「――と見られる」「――と思われる」
これらは、日本の新聞のみで確認される珍奇な表現の一例だ。
まず主語がない。いったい誰が見るのか、思うのか、わからないところがいっぱいで、そうした意味で読者の好奇心を脱力的に刺激してくれる。
「見られる」「思われる」という受身形の表現からも、「見て」、「思っている」のが記者でないことだけは確かだ。では、いったい誰が……?