京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録
第16回 「セカイ系」と『機動戦士Vガンダム』の呪縛
――戦後アニメーションの描いた男性性
【金曜日配信】
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2017.1.13 vol.770
今朝のメルマガは宇野常寛の〈サブカルチャー論〉講義録をお届けします。『新世紀エヴァンゲリオン』に端を発した90年代後半の「セカイ系」ブーム。しかし、そのブーム以前に「セカイ系」的物語構造の徹底的な自己破壊を行った作品がありました。今回は、その問題作『機動戦士Vガンダム』の意義を論じます。(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年6月10日の講義を再構成したものです)
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■「結末でアスカにフラれないエヴァ」としてのセカイ系作品群
90年代が終わり、00年代に入っていくなかで「セカイ系」といわれる一連の作品群が流行します。「セカイ系」って言葉を知ってますか? まぁ、ちょこちょこいますね。
この「セカイ系」は、「ポスト・エヴァンゲリオン症候群」とも言われたりします。代表的な作品は『ほしのこえ』(2002年に劇場公開)、『イリヤの空、UFOの夏』(電撃文庫で2001-03年にかけて刊行)などですね。よく特徴として言われるのが、「世界の問題を自意識の問題へと矮小化している」というものですね。
ここまでもお話ししてきたとおり、80年代のアニメでは頻繁に冷戦下の最終戦争のイメージで「世界の終わり」が描かれたわけですが、これらは基本的に消費社会下の若者の自意識の問題の表現だったわけです。「革命」のような歴史が個人の人生を意味づける回路が難しくなった時代のアイデンティティ不安の問題がここにはあった。
『エヴァンゲリオン』が画期的だったのは、そこで描かれていた世界の問題がすべて主人公のマザコン少年の自意識の問題の比喩であったことです。もちろん、これは人間と自然、あるいは人間と人間という社会の問題の安易な矮小化と言われても仕方がない。実際にそう批判されてきたし、僕もそう考えています。ただ、この作品の社会現象化は結果的に消費社会下におけるファンタジーの機能不全を露悪的に突きつけた、という言い方もできると思います。
そして「ポスト・エヴァンゲリオン症候群」であるところの「セカイ系」は、こういった「エヴァ」の露悪的な批評性がすっぽり抜け落ちて、描かれる世界の問題すべてを自意識の問題の比喩として扱う、というスタンスを徹底して主人公の少年のヒーリングに注力していくことになります。
具体的にどういうことかというと、「セカイ系」と言われる作品群は、だいたい思春期の男の子が主人公です。彼はどこにでもいそうな平凡な男の子なのだけど、そんな彼のそばに世界の運命を背負っている女の子がいて、その女の子に無条件に愛されることで何者でもない男の子が承認される、という形式を取ります。男の子への愛情を動機に女の子は世界の運命を背負って戦って、死んじゃったりもするわけです。ここでは男の子の存在=世界の運命という構図になる(笑)。「世界の運命を背負ってる女の子に愛される」って究極の承認ですよね。
僕の先輩格の評論家である更科修一郎さんがセカイ系の作品群を指して「結末でアスカにフラれないエヴァ」と言っていましたが、これはなかなかうまい表現だなと思います。『エヴァンゲリオン』の劇場版(Air/まごころを、君に)の結末は、世界が破滅してシンジとアスカの二人だけが世界に取り残されてしまいます。ここで二人が新世界のアダムとイブになるのだったらそれこそ後の「セカイ系」そのものになる。男の子が自分を無条件で、それこそ世界そのものと等価なものとして承認してくれる女性によって満たされる、というのは要するに母による承認ですよね。でもアスカはシンジの「お母さん」にはなってくれない。それはどっちかというともうひとりのヒロインで、シンジ君のお母さんのクローンである綾波レイの役目ですね。しかし庵野秀明は結末にシンジ君の隣にはレイではなくアスカを配置した。そしてアスカはシンジ君を「気持ち悪い」と拒絶する。あそこでシンジの隣にアスカではなくレイがいて、シンジ君を「母」的に承認してしまうと歴史が個人の人生を意味づけなくなってしまった世界には幼児的な全能感しか救済はなくなってしまう。たとえ生の意味を保証する大きなものが信じられなくても、(拒絶されることも受け入れながら)他者に手を伸ばすべきだ、というのが着地点なわけです。まあ、ちょっと一周回って当たり前すぎて何も言っていない感はあるんですが、この結末は、庵野秀明なりの倫理の表明だったと思います。
けれど、『エヴァンゲリオン』の影響を受けた、もしくはアスカに振られて傷ついてしまったシンジ君たちは、結末でアスカに振られない=レイという母親に承認されるセカイ系を生み、支持していった、というわけです。
要するに先行する『エヴァンゲリオン』よりも表現的に後退してしまったんですね。『エヴァ』が最後の最後で拒絶したものを、むしろ全面的に承認して感動ポルノにしていったわけです。
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