本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。吉本隆明は『共同幻想論』で、かの有名なテーゼ「共同幻想は自己幻想に逆立する」を提示しますが、高度化した情報技術は両者の結託と同一化を促します。逆立するはずの自己幻想と対幻想が巧妙に共同幻想に囚われてゆく、戦後日本の欺瞞的な社会構造を暴き出します(初出:『小説トリッパー』 2018 夏号 2018年 6/25 号 )
ナチズムの記憶がまだ新しく、スターリニズムの脅威がまだ現実のものだった『共同幻想論』の執筆当時の吉本の戦略は、共同幻想からの自己幻想の自立を維持するために、対幻想に立脚することだった、とひとまずはまとめることができるだろう。
しかし今日において共同幻想は自己幻想を飲み込み、埋没させるものではない。むしろ自己幻想の側が自ら共鳴し、他の自己幻想と同一化し、共同幻想と化す。私たちは自らそう欲望して、共同幻想に同一化する。これまでもそうであったのかもしれない。しかし情報技術の支援がそれをより簡易に、強力にしたことは明らかだ。私たちはソーシャルメディアのアカウントを使い分けることで――分人的アイデンティティのもとに――よりためらいなく、よりリスクなく共同幻想に同化するのだ。
今日において情報環境的に自己幻想は共同幻想に対する「逆立」の度合いを低下させている、いや、むしろ同化の度合いを高めている。これに対する処方箋はふたつある。それはかつて吉本が主張したように、あくまで自己幻想の、そして対幻想の逆立を保持することでこれから自立すること。もうひとつは共同幻想の発生メカニズムの変化(インターネット的分散化)を逆手に取って、いや正当に用いて私たちがこれに埋没し、思考停止しづらい主体を獲得すること、言い換えればインターネット以降、自然発生的に定着した分人的なアイデンティティを、「信じたいものだけを見る」ための方便ではなく、多様性の確保のために用いることだ。
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