今朝のPLANETSアーカイブスは、本メルマガで連載していた「〈思想〉としての予防医学」著者の石川善樹さんと、『イシューからはじめよ』著者にしてヤフー・ジャパンCSO・安宅和人さんの対談記事の前編をお届けします。
ビジネスと学術を股にかけて活動する気鋭の二人が語り合うのは、日本社会にはびこる「根性論」の撲滅について。対談の前編では「そもそも私たちは根性が好きなのだ」という仮説から始めて、その具体的な解決策を論じていきます。
※この記事は2016年4月11日に配信した記事の再配信です
予防医学研究者・石川善樹さんが6月9日(火)開催のイベント「遅いインターネット会議」に出演されます!
【イベント概要】
6/9(火)石川善樹「予防医学者の考えるコロナ危機から学ぶべきこと」
パンデミックをインフォデミックが補完する悪夢はいつ終わるのか。予防医学者でありながら、組織論から幸福論まで広く社会に提言を続けてきた石川善樹さんをお招きし、コロナ危機からいま人類が学ぶべきことについて議論します。
イベント詳細・お申し込みはこちらから。
そこで改めてお二人に対談をお願いした次第ですが、話の取っ掛かりにしたいのは、安宅さんが『イシューからはじめよ』の帯に「根性に逃げるな」と書いていることなんですよ。まず、安宅さんが「イシュー本」を書くときに、根性論をひとつ標的に定めようと思った理由を聞いてみたいんですね。
安宅 こと仕事という観点で、なぜ根性論がそんなに嫌なのかという話をするなら、やっぱり労働時間で勝負しようとするようになるからですね。で、根性があったからアイツは成功したんだ、みたいな言い方が世の中にまかり通っている。
これの何が良くないかというと、実際に根性出して頑張ると、成功してしまうんですよ(笑)。
ただ、そういう人たちはだいたい一度は身体を壊している。で、身体を壊したところで、はたとマズかったと気づく(笑)。逆に気づかなかった人は成功していません。つまり、成長したのは根性でやっていたからではなくて、途中で「あれ、もしかして重要なのは根性じゃないのかな?」と気づくことにあるわけです。大事なのは、根性を出して頑張る過程で気づくことにあるんです。
石川 なるほど。
安宅 でも、それって実にバカバカしい話だと思うわけですよ。
あともう一つ言うと、根性論というのがあんまり役に立たないというのもあるんですよ。例えば、この国の人は習い事が好きですよね。なんとか検定とか。
石川 まさに資格なんて根性論の最たるものだと思いますけど、本当に日本人は好きですよね。休日にカフェに行くと、資格の勉強をしている社会人が実に多い。
宇野 サラリーマン時代、勤めていた会社の近くにある本屋に、昼休みなんかに行くじゃないですか。そうすると、近所の金融機関に務めているOLたちが、制服を着たまま思いつめた表情で語学のコーナーにいるんですよ(笑)。
たぶん彼女たちは、なにか変わった自分になりたくて、とりあえず価値のあることをやろうと思った結果、その語学勉強テキストのコーナーにいたんだと思うんです。でも、本当にそうだったら、そんな語学や資格のコーナーになんていないで、むしろその周囲にある本をもっと立ち読みすればいいのに、と当時の僕は思っていましたね。
安宅 僕が出席している集まりでも、とにかく「データサイエンティストの資格化はできないだろうか」みたいな話が繰り返し出てきます。ただ、例えば10億単位のデータの環境を構築する、あるいはそのレベルのデータをキレイにする、これらを使って意味合いを出す、というようなスキルが、試験で分かると言うのはいくらなんでも難しい、と思うのです。そもそも能力を見るために、特別な環境とデータハンドリングにかなりの時間が必要なスキルですので……。
石川 結局、資格の勉強って、いま自分が着実に前に進んでる感じがあるんじゃないですかね。
安宅 ですね。それはわかります。
人間はなぜ根性論が好きなのか
宇野 でも、今の話は、今日の「根性論」の話の結構重要なポイントなんじゃないでしょうか。そもそも根性論を撲滅するためには、なぜそれが世の中にこれほどはびこっているのかを考えなければいけないと思うんです。それで言うと、どうも僕が見るに「根性論」には、独特の快楽があるんですよ。
