレッジであるパークス・カレッジの設立は2019年である(ちなみに2020年6月現在でまだ一期生すら入学していない)。また、学費や予算、定員が学部ごとに異なるように、カレッジごとに学費や予算、定員もまちまちである。
このようにカレッジは学部と似ているが、最大の違いは、その名称からもわかるように、分野別ではないことである。
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