六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリーで開催中の「THE ドラえもん展 TOKYO 2017」に寄せて、大のドラえもん好きであり、『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』の著者である稲田豊史さんのエッセイをお届けします。15年前の同展には憤りを感じていた稲田さんが、移ろいゆく『ドラえもん』に見出した変化とは?
2002年版「THEドラえもん展」への怒り
気鋭の現代美術家が『ドラえもん』をモチーフにさまざまなアート作品を披露する「THE ドラえもん展 TOKYO 2017」(六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリーで11月1日より開催中)が盛況だが、15年前にも同様の主旨で開催されている。2002年7〜9月に大阪の旧サントリーミュージアム、翌2003年3〜5月に横浜のそごう美術館。以降も04年までの間に、旭川、名古屋、大分、松江と各地を行脚したので、足を運んだ方も多いだろう。
2002年時点で筆者は27歳。今と同じく、否、今以上に戦闘的なドラえもん好きを自認していた当時、企画内容を聞いて真っ先に抱いた印象は、一言「いけすかない」だった。
現代美術家がてめえの勝手なゲージュツ的主張のために『ドラえもん』をまんまと「素材利用」した(ように見えた)ことに対する怒り。作品に対する深い愛の表明よりも、自己愛のほうが勝っている(ように見えた)ことに対する怒り。アーティスト自身による自作の解説テキストが「人の話を聞かないで自分語りばかりしている(ように読めた)ことに対する怒り。
「ハイハイ、ポップアート(笑)のいちばん安直なやつね。二次創作のほうがまだマシ」等々、当時つるんでいた同世代の人文&サブカル系女性編集者と共に、深夜のデニーズで愉快に毒づいていたのが懐かしい。
要は「外野に狩り場を荒らされた」という一方的な被害者意識から来る、見識の浅いサブカル者特有の狭量な逆恨みに他ならないわけだが、その少し前に単行本で読んだマンガ『ギャラリーフェイク』(細野不二彦・著)の有名な“村上隆ディスり回”が、15年前の筆者が振りざした「正義の怒り」の燃料になっていたことは、想像に難くない。
『ギャラリーフェイク』の村上隆ディス
『ギャラリーフェイク』は1992年から2005年まで「ビッグコミックスピリッツ」に連載された美術ウンチク漫画で、主人公は贋作専門画廊オーナーにして図抜けた審美眼を持つアウトロー、藤田玲司。歯に衣着せぬ物言いで、腐敗した美術界や堕落したアーティストをガンガン喝破する男である。
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