つまり、イシュー本で安宅さんが「犬の道」と呼んだような道を人々が歩くのは、適度に刺激や負荷がかかった状態で、ダラダラと同じことを反復するときの、あの“ぬるま湯”に浸かるような麻薬的な快楽があるというのが大きいんだろうと思うんです。まずは、そこから議論を始めるべきなんじゃないかと思いますね。
安宅 そういう側面はあると思います。
特に日本人にそういう傾向があるのは、一つは幼少時の教育ですね。結果じゃなくて努力を褒めるように指導する教育論があるでしょう。もちろん、教育学的に正しい面も多々あると思いますが、あれをやられすぎると「何かをやること自体に価値がある」という価値観に近づいていくんです。
宇野 でも、それはいわば工業社会下において、そういう教育が最適解だったからという話でしかない気もしますね。むしろ、今後の社会に対応した教育をしていく中で自然に解消していくような気もします。
石川 もう一つ、そこに「レールの議論」というのもあるんだと思います。
日本という国は社会にレールを敷いているじゃないですか。そこに乗れば、20年学んで、40年働いて、その後20年休めばいい、という安全な人生が一つあるわけですよ。その世界観の中では、人生は一本の細いレールであって、その上で努力しさえすればいい。
でも、そのレールから外れたらヤバイことになる。どのくらいヤバイかというと、Googleで「日本 レール」と調べると、サジェスチョンに「外れる」と出てくるんです(笑)。
一同 (笑)
宇野 鉄道関係を検索している人よりも、それを検索する人のほうが多いってことですよね(笑)。
安宅 マシンラーニング(機械学習)の結果にそれが現れているというのは、実に暗い結果ですね(笑)。
ところが、本当は色々なレールが人生にはあるわけですよ。
よく僕は事業戦略の講義なんかをやるんですが、そこで「戦略なんて手段にすぎないのであって、目的地に行く方法なんていくらでもあるんだ」と言うと、みんなビックリする。
でも、そんなのは当たり前の話でしょう。人生だって同じことだと思うのだけど、「目的地に向かうレールは何本もあってもいい」という発想が出てきにくい社会になっているんでしょうね。でも、これは(かつて10年あまり過ごした)マッキンゼーのような会社のヒトでも、そういうところがありましたからね……。
石川 前に映像作家の蜷川実花さんと話したときに、「数学なんて0点だったし、勉強なんてしたくなかった」と言っていたんですよ。ところが、話している最中に彼女が「私、今日息子に怒っちゃったんです」と言うから、理由を聞いてみたら「公文式をちゃんとやってないから」と言うんです(笑)。
安宅 あなた、自分が数学は0点だったと言ってたじゃないか、と(笑)! ちなみに僕、蜷川さんの写真、大好きです。
石川 彼女はアーティストして大成功した人ですけど、その道がいかに険しい道であるかもよくわかるわけです。周りの人がどんどん落ちていった姿も見ていたわけですし。そのときに、子供には「やっぱ公文やらせた方がいいのかな」となったんだと思います(笑)。
やっぱり蜷川さんほどの人でも、レールから外れてアーティストの道を行ったあげくに、そこで失敗してしまうことには怖さがあるということだと思うんです。そのとき、レールに上手く乗って、あとは根性で努力を積み重ねるのが確実だという発想になったのだと思うんですよ。
やっぱり蜷川さんほどの人でも、レールから外れてアーティストの道を行ったあげくに、そこで失敗してしまうことには怖さがあるということだと思うんです。そのとき、レールに上手く乗って、あとは根性で努力を積み重ねるのが確実だという発想になったのだと思うんですよ。
安宅 まあ、人間は無意味な時間を過ごしたくないというのはあるんです。
