ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春」。第10回では『陽あたり良好!』を取り上げます。『ナイン』と同時期に少女誌で掲載されたこの作品は、週刊少年サンデー復帰の代償に打ち切られた悲運の作品ですが、その不完全さゆえに、あだち充の作家性の本質が露呈した作品でもありました。
ブレイク後のあだち充と少女漫画
少年サンデー増刊号1978年10月号から『ナイン』の連載が開始され、あだち充は不遇に見えたデビューからの低迷期を脱していく。70年代の劇画に溢れていたマチズモに対するカウンターにもなっていた『ナイン』は、当時の10代の読者から熱狂的に支持され、あだちは自分の描く漫画に自信を持ちはじめていた。
そんな『ナイン』でのブレイク中に、少女コミックで組んでいた編集者の都築伸一郎と新しく始めた連載が『陽あたり良好!』だった。
▲『陽あたり良好!』
この作品は1980年2月号から開始されている。『ナイン』は1980年11月号で終わるので、それまでの間、あだちは少年誌と少女誌で並行して連載をしていたことになる。
80年代になると、かつての手塚治虫や石ノ森章太郎などのような、少年誌と少女誌の両方で連載している漫画家はほぼいなくなっており、あだち充はその点でも稀有な存在にもなっていた(この自身の状況については『陽あたり良好!』の後半、クイズ番組に出演する回で「では問題です。少年まんがと少女まんがの二またをかけ大活躍の美男子まんが家は?」「正解はあだち充」というネタにしている)。
『ナイン』には後のあだち作品の原型となる部分が数多く見られるが、この『陽あたり良好!』にも、後のあだち作品のベースとなった要素が多く含まれている。この両作品で得られた手応えが、後の『みゆき』『タッチ』といった大ヒット作への大きな足がかりになっていったと考えられる。
だが、『陽あたり良好!』は、あだち充作品で描かれることが通例の「高校3年生の秋」まで辿り着けずに最終回を迎えた作品となってしまった。その理由は前回も触れた通り、『みゆき』の大ヒットでエース漫画家として期待されるようになったあだちが、週刊週刊サンデーでの連載を編集部から強く求められたことによる。そうして始まったのが『タッチ』であり、その影響で終わることを余儀なくされたのが、この『陽あたり良好!』だった。
週刊少年サンデーから放逐され、少女コミックで漫画家として生きながらえていたあだちは、『タッチ』によってサンデーに帰還し、同時に少女コミックからは去ることになる。
しかし、あだち充と少女誌の繋がりはここでは終わらない。
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