数日前、90年代生まれの若者と時代について話し合った。

若者から、自分達90年代生まれと、80年代生まれの人達との違いについてどう感じているか、尋ねられたのがきっかけだっだ。

確かに10年も違うと時代は変わる。

1993年生まれと1983年生まれだと、そもそも親も世代が違うから、その親の世代の違いがそのまま子どもの違いにつながる部分もあるだろう。

団塊の世代の人達と、僕らの世代では、価値観もかなり異なる。

そんな話をしているうちに突然、Xのメンバーと出会った頃の、何とも言えない時代の雰囲気が心の中に蘇り、その若者がまだ生まれていなかった1987年頃の時代感について会話が始まった。




僕がその頃、スーパーバンドを世に送り出したい、と願っていた理由がそのまま直結している話なのだが、僕には、あの頃の若者、特にティーンエイジャー達の『心の荒れ』が気になっていたのだ。

思春期の心の荒れは世代に限らず当たり前にあるものだけれど、僕がティーンエイジャーだった頃はもっと牧歌的だった感じがした。

それに対して、カリフォルニアやサーファーの後に訪れた、80年代半ばからの、少し暗めで『心の荒れ』が目立つティーンエイジャー達が街に集う時代感に、ノイジーなギターの音や激しい感情を伝える歌詞はよく合った。

BOØWYやREBECCAは若者の人気を集め、ブルーハーツに若者は熱くなり、尾崎豊に若者が集った。

『心の荒れ』の原因は何だったのだろう。

時代は急速な勢いでバブルに向かっていたから、「金」があらゆる基準となっている価値観から生まれた歪みだったのだろうか。

校内暴力に端を発した管理教育、欲が渦巻く世間、離婚率の増加…。

他にも原因は色々あったのだろうが、日本中の『心の荒れ』を持て余すティーンエイジャー達は、激しいサウンドと歌詞を求め、カリスマのステージに身を委ねることでその向こう側にあるかも知れない心の平安を願った。



そういった空気が渦巻いている中、当時の僕は、BOØWYでもREBECCAでもブルーハーツでもない、更に新しく、もっと強く、ティーンエイジャー達の心を掴んで離さないスーパーバンドと出会い、世に送り出したい、と考えていた。

エレファントカシマシと不本意な別れをした後、目の前に表れたのが、Xだった。

Xのライブに足を運ぶと、そこにはたくさんのティーンエイジャー達がいた。

そこで僕は、『心の荒れ』を浄化する瞬間を見た。

どのライブに行っても、常にXは凄まじいエネルギーでライブに来るティーンエイジャー達を救っていた。

だから確信をした。

僕が探していた、ティーンエイジャー達の心を掴んで離さないスーパーバンドは、

まぎれもなくXだった。



やがて僕は、ライブに来るファンだけではなく、ティーンエイジャーを含む、もっと数多くの若者達、つまり『心の荒れ』を感じる日本中の若者に、Xを届けたいと思った。

それを可能にするのは、やはり作品だった。

『心の荒れ』にきちんと対峙して、浄化する作品…。

その作品を形にするために、メンバーと僕は、とてもハードだけれど濃密で、一切の妥協を排除したレコーディングを続けた。


そして1989年の春に完成したのが、12曲入りのアルバム「BLUE BLOOD」だった。