ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回より宮藤官九郎編が始まります。劇団・大人計画を主宰する松尾スズキによって才能を見出された宮藤。後に平成を代表する脚本家となる宮藤と、近年は純文学作家として評価が高い松尾の資質の違いについて、90年代に2人が脚本を共作した、ある深夜ドラマを手がかりに考えます。
現在放送中の大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』(NHK)をてがける宮藤官九郎は宮城県出身の1970年生まれ。連続ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)や連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK)など、数々の名作を手がける宮藤は、現代のテレビドラマを代表する脚本家の一人だ。脚本以外にも俳優、ミュージシャン(グループ魂)、タレント、放送作家、映画監督、ラジオパーソナリティなど、宮藤の活動は多岐に渡っているが、何より外せないのは、彼が松尾スズキの主宰する劇団・大人計画に所属しているということだろう。
高校時代に聴いていたラジオ番組「ビートたけしのオールナイトニッポン」でビートたけしに合いの手を入れていた構成作家・高田文夫に憧れていた宮藤は、高校を卒業したらたけし軍団に入りたいと漠然と思っていた。
高校卒業後、日本大学藝術学部放送学科に入学した宮藤は、1991年に松尾がWAHAHA本舗の公演用に戯曲を書いた『神のようにだまして』のボランティア・スタッフとして参加し、そこで松尾スズキを知る。
その後、宮藤は演出助手として大人計画に参加。
宮藤の仕事は、松尾スズキが口だてで言ったことを脚本に起こすというものだった。
あいつとは、師弟関係とか、そんな感じじゃなくて、歳下の遊び相手みたいな感じだったんだよね。作家的スタンスで、面白いことについて語り合える人間と、やっと出会えたというか。(中略)宮藤がオレに対して意見を言うってことはほとんどないんだけど、なんかね、九州と東北の末端で育った人間の出会いみたいな、持たざる者同士が出会って、お互いに「面白い」と感じるものを共有できる気持ちよさがあったんだよなあ。(文藝春秋『「大人計画」ができるまで』著:松尾スズキ、聞き書き:北井亮)
思うに、松尾スズキの演出助手をしていた時の宮藤は、ビートたけしを補佐する高田文夫のような気持ちだったのかもしれない。
出会った時の宮藤について松尾は以下のように語っている。
「こいつすげぇ、オレを超えている」とか、そういう劇的なことはなかったけど、なにかあるやつだな、とは思った。小器用とかではなく、むしろ不器用だと思ってたんだけどね。ところが、「こうしないと客には伝わらないよ」っていうことを最初のうちはオレがアドバイスしていて、そりゃすごくアドバイスしていて、でも、気がついたらオレよりもすごく伝わることをやってたっていう。(同書)
92年、宮藤は大人計画の舞台『殴られても好き』の作・演出を担当。その後、大人計画で数々の作品を手がけることになる。
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