〈うまい。一言で表現するなら、法悦〉(浅田次郎「つばさよ つばさ」JAL機内誌)
法悦? この場合の「法悦」ってなんだろう。
飛行機の中で浅田次郎さんのエッセーを呼んでいたら、こんな表現にぶつかった。
浅田次郎さんや出久根達郎さんなどの作品に触れていると、時々こうした意外な表現に出くわす。その時の驚きと語句使用の理由が判明した際の喜びは、なにより文学的な愉しみのひとつである。
早速、前方の座席の下に潜らせているカバンから電子辞書を取り出し、広辞苑を引いた。
〈1、 仏法を聴き、または味わって起る、この上ない喜び。法喜〉
〈2、 恍惚とするような歓喜の状態。エクスタシー。「―にひたる」「―の境地」〉
エッセーは旅と食に関するものだから、後者の意味だろう。
なるほど、ダイエット中の浅田さんのことだ、食の国イタリアを旅して、欲望の胃にパスタをぶち込んだら、きっとそう表現するしかないのだろう。
とはいえ、それにしても食に対して「法悦」は大げさすぎやしまいか?
〈力のみなもとは、昼夜欠かさず食べたパスタと、日に三度のイタリアンジェラートである。やはりスマートなバカより、クレバーなデブのほうがいい、としみじみ思った〉(同前)
スマートなバカよりも、クレバーなデブ――。
以前もこの表現を浅田さんは何かのエッセーで使っていたような気がする。どこかで読んだ記憶がある。それにしても、圧倒的な筆力で書かれたエッセーを読んでいるうちに、私も無性に美味いパスタが食べたくなってしまった。