今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史ーーぼくらの昨日の世界」の第4回をお届けします。時代の転換点と言われる「1995年」。55年体制の終焉、オウム真理教事件、サブカルチャーの爛熟ーーその背景にあったのは、かつて江藤淳が「ごっこ遊び」と批判した、戦後日本の欺瞞を覆い隠していたアイロニーの機能不全でした。
エヴァ、戦後のむこうに
「それは今すぐにも切り裂かれる空の、告別の弥撒(ミサ)のようだ。パイプ・オルガンの光りだ、あれは。
……この銀いろの鋭利な男根は、勃起の角度で大空をつきやぶる。その中に一疋の精虫のように私は仕込まれている。私は射精の瞬間に精虫がどう感じるかを知るだろう」[1]
1995(平成7)年10月4日に初回が放送され、97年7月公開の旧劇場版(Air/まごころを、君に)での完結まで一大旋風を巻き起こしたアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のノベライズにある一節です――と書いたら、ひっかかる人はいるでしょうか。もちろんそうではなく、三島由紀夫が1968年に発表した自伝的な随想『太陽と鉄』の末尾にある、自衛隊機F104への搭乗記の一部です。
『太陽と鉄』の鉄とは、ボディビルディングに使用していたバーベルのこと。同書が刊行された68年10月に三島は民兵組織「楯の会」を発足させ、70年11月25日の割腹自殺へと歩みはじめます。この大文学者の想像力のなかでも、性的なマッチョイズムが軍服と私兵と機械(戦闘機=銀いろの鋭利な男根)に形象化されていたことが[2]、よくわかる美文と言えるでしょう。
『新世紀エヴァンゲリオン』(旧エヴァ)が平成前半の日本で社会現象となった理由は、さまざまに語られてきました。主人公・碇シンジら中学生の心の闇(家庭崩壊やコミュニケーション不全)を描くシナリオと、95年のスクールカウンセラー事業開始にみられる心理主義的な風潮との合致。キリスト教(敵キャラクター=使徒)と異教との対立をモチーフに人類全体の浄化(補完)をめざす闇の組織ネルフが、やはり95年の春から大問題となるオウム真理教を連想させたという偶然[3]。ブルセラショップが街にあふれる時代とシンクロした、青少年向けのTV番組としてはきわどい性描写など。
しかし高校生だった当時エヴァをまったく見ておらず、2007年に大学教員になって日本文化史を講じるためにようやく鑑賞した私には、この作品がむしろ違うことを訴えていたように思えます。『旧エヴァ』は14歳の碇シンジの失敗し続けるビルドゥングス・ロマン(成長物語)である以上に、つねに軍服に身を包み悪役然として登場するその父・ゲンドウが、いかに「父になれない」存在かが主題だったのではないか、と。
総監督の庵野秀明さんは1960年生なので、本人の体験ではないのでしょうが、ゲンドウには全共闘時代(70年安保)の過激派学生を思わせるところがあります。主要人物の過去が描かれるTV版のなかば、傷害事件で収監されたゲンドウが釈放されるシーンがありますが、引受人は善人そうな大学教授の冬月コウゾウ。この冬月は結局ゲンドウに、事実上自分の研究室(と女子学生・碇ユイ――シンジの母)を乗っとられるわけですが、その後一時はもぐりの医者をしてセカンドインパクトの被災者に尽くしたという描写にも、冷戦下の「良心的知識人」の戯画としての性格がうかがえます。
温厚で理知的だが、暴力をためらう冬月のような甘っちょろい(または、平和ボケした)インテリ教授の権威を転覆して、権謀術数に手を染め「解放区」のように治外法権が許される特務機関ネルフの支配者におさまったゲンドウ。しかし、彼の内面は空疎です。亡妻ユイの思い出にいつまでも執着し、その似姿としての人造人間・綾波レイをクローンのように量産しては溺愛する。いっぽうで実の――かつ同性の――子であるシンジとは向きあい方がわからず、世話役を部下の葛城ミサトに丸投げ。
そうした目で見ると「全共闘世代は父になれるか」こそが、『旧エヴァ』の命題ではなかったかという気がしてきます。全共闘の担い手は団塊の世代(終戦直後の1947~49年生まれ。命名者は堺屋太一)と重なりますが、「団塊親」こそは放映当時、宮台真司氏が「かれらの世代がかつて〔学生運動で〕世間や道徳を否定した実績ゆえに、親本人が絶対的な道徳を信じていない」[4]ため、ブルセラ女子高生を叱る権威をもちえないと指摘していた世代でした。叱ったところでゲンドウのような「厳父のコスプレ」にしかなりえない人びと、ということですね。
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