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今朝のメルマガは、ゲーム評論家の中川大地さんによる論考をお届けします。近年勃興しつつある「ゲーム学」は、人類史・文明史をいかに読み替えるのか。ホイジンガやロジェ・カイヨワの〈遊び〉の議論を、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』『ホモ・デウス』と接続することで切り開かれる新たな地平を展望します。
※本記事は、上海・澎湃新聞の日中韓ゲーム批評特集に掲載された「中川大地:规则与虚构交织的人类文明发展」(中沢新一・中川大地編『ゲーム学の新時代』(NTT出版)掲載の論考を改稿)の翻訳前の原稿を転載したものです。

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▲『ゲーム学の新時代 遊戯の原理 AIの野生 拡張するリアリティ

情報技術(IT)が現代社会のインフラとして普及して以降、遊びとゲームは、急速に人々のライフスタイルや社会の在り方を変えつつある。それは、人々が日常的に接するモバイルゲームやeスポーツといったデジタルゲーム産業が拡大しているということだけに留まらない。かつてオランダの歴史家ヨハン・ホイジンガやフランスの文芸批評家ロジェ・カイヨワが指摘したように、遊びという営みには本質的に、人間が生成する文化や文明を駆動する作用としての側面がある。その遊び本来の力が、第二次世界大戦を機に20世紀後半から飛躍的な発展を遂げたコンピュータテクノロジーによって大きく押し進められ、現代のゲーム産業の隆盛に結実していく様子を、筆者は日米のデジタルゲームの発展史を辿った著書『現代ゲーム全史 文明の遊戯史観から』にて素描した。
そのようなデジタルゲームの発展を背景に、現在の世界では北欧圏などを中心に、ホイジンガやカイヨワの問題意識を継承して、ゲームが持つ人文学的な本質をより精緻に探求しようとする「ゲーム・スタディーズ」という学問分野が盛んになっている。

まず、文明とテクノロジーをめぐる現在の世界の思潮動向を確認しよう。
筆者が〈複合現実の時代〉(注1) の幕開けと位置づけている2020年を間もなく迎えようとする現在、インターネットの普及がもたらしたディープラーニング以降の第三次AIブームによって、現在の社会思想では未来学者のレイ・カーツワイル等のシンギュラリティ論への是非が共有されるようになり、幅広く人口に膾炙するようになっている(注2) 。米欧主導のリベラル・デモクラシーの理念の結晶としての解放的なIT思想であるカリフォルニアン・ イデオロギーが、資本主義のオルタナティブ運動としてのマルクス主義に代わって世界を変えてきたのがこの半世紀の流れだったが、卑近な流れとしては中国の国家主導のIT化で「デジタル・レーニン主義」(セバスチャン・ハイルマン)が台頭しようとしていることが、テクノロジーのもたらす将来像に不安を与えている。

こうした当世の未来学のスタンダードになっているのが、『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』で世界的ベストセラーとなったイスラエルの歴史家ユヴァル・ノア・ハラリの議論であろう。人類学を中心とする最新の人間諸科学の知見を総合し、文明の発展と人類の過去と未来を巨視的なスパンで見据えた彼のアジェンダ・セッティングの洞察は有益だ。そこで提示された、7万年前に起きた認知革命以来の農業革命、科学革命といったいくつかの転換点を経て、人類の多くがテクノロジーの管理者としての「ホモ・デウス」か、ビッグデータの提供者として管理される「無用者階級」かに分断されるといったペシミスティックな描像は、たしかに容易に否定しがたい説得力を持っている。
ただ、今世紀になってから蓄積されている世界のゲーム学における様々な議論や知見は、そうした未来像とは別のシナリオを示唆する方向にも接続可能な芽を懐胎しているようにも思う。よって、本稿ではハラリの枠組みを批判的に検証し、人類史の根源的な捉え直しを行っていきたい。

1 認知革命から始まったフィクションとルール構築の相互作用


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