SHOWROOMを率いる前田裕二さんの連載「仮想ライブ文化創造試論 ―“n”中心の体験設計―」。第4回の前編では、「なぜGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)は『可処分精神』を奪えていないのか」との問いを立脚点に、「ヒト」「物語」「教祖」など可処分精神を奪う上で最重要となる構成要素を洗い出していきます。その過程で浮かび上がるのは、「人間は一人きりで〈自分の物語〉を語ることができない」というシリコンバレーに欠落する人間観、関係性への視点です。(構成:長谷川リョー)
GAFAは「可処分精神」を奪えていない
宇野 前回は、SHOWROOMをパブリックとプライベートの中間にあるメディアと位置づけて議論してきましたが、今回は「可処分精神」の所在を議論していきたいと思います。まず前提としてこの問題は「ディズニー的なもの」と「Google的なもの」との対立で考えていきたい。前者は20世紀的な映像文化の現在形で、後者は21世紀的なインターネット文化だとひとまずは言えますね。そして、前者のディズニー的なもの、つまり20世紀的映像文化は、どんどん「1年に1度の打ち上げ花火」の方向に行こうとしている。その一方で、Google的なものは、元社内ベンチャーのナイアンティックが開発した『Pokémon GO』に象徴されるように、人々の隙間の時間を奪おうとしている。そして、ここで第3の潮流として、Netflixに代表されるサブスクリプション・サービスについて考えたい。これらはいわばディズニー的なものと、Google的なものの中間の抽出を試みている。つまり、かつての週1の雑誌的なものやテレビ番組的なものが、いかなる形態で生き残れるかを試行錯誤しているとも言えるわけです。
前田さんがいう「可処分時間から可処分精神へ」は、今話したようなエンタメビジネスやBtoCサービスの世界に閉じた話ではなく、労働問題ともパラレルであると考えられます。20世紀の工業社会では、ブルーカラーもホワイトカラーも、いかに「人間」という歯車の力を効率よく集約して回すのか、つまり「タイムマネジメント」を基準に生きていた。ところが、情報社会においては生産性の定義が変わり、目に見えない付加価値に基準が置かれるようになる。同時に、人々の価値の中心が〈モノ〉から〈コト〉へと移行するパラダイムシフトが起きた。その結果、落合陽一くんがよく言っているように、労働の世界ではタイムマネジメントよりもストレスマネジメントが大きな鍵とされるようになった。こうした「〈モノ〉から〈コト〉へ」や「タイムマネジメントからストレスマネジメントへ」といった変化と同じ意味において、現象としての「可処分時間から可処分精神へ」が生じているのではないか。
近代社会では、ありとあらゆる価値が「時間」という絶対的な基準によって決められていたが、今後は時間よりも、たとえば「気持ち良いかそうでないか」といった価値に重きが置かれるようになっていくのではないか。だからこそ「可処分時間から可処分精神へ」というテーゼは、単にエンタメの世界でいかにユーザーに課金させるかという問題を超えた大きな議論だと思います。
前田 まずは「なぜ時間から精神に移行するのか」そして「GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)は精神を奪えているのか」を考えてみたいと思います。
後者の結論から言ってしまえば、現状で精神まで到達しているプレイヤーはいないと感じています。「精神が奪われている状態」とは継続的にそのことを考え続けてしまうこと、要はマインドシェアの話です。分かりやすい例は、宗教や恋愛。なんらかの宗教に属している人は継続的に一定のマインドをその宗教に割いている状態で、意思決定の判断軸になっています。恋愛も同様に、付き合いたての恋人が居るときには四六時中その人のことを考えてしまい、他のことが手につかなくなってしまう。他にも西野(亮廣)さんや箕輪(厚介)さんが主宰するオンラインサロンも同じモデルだと思います。サロンメンバーはなにをするにも自身の行動の判断基準としてサロンオーナーの優先順位を高くするので、一定以上のエンゲージメントがある。だからこそ、高単価の直接課金が可能になっていると思います。
話を戻すと、GoogleやAmazonが提供しているものはあくまで「利便性」や「機能」に留まっているため、精神を奪うには弱い。Googleのことばかりを考えてしまいドキドキすることは絶対にあり得ない。一方、Appleは自らをテクノロジーメーカーではなく、高級ブランドと再定義しています。それにより、GAFAのなかでもAppleは可処分精神を奪えている存在にみえるのですが、僕はAppleが実際に奪っているのは「可処分所得」であると考えています。なぜなら、彼らが可処分精神を奪う際に使うのは〈モノ〉であり〈ヒト〉ではないから。Facebookも同様、僕らの親指があの青いアイコンの上でドキドキして震えることはないし、なんとなくフィードを見ているに過ぎない。だからこそ、僕らのようなアジアのプレイヤーが世界に打って出て勝つために、〈ヒト〉の可処分精神を奪い、結果として可処分時間や可処分所得を獲得する方法があると考えています。
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