今朝のPLANETSアーカイブスは、福嶋亮大さんと宇野常寛による、村上春樹『騎士団長殺し』を巡る対談をお届けします。いまや自己模倣を繰り返すだけの作家となりさがった村上春樹の新作は、顔を失い、読者も見失い、批評すべき点の全くない小説でした。『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』を刊行した福嶋亮大さんと宇野常寛が、嘆息まじりに語ります。(構成:金手健市/初出:「サイゾー」2017年4月号)
※この記事は2017年4月27日に配信した記事の再配信です・前編はこちら
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▲村上春樹『騎士団長殺し』
福嶋 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(2013年/文藝春秋)が出たときにもここで対談をして、あのときは村上春樹の小説史上、これ以上のワーストはないと思っていた。今回の『騎士団長殺し』は、主人公が自分と同じ36歳ということもあって、最初は少し期待して読み始めたんですが、結論から言うと何も中身がない。あまりにも中身がなさすぎて、正直何も言うことがないです。村上春樹におけるワースト長編小説を更新してしまった。
構成から具体的に言うと、前半に上田秋成や『ふしぎの国のアリス』、あるいはクリスタル・ナハトや南京虐殺といった伏線が張られているけれど、どれも後半に至って全く回収されない。文体的にも、ものすごく説明的で冗長になっている。村上春樹は、その初期においては文体のミニマリズム的実験をやっていた作家です。デビュー当初に彼が敵対していたような文体を、老境に至って自分が繰り返しているような感じがある。ひとことで言うと、小説が下手になっているんですよね。彼くらいのポジションの作家として、そんなことは普通あり得ない。
宇野 まったく同感です。『1Q84 』(09~10年/新潮社)「BOOK3」以降、後退が激しすぎる。あの作品も伏線がぶん投げられていたり、後半にいくに連れてテーマが矮小化されていて、まぁひどいもんでした。村上春樹は95年以降、「デタッチメントからコミットメントへ」といって、現代における正しさみたいなものをもう一度考えてみようとしていたわけですよね。「BOOK3」も最初にそういうテーマは設定されているんだけど、結局、主人公の父親との和解と、「蜂蜜パイ」【1】とほぼ同じような、自分の子どもではないかもしれないがそれを受け入れる、つまり春樹なりに間接的に父になるひとつのモデルみたいなものを提示して終わる。村上春樹にとっては大事な問題なのかもしれないけど、物語の前半で掲げられているテーマ、つまり現代における「正しさ」へのコミットメントは完全にどこかにいってしまっているのはあんまりでしょう。ここからどう持ち直していくんだろう? と思っていたけど、『多崎つくる』も『騎士団長殺し』も、「BOOK3」の延長線上で相も変わらず熟年男性の自分探し。自分の文章をコピペしている状態に陥ってしまっていて、しかもコピーすればするほど劣化していて、目も当てられない。これでは最初から結論がわかっていることを、なぜ1000ページも書くんだろうという疑問だけが、読者には残されるだけです。
福嶋 手法的には『ねじまき鳥クロニクル』(94~95年/新潮社)あたりからの自己模倣になっていて、その終着点が『騎士団長殺し』だったということなんでしょうね。村上春樹が抱えているひとつの問題は、読者層を想定できなくなっていることだと思う。つまり、今の彼の読者層は『AKIRA』の鉄雄のように際限なく膨張して、もはや顔がなくなっている。例えば宮﨑駿だったら、知り合いの女の子に向けて作るというような宛先を一応設定するわけだけど、村上春樹にはそれがない。結果として、大きなマスコミュニケーションの中に溶けてしまって、自分の顔がない小説になってしまっている。村上春樹は本来、消費社会の寵児と言われつつも、顔がない存在・顔がない社会に対して抵抗していたわけでしょう。それが、ついに自分自身がのっぺらぼうになってしまった。とても悲しいことだ、と思います。
コメント
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日本がすごく貧しくなっていることもちゃんと理解出来ていないと言うけれど
春樹は経済的な豊かさの中での心の貧しさというのは昔から嫌と言うほど書いて来たし、今は日本だけでなく、世界の読者も視野に入れているから以前より抽象的に感じるのでしょうね。
しかし世界の読者といっても同じ人なわけで
それはのっぺらぼうな何者かではない
そんなことを言ったら普遍的なものなど書けなくなってしまう
春樹さんは全然ダメにはなっていない。おそらくお二人の感性や期待とズレているだけの話。
そしてご指摘とは裏腹に、言語や国を超えて多くの人に影響を与えている
これは本当に凄い事なんだけどな。。。