TSUYOSHIと西崎信太郎のR&B談義

R&Bフリーク以外は置き去りにするR&B評 第4編『Luther Vandross』

2014/12/18 22:15 投稿

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Luther Vandross』(ルーサー・ヴァンドロス)

アメリカ合衆国のR&Bシンガー。バックアップボーカルでの活動が評判となり、1976年にソロデビュー。1980年代のいわゆるブラコン(ブラック・コンテンポラリー)の第一人者のひとりであり、歌手としてだけではなく、サウンドクリエイターとしても知られる。


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<TSUYOSHI評>

昨今、数多のクリスマスソングがある中で、私自身にとって最も印象深いクリスマスソングがある。ルーサー・ヴァンドロスの『Every Year Every Christmas』。あまり聞き馴染みがない曲かもしれないが、程よくセンチメンタルに浸れるとても素敵なクリスマスソングである。

2008年のクリスマスイブイブにNHK-FM「今日は一日“ソウル”三昧~クリスマス!ライブ ザ・ソウルミュージック」に生出演させていただいた際、クリスマスソングを一曲カバーして欲しいとのオーダーがあった。だがパッと思いつくこの手のSoulやR&Bのクリスマスソングは既に他の出演する先輩方に押さえられているとのこと。そこで思いついたのがルーサーのこの曲。正直なところ、周りで『Every Year Every Christmas』を歌っているのを聞いたことがなかった。ならばこのカバー曲の新規開拓は俺がっ! くらいの勢いで挑んでみた。残念ながら生放送で歌ってみて特に反響などは無かったけれども。しかし、全国ネットのラジオの生放送でこの曲を歌えた事は、自分の曲を全国の方々に聞いてもらうのと同じ位に意義深い出来事だった。

ともあれ何が言いたいかというと、例えば一番好きなシンガーは誰かと問われたら、実のところルーサー・ヴァンドロスと答えたくなるほどに彼の歌や楽曲が好きだという事。FunkだろうがブギーなDiscoだろうがSlowなJamだろうが流麗壮大なバラードだろうが、彼はなんなく乗りこなし歌いこなしてしまう。終始押しの強すぎない程よい”圧”の声で、彼は聴く者達を温かく包み込む。大袈裟でも何でもなく、新旧見渡しても彼の歌力の右に出る者はいないのではないか。

ルーサーの1stアルバム『Never Too Much』は本当によく聴いた。私の十代の頃のバイブルの一つだった。この1stアルバムには、のちにルーサーと重要な関係を築いたドラムのヨギ・ホートンやギターのドク・パウエルはまだ参加してないようだが、ルーサーに加え、この後も長きに渡りプロデュースを手掛けるキーボードのナット・アダレイ・Jrとベースのマーカス・ミラーのサウンド面における重要性はこの時点で最早疑いの余地がない。各楽器パートの緻密な折り重なりによる無駄のないアレンジ。ドラムのバディ・ウィリアムズとベースのマーカス・ミラーの相性もなかなか。相当聴き倒したお陰か、未だに自分の歌唱や作曲において多大なるヒントを彼等からいただいている。

紹介したいルーサー・ヴァンドロスの曲は本当に山ほどあるが、ここはあえて彼の曲ではないものを紹介したい。ディオンヌ&フレンズ『That’s What Friends Are For』(https://www.youtube.com/watch?v=NNHBT7wjqVI )。1987年のソウルトレイン・ミュージック・アワードの時のパフォーマンスだそう。元々は映画のサントラ用にバート・バカラックが書き、ロッド・スチュワートが歌い、のちにディオンヌ・ワーウィック、グラディス・ナイト、エルトン・ジョン、スティーヴィー・ワンダーの四人によるカバーバージョンで広く知られるようになった名曲。ここではグラディス・ナイトの代わりにホイットニー・ヒューストン、エルトン・ジョンの代わりにルーサーがそれぞれ歌っている。オリジナルのグラディスに負けず劣らずのホイットニーの瑞々しさも見所の一つだろう。しかしながらエルトンの代わりに歌うルーサーの、元々ここは己の定位置であるかの如くの存在感たるや。地を這うような低音から”ぅぅぅうをーっ”としゃくり上げる彼の十八番のフレーズもしっかり見せつけてくれる。このルーサーのパフォーマンスは、私が当時幼心に抱いていた、この曲の中に存在するエルトン・ジョンという大いなる違和感をいとも簡単に私から払拭してくれた。米国エイズ研究財団のためのチャリティーソングの側面を持つディオンヌ&フレンズのバージョンだけに、今となってはこの場所にエルトン・ジョンがいる理由がうっすら理解はできる。それでもスタジオバージョンがそういった意味においてもエルトンでなくルーサーのような黒人であったならば、果たしてこの曲の世の中への浸透具合に差が生まれたのであろうか…と、ちょっと興味が湧いたりする。


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<西崎信太郎 評>

現存していたら「今、一番ライブを見てみたいアーティスト・ベスト3」には入るアーティスト。そう思うのは恐らく僕だけじゃないはず。53歳という若さで亡くなり、失って気付いたその存在の大きさが、日に日にその気持ちを増幅させてしまう。正にブラック・コンテンポラリーの重鎮の1人。

僕がルーサー・ヴァンドロスの名前を初めて知ったのは、彼のアーティスト名ではなく"Never Too Much"という楽曲名から知った。その理由は、音楽業界の裏方の人物として、最も憧れを抱いている音楽プロデューサー松尾潔氏の公式サイトに「~Never Too Much Productions~」と刻まれていたのがきっかけ。確か、2000年前後に「松尾潔的音楽生活」という番組がスカパーで放送されており、番組のオープニング・テーマ曲も確か"Never Too Much"だった記憶がある。尊敬する師が尊敬する師。もちろん好感を持たないはずもなく、自然と「松尾潔」という入口からルーサー・ヴァンドロスの世界へと入っていった。

ルーサーのキャリアを振り返ってみると、遅咲きの苦労人。これって、僕のようなルーサー後追い人からすると、結構意外なイメージだったりする。ルーサーと言えば"Never Too Much"という印象がとにかく強い僕としては、本曲がグラミーでノミネート止まりだったっていうのも意外("Any Love"も)。僕が初めてルーサーの音源を買った曲は、"Nights In Harlem"という楽曲。確か12インチのプロモ盤。1998年のアルバム『I Know』収録曲で、リリース直後ではなくリリースから少し時間が経過してから、の出会いだったような記憶がある。アルバム・バージョンは、90年代版"Never Too Much"的なダンサブルなオールド・スクールのナンバーで、リミックス・バージョンは、当時売れっ子プロデューサーの仲間入りを果たしていたダークチャイルドことロドニー・ジャーキンズの手腕によるもの。同時期にリリースされビッグ・ヒットを記録したブランディ&モニカの"The Boy Is Mine"にソックリな仕上がりだった為、A面B面でこんなにおいしい思いが出来て良いのだろうかと、青春期の僕にしたらそれが妙に嬉しかった。

僕の中で、最も好きなルーサーの楽曲は"Heaven Knows"というブラック・コンテンポラリーの匂いを残したスムース・ミッド。New Jack Swing期に移行する辺り、もしくはその近辺にリリースされた同テイストの楽曲の中では、キース・ワシントンの"When You Love Somebody"と同じくらい好き。

ふと「もう一度彼の歌声が聴けるのならば」などと、叶わぬ夢を願ってしまったり。いつまでも紳士だった、皆の心の中に生き続ける永遠のソウルマンです。

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