前回書いた通り、1988年の夏に始まった音楽合宿から、僕は当時の時代感を肌で感じながら、目の前に、そして知らないところにもたくさんいる、『心の荒れ』を感じるティーンエイジャーや日本中の若者にXを届けるべく、心血を注いでいた。
ところが、その途中で思いがけない幸せが僕に降り注いだ。
それは『今という時代の若者たちの心を救うはずの音楽が、100年残る音楽でもあること』だった。
レコーディングの1年前、まだできたての「Vanishing Vision」を聴かせてもらった時に感じた『YOSHIKIはバッハやベートーベンのように100年残る音楽を生むことのできる才能を持っている』という僕なりの感覚は、途中から明らかになり、「BLUE BLOOD」のレコーディングをしている頃には、揺るぎない確信となっていた。
100年残る音楽は、実は500年スパンで捉えたところから生まれてくる感覚で、いわばクラシックと同じ領域の音楽、つまり芸術だ、ということを意味していた。
これは、プロのミュージシャンになった20才の頃に決めた、100年残る本物の音楽を生み出したり送り出したりしながら、日本の音楽業界をまともなものに直していくんだ、という僕なりの高い志にとって、宝物を手にしたことに等しかった。
だから、僕は自分の所属しているセクションに上司がいない(厳密に言えば、上司は当時のソニーミュージック代表取締役社長、井上良勝さん)という、新しく特殊な組織であることをいいことに、自分の中で鉄の掟を決めたのだ。
その掟とは『例えアルバム制作費がどんなに予算オーバーしようが、メンバーの望むレコーディングを途中で遮ることは絶対にしない』という、周りに内緒で僕が自分自身に課したルールだった。
このルールは、僕なりの3つの根拠から生まれたものだった。
ひとつは、YOSHIKIを中心にXのメンバー自身が、心から納得のいく作品となるまで絶対に妥協しない、という強い意思を、元々持っていたこと。
もうひとつは、僕にとってXの音楽作品が芸術、すなわち普遍そのものであると心から感じていたこと。
最後に、『100年残る音楽』の創り方は、他の『何らかの都合中心に、その時々の流行を考えて安易に作られる音楽商品』の作り方とは全く別物であることを、自ら血を流しながら確信してやり遂げたい、という悲願にも近い意思だった。
幸い、その鉄の掟は正しい結果を生み出した。
もちろん当時の僕は炎のように燃え盛っていたから、アルバムが完成した時点で何にも負けない気持はあったけれど、一介の若造、入社3年目の新人ディレクターが起こしてしまった当初の予算の3倍近くに膨れ上がった制作費のけじめをつけるべく、社長室へ報告に訪れた際に、僕の手に辞表があったのは当然のことだった。
けれど、そんな辞表などは一笑にふされるような勢いでXの活動は火を噴きながらフル回転を続け、1年後のゴールドディスク大賞で輝かしい賞を授与された瞬間、僕たちのエネルギーは世間からも会社からも正しい結果として評価された、と感じた。
以上のことについては、僕の中で揺るぎない気持と揺るぎない意思の結果として、胸を張って話せることなのだが、それから30年という時間が過ぎた今、僕が深く感動するのは、もっと凄いことなのだ。
それは、当時あれほど高い志を持っていた僕ですら、その事実に驚きを感じること。
そう、30年経った今も「BLUE BLOOD」の音が全く色褪せていない、古くなっていない、という事実だ。
僕は音楽家だから「BLUE BLOOD」の音が30年経っても全く色褪せない理由を、音楽的に考察することができそうな気もするのだが、正直なところ、明解に人に説明する自信はない。
もちろん当時のメンバーが、本当に必要な音以外を一切切り捨て、心が響く本物の音だけで構築したから・・・といった精神的な話はできるのだが、どんなサウンドもその時々の流行の波というものに覆われてしまう、という事実は世界中の作品が免れることのできない事実。それをなぜ「BLUE BLOOD」は免れることができたのか、音楽的に説明することは難しい。
むしろ、逆の説明ならできる。
つまり、「BLUE BLOOD」の音は、流行とはかけ離れた音だった、と。
これは言い方を替えれば、リリースされた当時「BLUE BLOOD」の音は決して『売れる音』ではなかった、ということになる。
こちらの方が、僕には納得できる。
となると、前回書いた当時の僕の熱い気持、つまりあの頃の日本中の若者達にXを届けたい、という気持ちは、音に反映できていなかった、とも言える。
いわゆる音楽業界的に考えれば。
しかし、それは当時の僕にとって、確信犯的なものだった。
『今、流行っている音』『今、売れている音』
そういったものへの反発が僕の心を占めていたからだ。
芸術だから、流行ではないのが当たり前。
芸術だから、普遍的であることが当たり前。
では、当時の僕が、「BLUE BLOOD」という作品を
『日本中の若者達にXを届けることができる』
と思っていたのはなぜなのか。
それこそ、僕は
『人間の可能性を信じていた』
のだ。
Xという大切なバンドのメンバー。
その彼らが音楽に命を賭けていることそのものを、信じたのだ。
名曲だけを求めて生きてきた、それまでの自分の人生とその耳を信じ、
彼らの作品に胸が震えた、その自分の感性だけを信じたのだ。
そして、商業主義のエネルギーが満ちあふれている周りへ、芸術作品を手に闘っていくメンバーのエネルギーを信じたのだ。
更には・・・
当時、ライブでメンバーと共に、命懸けで自分たちのエネルギーをぶつけるティーンエイジャー達のことを信じたのだ。
ライブの一体感の向こう側に、きっとメンバーの生み出した芸術作品を、そのまま受けとめ、共鳴してくれることを、信じたのだ。
あれから30年。
僕が信じていたものは消えることなく世界中に広がっている。
夢のようだ。
これは、本当に、夢のようなことなんだ。
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