ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回は、『木更津キャッツアイ』から宮藤官九郎の作家性を掘り下げます。本作の主人公・ぶっさんの〈死〉をめぐる物語は、生身のアイドルの有限性と相まって、〈終わらない日常〉と〈死なない身体〉への鋭い批評性を体現していました。
宮藤官九郎の出世作となった『木更津キャッツアイ』(TBS系、以下『木更津』)だが、放送当時はどのように受け止められたのか?
▲『木更津キャッツアイ』
宮藤のエッセイ集『え、なんでまた?』(文春文庫)の「解説」を担当した脚本家の岡田惠和は「宮藤さんがドラマ界に現れた頃のことはよく覚えてます」と語っている。
『木更津』の第一話が放送された翌日、当時仕事をしたドラマチームでの飲み会で、本作が話題になった際にベテランと若手で意見が真っ二つに別れたと、岡田は邂逅する。
「何喋ってるかさっぱりわからん」「いったい何の話なんだ? あれは、ふざけすぎ」 ベテランプロデューサー達には理解できなかった。なのに皆が面白い! と絶賛するので、悔しかったのかもしれませんね。対して若手は、言葉には出さないけど、「あれがわからないんじゃ終わってんな、このおっさん」 と顔に書いてある感じ。でも「どこが面白いんだ?」 と問われると、うまく言葉にすることが出来ない。そんな感じでした。(同書)
そんなベテランと若手の反応を見ながら、岡田は「弱ったなぁ」と思ったという。新しい才能に脅威を感じながらも、それ以上に「かなり好きだなぁ」と混乱し、自分がやりたかったのはこういうことだったのかもしれないと、憧れを抱いたという。
しかし、今から下の世代の影響を受けるのは辛いと思い、「忘れよう、影響受けるのはやめよう」と決めて、その後、宮藤と同じジャンルのドラマを書くことは絶対にやめようと考えたという。
同業者の先輩に、ここまで言わせるのだから、すごい才能である。
だが、宮藤の登場によりドラマ界が一変し、世代交代が起きたかというと、そうはならなかったと岡田は振り返る。宮藤の世界が「ダントツに個性的」で主流にはならなかったからだ。
ドラマ界は宮藤さんを受け入れた。でもそれはある意味、出島的な特別区みたいなポジションです。ドラマ界の地図を塗り替えるというよりは、地図のひとつ島を増やしたような変化。そこに関してはベテランたちもどこか寛容です。なぜなら出島なんで、自分たちの領土は守られてるから、そこでの活動は許す、みたいな。まさに「クドカン特区」ですね。「クドカンだからねぇ」 「あぁクドカンでしょ? はいはい」みたいな許され方とでも申しましょうか。
爆発的に人気あるけど、どうも世帯視聴率はさほど芳しくないという、だからどこか長老たちのプライドも犯さないという、独特のチャーミングなポジションも獲得しました。嫌ですね、こんな長老。(同書)
『木更津』が放送された00年代初頭は、視聴率という評価軸がまだまだ絶対的だった。『踊る大捜査線』(フジテレビ系)や『ケイゾク』(TBS系)のような視聴率は高くないが、放送終了後に映画化されて大ヒットするという作品も現れはじめていたが、これらの作品は、視聴率が低いと言っても、10%前半は獲得していた。
しかし『木更津キャッツアイ』は野球の構成に合わせた全9話で平均視聴率10.1%(関東地区・ビデオリサーチ)で、これ以降のクドカンドラマは、シングル(一桁台)が当たり前になっていく。近年のドラマは、シングルが常態化しており10%台で成功作と言われるぐらい合格ラインは下がってしまったが、当時のシングルは、打ち切りでもおかしくない数字である。
思うに『木更津』とクドカンドラマの登場は、視聴率一辺倒だったテレビドラマの評価が、DVD等のソフト消費とネットで話題になるSNS消費へと大きく分裂していく始まりの作品だったのだろう。
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