6月1日に『辺境の思想 日本と香港から考える』を共著で上梓した、福嶋亮大さんと張イクマンさんの対談をお届けします。後編では、〈東洋のアジール〉としての戦前の東京に言及しながら、近年顕著になりつつある昭和的な共同幻想への回帰願望、さらに、都市の「散歩」が持つ思想的な可能性について語り合います。(構成:佐藤賢二) ※前編はこちら
※本記事は、配信時に編集部の手違いにより、一部不正確な記述がありましたことをお詫び申し上げます。【7月21日16:40訂正】
書誌情報
『辺境の思想 日本と香港から考える』(Amazon)
頼れる確かなものが失われた中心なき世界。自由と民主が揺らぐカオスな時代。未来への道は辺境にある―。日本と香港。2つの辺境で交わされた往復書簡の記録。
「世界の誰もが知るアイコン」が示せない東京
宇野 ラディカルなナショナリズムを唱え香港の独立を目指す本土派は問題外としても、張さんの支持してる自決派も、北京政府に対して香港という疑似国家をアイデンティティとした政治的要求という運動の形をとっている限り、結局その問題は出てくると思います。アメリカでも、シリコンバレーやニューヨークのビジネスマンはまさに都市民で、自分たちはグローバルな世界経済のプレイヤーだから、アメリカという国に所属してるという意識も相対的に希薄なわけですね。これに対してトランプを支持したラストベルトの自動車工たちは、ナショナリスティックな保護貿易を発動してくれないと自分たちの生活が脅かされると思い込んでいる。この階層による認識の差は大きいです。香港でも、どれだけ自決派がリベラルに振る舞おうと彼らの運動の方法が対国家、行政府に対しての政治的なアプローチである限り、アメリカで起きているのと同じような問題が発生していまうと僕は思うわけです。
福嶋 トランプ自身はもともと不動産王で、80年代にはマンハッタンでテレヴィジョン・シティという開発プランを展開したりもしている。建築家のレム・コールハースが1970年代に『錯乱のニューヨーク』という都市論の奇書を書いて、古典的なアーバニズムを解体するマンハッタンの資本主義的な都市原理を称揚したけれども、トランプはその「マンハッタニズム」の鬼子のようなところがある。その意味でトランプは都市の申し子で、政治の現場にもテレビ的な本音主義と悪徳ディベロッパー的な恫喝を持ち込んだ。さらに、ピーター・ティールみたいな同性愛者のリバタリアンのシリコンバレー起業家がトランプを支持する、なんていうこともあるわけですからね。しかし、皮肉なことに、大統領選挙では都市部で支持されたヒラリーが敗北し、トランプが地方の怨念を引き受けるようにして勝利した。だから、リチャード・フロリダも新著で言うように、トランプの勝利とは都市の敗北でもある。
今は都市に対して逆風が吹いている状況だと思うんです。香港は香港で、都市的な性格が中国化によって脅かされている。だからといって、もう一度古いタイプの国民という統合装置に戻ろうとしてもうまくいかないんじゃないか。そこで、都市的な性格を評価するような形でグローバル時代の主体を構築していく必要があると思います。さっき言った「都市的アジア主義」はその一つのプランです。
宇野 ただ、都市的な価値観というのは基本的に少数派で、民主主義では負ける運命にあるので、他のアプローチを取ったほうが良いのではないかと僕は思うわけです。ひいてはそこに、雨傘運動の敗北の遠因もあったんじゃないでしょうか。
張 先ほど福嶋さんが言ったように、トランプ支持者のようなナショナリズムの正体はアンダークラスで、そういった階層対立は、香港の自決派と本土派の間にもあるわけです。香港という都市が中国化されつつグローバル化されている中、私のように家が買えないような、都会っ子になりきれない敗北者たちによるナショナリスティックな反発が本土派を支えている。周庭さんたち自決派は、団塊世代に向けて都市の中流層っぽい演出をしてるんですね。自分が良い大学出てるとか、海外の大学で講演してるといったアピールをして、天安門事件記念集会でも中流階級の親子たちに支持を集めています。本土派はアンダークラスでナショナリズム的、自決派は中流階級で都市的という演出の傾向があります。
福嶋 ナショナリズムは階層的分割を乗り越えるための装置ですね。張さんはイギリスの歴史的体験を重視しているけれども、要は貴族が権力を握っていた時代に抗して、そのような階層を想像的に打ち消す形で「われわれ皆同じ国民」というナショナリズムが出てきたというわけですね。香港でも今、似たようなことが起きている。これから先、豊かになれそうもない人たちがナショナリズムに自らの尊厳を求めていく。
