「――と見られる」「――と思われる」
これらは、日本の新聞のみで確認される珍奇な表現の一例だ。
まず主語がない。いったい誰が見るのか、思うのか、わからないところがいっぱいで、そうした意味で読者の好奇心を脱力的に刺激してくれる。
「見られる」「思われる」という受身形の表現からも、「見て」、「思っている」のが記者でないことだけは確かだ。では、いったい誰が……?
神の目と天の声 先行き不透明な「新聞」よ
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コメント
コメントを書く(ID:16805559)
日本語の独特な構造も関係あるかな?I am, I think が最初に明確にする言語と比べ、日本語は誰が何を、を抜きにやろうと思えば何ページも書けますからね。