〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』は高田馬場編の3回目です。『漫画ブリッコ』を起点とする80年代ロリコンブームが、やがて90年代に「オタク文化の大衆化工作」へと変質していった時代を振り返ります。
更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第7回 高田馬場・その3【第4水曜配信】
消えたバーミヤンに驚いた筆者は、新目白通りを左折し、かつての通勤ルートである裏通りへ戻った。
裏通りの窪地には、高田馬場では珍しいオフィスビルがある。筆者が通勤していた頃は専門学校の校舎だったが、いつの間にか白夜書房本社ビルになった。
白夜書房の森下会長は、高田馬場で空きビルが出るとすぐに買うという癖があった。社員たちはよく笑い話にしていたが、経営者としては実に正しかった。
二十年前の時点でも、自社ビルを建てる出版社は潰れると言われていた。実際、アーケードゲーム雑誌『ゲーメスト』を出していた新声社が、自社ビルを建てた2年後に倒産していた。
しかし、森下会長は他社が手放した空きビルを安く買い叩くことでリスクを抑えていた。
そこまでして自社ビルを確保する必要があるのか?
あるのだ。
まず、自社ビルを倉庫で使えると、倉庫賃貸料が発生しない。これが外部の賃貸倉庫だと、在庫の本を出し入れするだけで、一冊2〜3円の手数料が発生する。このコストが単行本の許容返本率を大きく左右するのだ。
当然、編集部があるフロアの賃貸料も発生しないので、部署ごとに設定された総予算に余裕が出る。
元々、安価で販売される雑誌はほとんど儲からない、特に月刊漫画誌は出すだけで毎月、確実に赤字を垂れ流す。
編集部やレーベルの収益は、ほとんど大ヒット作品の単行本に支えられている。
出版という商売は、本質的に、確実な攻略法のない博打なのだ。
筆者はコアマガジン退社後、藤脇氏と『まんが編集術』(白夜書房)というインタビュー本を作ったが、『週刊少年ジャンプ』三代目編集長だった、故・西村繁男氏に伺ったところ、653万部の史上最高部数を達成した頃のジャンプでも、採算分岐点は96%だった。毎週、営業部が精緻に発行部数を調整しても、雑誌だけでは儲からないのだ。
なので、00年代に入ると、少年漫画誌でも30年以上の長期連載や過去のヒット作のリブートが頻発するようになった。少年漫画なのに。
これがマイナー系の漫画出版社だと、頼れる大ヒット作品も稀なので、確実にシングルヒットを積み重ねていくしかない。
担当営業の藤脇氏は、成年漫画のコミックスを8000〜10000部刷った場合、販売率70%がボーダーラインだと言っていた。損益分岐点は56〜62%くらいで、それを下回った漫画家は「二度と起用するな。代原でも禁止だ」と厳命されていた。
先輩編集が担当していたベテラン漫画家たちがこの数字を下回り、次々とクビになっていたが、平然と編集部に現れ、筆者と筆者が担当していた若手漫画家の悪口を言っては、代原扱いで載っていた。
先輩たちもあらかじめ台割をスカスカにして、代原を使わざるを得ない状況を仕組んでいた。
巻頭カラーで看板扱いの作品以外、次号予告をしない雑誌だったのだ。
今にして思えば、特に悪気もなく身内意識でやっていたのだが、当時の筆者は憤り、あらかじめ発注していた若手の原稿をスカスカの台割を見た瞬間にねじ込み、先に乗っ取る対抗戦術を採った。
結果、自分の担当作家だけで手一杯となり、編集者として一本立ちしたのだが、代わりにもう一人の同期が、雑用を一手に引き受ける羽目になった。
増刷こそ稀だったが、担当していた若手たちの販売率は総じて高く、席取り勝負になればこちらの言い分が通った。だいたい、クビになった作家を代原で載せていても、単行本にならない。
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