張 確かに、この本でも述べている通り、ナショナリズムの起源はイギリスの平等主義ですね。出自の階層を越えられる機会的平等がもたらす尊厳の高揚こそが、ナショナリズムのエネルギー源です。この点、香港は政府、国家やネーションに依存しない、世界に開かれた商業都市だから、階層上昇の欲望がもっぱら都会的な個人主義で解消されるんです。香港では、日本と違って、集合的・民族的なナショナリズムを使って階層を乗り越える発想はあまり強くないと思います。また、成功した人間は自分で努力してお金を持っているといった、アメリカのような個人的・公民的なナショナリズムもないのです。香港では、個人の階級上昇も尊厳も、いかに世界経済の機運とチャンスをうまく掴めるかにかかっていて、それは時に生死に関わる問題です。香港ではナショナリズムはお金を稼ぐ道具に過ぎないんですよ。香港には民族的アイデンティティも中華愛国主義もありましたが、個人の生存に比べると二次的なものです。中国革命があって、香港では大陸本土のナショナリズムを煽りながら武器を転売するとか、中国本土が改革開放・経済成長していくと予測して国有企業の株や不動産をたくさん買うとか、火事場泥棒みたいに、世界が混乱・変革してるから香港の都市は成長していくわけです。普遍道徳を講じながら、株で稼ぐ。表は君子、裏は商人の模範。そういうものが階級を乗り越える手段ですね。
福嶋 しかし、ナショナリズムは尊厳を獲得する装置だというのが、この本での張さんの主張だと思うんですよ。僕も、近代のナショナリズムは集団的な尊厳を生み出す装置だったと思うんです。政治学者のベネディクト・アンダーソンも、宗教の黄昏の時代にナショナリズムが出てきたと述べています。要するに、人間の運命論的な不条理を引き受けることができるのが、ナショナリズムという疑似宗教だという主張です。ただ、今の日本のポストモダン化し表層化したナショナリズムはもはやそういうものではないですね。人間の運命を引き受けるほどの宗教的な力はない。だからこそ、たとえば西部邁のようなオーソドックスな保守主義者・伝統主義者は、今のナショナリズムの風潮には乗れず、一人の個人として自殺するしかないわけです。
張 問題は尊厳をどこに求めるかですね。それも空想的な根拠じゃなくて、自分はお金持ちであるとか、ロシアのように自国の軍隊は強いというのもひとつの尊厳の持ち方です。私から見ると、日本は世界各国からマナーがいいとか料理が美味しいと思われているし、日本のアニメはすごいと自慢するナショナリストもありうるけど(笑)、そういう自己認識が多数の人たちにはあまりないんじゃないですか? 観光客が日本に殺到してるのは、もちろん為替などの経済原因もあるけれど、そういうサブカル的な蓄積があることも確かです。問題は、自国の文化の特徴や長所をいかに世界からの目線で客観的に見ることができるか、これが大事です。逆に、さっき福嶋さんが仰ったように、今のグローバリズムや都市主義はすごく平面的で、文化的な特徴をなくすかもしれません。国家の特徴と長所をいかに都市の次元で表現するのかが、これからの日本の挑戦ではないかと思います。
福嶋 その通りだと思います。その点で言うと、東京はレム・コールハースも言うように「特徴がないのが特徴」という都市ですね。たとえば、シンガポールならマリーナベイサンズ、パリならエッフェル塔という具合に、都市を特徴づけるアイコンというものがあるでしょう。しかし、東京にはない。東京ではピクセル画で描いたような高層ビルがどんどん建っていくだけです(笑)。良くも悪くも、東京は都市を特徴づける努力をあまりしていない。張さんが言うように、食べ物が美味しいとか、コミケがあるとか言えるけど、少なくともシンボリックなアイコンはない。
20世紀後半の日本の思想では郊外化が問題で、それはアメリカナイゼーションと結びついていた。しかし、20世紀の郊外化は文明史的には寄り道であり、21世紀はもう一度郊外から都市への回帰が起こっているわけですね。だけど、日本の場合は、都市を特徴づける知恵もあまり蓄積されていない。そもそも、香港には、唐代の敦煌や清代の漢口のように「香港の先祖」と言えるハイブリッドな交通都市があるわけだけど、東京は過去に先祖のいない「歴史の孤児」のような都市です。だからこそ、東京を輪郭づけるためにも、他の都市と比較しないといけないと思うんですね。
「縁切り」と「縁結び」を同時に行うアジール
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