シリーズ開始

ヤクザウオッチャー経歴書 VOL.1

身にしみたひと言

文・本郷海


 いまさら語るまでもないがヤクザは礼儀作法に厳しい。「礼に始まり礼に終わる」。まるで日本発祥のスポーツの紹介みたいだが、一般社会ではまずあり得ないほど厳しい面が多々見受けられる。たとえば要件の伝達方法もそのひとつだ。

 大切な要件の伝達する際に、さすがに電話では失礼だと考える人は一般社会でも多いと思う。そこで、もうひとつ丁寧さのランクを上げて、手紙で要件を伝えようとするのではないだろうか。さらにもうちょっと上げるとすれば、墨を擦って毛筆で書こうと考えるかもしれない。しかし先方に出向いてまで要件を伝えることはごく少数だろう。

 余程の謝罪を表す場合か、または結婚の挨拶などに限られ、町内ならともかく遠方の場合なら、ただ要件を伝えるためだけに出掛けて行くのは一生のうちでもそうそうあることではない。しかし、この直接に相手方に出向いて要件を伝える手段は、極道の世界では割と頻繁に見られるのだ。

 いまや携帯のメールでも意思の疎通ができるにもかかわらず、時間も手間も掛けて相手に会いに行くという超アナログなスタイルを選択するには理由がある。

 主にその役目を担うのは若い者たちだから、大切な人との距離感を勉強させる第一歩として重宝されているようだ。また迎える側も、ある程度は持て成さなければならないので煩わしい面はあっても、わざわざ足を運んでくれたことに誠意を感じ、顔を合わせることで親近感も増すようである。こうした背景もあって依然としてヤクザ社会では古風な挨拶の作法がきっちりと存在しているという。

 当然ながら彼らはこうした独特な礼儀作法をカタギに対しては強制しないが、ときにカタギが忘れてしまっている礼儀を教えてくれることもある。

 以前、取材で訪れた事務所での話だ。

 そこは古い貸しビルの一室だった。靴を脱ぐことなく応接室に通された。そこには親分が座っていたのだが、体調を崩しているのか顔が土気色で、かなり重い病を患っているように見えた。

 挨拶したのちソファに座らせてもらい、持っていた手提げバッグを足元の床に置いた。そのときである。

「手に持つカバンは下に置いたらダメだよ」

 親分は枯れた声で私に言った。言葉がうまく聞き取れなかったので、何か失礼があったのかと思い、慌ててバッグを持ち上げて「すいません」と頭を下げた。

「いやいや、何も謝らなくていい。そういう手に持つ物は下に置いたら汚れるからイスの上に置かないといけないよ」

 親分は怒ったのではなくバッグが汚れて痛まないように気遣ってくれたのだった。

 それから体調が優れないにもかかわらず、インタビューに答えてくれてヤクザとして生きてきた自分の経歴を一言ひとこと、一生懸命に語ってくれたのである。

その取材から間もなくして親分が息を引き取ったとの連絡を受けた。

 自身がへりくだって相手を立てるだけが礼儀ではない、己を高める努力を重ねて、いつも身綺麗にしていることも大切な礼儀だ、と親分は教えようとしてくれたのだろう。ついついバカ丁寧な言葉遣いと、ペコペコ頭を下げることが礼儀だと考えがちだが、決してそれだけではないのだ。

 あの日以来、どんなことがあってもバッグを床に置かないことを、親分の遺言として、いまも続けている。