そういう意味では、ちょっとずつ確実に前に進んでいる幸せというのはありますよね。真剣に考えれば、この場所に真っ直ぐ向かうことに価値があるという場合でも、なんとなく目の前の遠回りの道をコツコツ歩む、あるいは実はゴールから離れていく道を、そのことを意識することなく進んでいくことを選んでしまう。
石川 遠くに目標を置くのは、人間は苦手ですからね。
「根性論」の歴史学
石川 少し歴史的な話をすると、「根性」という概念が初めて登場したのは近代のイギリスなんです。というのも、19世紀までの世界はほとんどが田舎で。田舎では「根性」よりも「規範に従うこと」の方がよっぽど大事だったんですね。根性論に通ずるような努力の概念は、そういう場所では生まれないんです。ところが、産業革命が起こって、都市が生まれると状況は変わってくる。
都市というのは「頑張った者勝ち」の世界なんですよ。そうなると、人間は「規範」から抜け出して、そこで相手を出し抜こうとする。そういう状況下で登場したのが、サミュエル・スマイルズの『自助論』という本です。この『自助論』には偉人たちが300人ぐらい出てくるのですが、彼らが偉人になった理由の説明は、すべて「頑張った」から(笑)。
安宅 (笑)
石川 例えば、「どうしても朝起きられなかった人が、召使いに毎朝水をバシャーっとかけて起こしてもらうようになって、それで朝活の勉強を頑張ることで偉くなった」とか、もうそんな話ばかり(笑)。ちなみに、この本は日本にも『西国立志編』という題名で訳されて、明治時代の『学問のすゝめ』と並ぶ二大ベストセラーになっています。これはいわば日本人の道徳の教科書になった本でもあって、スマイルズの根性論は直接的に日本にも届いているんですね。
安宅 でも、それって平和な時代の思想でしょう。
頑張ればなんとかなるように道が見えているときは、それでもいいですよ。正しいあり方が一個しかないときは、まさに「頑張れ」で行けるんだと思うんですよ。でもイノベーションが起きて、変化が起きていく時代には、そういう発想は通じないでしょう。万単位のデータ処理がスプレッドシートで一瞬ででき、人工知能が高速で情報の自動処理をしていく時に、丁寧に人手で頑張っても勝ちようがないというか。
石川 まさに、そうなんです。その意味で、この「根性論」のマズさに最初に気づいたのは旧ソ連でした。
ナチスドイツの「スポーツ」「セックス」「スクリーン」という3Sがあって、国家の威信のためにスポーツを頑張るという文化が国際的に広まってから、かなりの長いあいだ「長時間、一生懸命練習して、たくさん競争すれば強くなる」というパラダイムが続いていたんです。でも、それをやると、けが人や燃え尽きる人が続出するんですね。
そこで旧ソ連では1950年代に「スポーツサイエンス」の分野を始めたんです。そこで彼らが発見したのは、トップアスリートとそうでない人の違いは、実は根性論でストレスをいかにかけるかにはなくて、むしろ「リカバリー」の仕方にあるという事実だったんです。
たとえばテニスって、一試合のうち実際にプレイしている時間は35%ぐらいなんですよ。
安宅 残りの65%はなにをやっているんですか?
石川 ポイントとポイントの間で、次のプレイの準備をしてるんですよ。
そして、その間が実は一番長いんですね。そして、トップランクとそうでない人の違いは、このポイントの間にうまくリカバリーできているかなんです。ポイントで一喜一憂するのは仕方ないとして、どうやって元に戻るのか。そこでリカバリーのルーティンを持っている人は強いんです。
宇野 なるほど。
石川 たぶん、これって仕事でも同じなんですよ。我々が実際に仕事をしている時間も短くて、実は次の仕事をするための準備の時間のほうが長いでしょう。だからこそ、仕事の疲れのリカバリーをそこできちんと取っている人はパフォーマンスが高くなっていく。
安宅 実際のところ知的ワークだと、いっぱい休んでいて、何に時間を使ってるかわからないヒトの方が生産性が高かったりするのはザラですよね。逆に、朝から晩まで働き詰めのタイプのヒトが知的にプロダクティブなのは見たことないです。
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