今朝のPLANETSアーカイブスは、本誌編集長・宇野常寛が受けたインタビュー記事の再掲です。同人誌「PLANETS」の時代から、一貫してサブカルチャーを通して現代の社会のあり方を見つめてきた宇野常寛。「自分の物語」が優位な時代となり、社会とサブカルチャーの関係が大きく変化するなかで、他人の物語を活かし方を考えます。(取材・文 吉田隆之介/初出:「WASEDA LINKS vol.35」)
※本記事は2018年3月1日に配信された記事の再配信です。
「未来は明るいか」と問われたときに、首を縦に振ることをできる人はどれだけいるだろうか。テレビや新聞を見ても、一向に解決しない政治や社会、国際情勢の問題が日々伝えられ、ネットを見ても揚げ足を取り合うだけの炎上が繰り返されている。そして、その閉塞感は日々の生活にも波及してきている。おそらく、多くの人が日常において希望を見出せていないのではないのだろうか。息苦しさを感じる日常を変えるべきか、それとも目を背けて問題を先送りし続けるのか。私たちはそのような分岐点に立たされていると言えよう。
日本において日常を変えることを選び、社会や文化を面白いものにしていこうとしている人物がいる。評論家の宇野常寛氏だ。彼は日本のサブカルチャーやフィクションを通して時代を見据え、現代社会をよりよく作り変えるための提案を発信し続けている。
本企画では、宇野氏に「私たちはどのように現実の問題と向き合い、日常を変えていけばいいのか」ということを伺った。
――宇野さんは同人誌「PLANETS」や評論デビュー作『ゼロ年代の想像力』の頃から一貫して、サブカルチャーを通して現代の社会のあり方を見つめていらっしゃいます。そのような活動をしていこうと思った背景はどのようなものでしょうか。
70年代から90年代くらいまでは、時代の空気を敏感に察知することはサブカルチャーを語るということとイコールだったからなんです。
理由は二つあって、まず、あのころは、今よりも若者が社会の主役だったんですよ。人口比的に先進国はだいたい若者の数が多かった時代だった。そして次にこれらの国々では政治的なアプローチではなく文化的なアプローチで世の中を考える時代だったんです。60年代の「政治の季節」が終わったあと、世界的に「世の中を変えるのではなく自分の内面を変える」ことを考える時代に切り替わっていて、それは日本も例外ではなかったんですね。ある意味ではこの時期のサブカルチャーが革命の代替物だった。だから当時はまだぎりぎり、時代を語ることは、若者向けのサブカルチャーを語るということだったんですよね。
だから僕が学生の頃っていうのは、どのアニメを支持するかというのは思想的な選択だったんです。例えば「『新世紀エヴァンゲリオン』の結末をどうとらえるか、岡崎京子(注1)の漫画作品の中でどれを一番いいと思うか」という議論は、少し大げさに思想的な選択でもあったんですよ。
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