サッカー専門誌の編集者時代から現在に至るまで、使ってきた取材ノートの数は90冊以上に上る。それらに残されたメモを頼りに、日本サッカー界の様々な時代をひも解いていく。今回はガンバ大阪を率いる長谷川健太。サッカーどころ静岡で生まれ育ち、かつて《ストライカー》として名を馳せた男は、今もなお、三冠王者の指揮官として日本サッカー史にその名を刻もうとしている。彼こそ、連載100回目を飾るのにふさわしい。
[Jリーグサッカーキング9月号掲載]
■現役時代は信頼できるストライカーだった
もはや監督のイメージは強いが、個人的には選手としての印象も拭いがたい。
4―3―3のシステムが主流だった1980年台前半の日本サッカーで、長谷川健太は清水東高の右ウイングとして輝いた。筑波大から日産自動車(現横浜F・マリノス)へと所属チームが移り、システムのトレンドが変わっても、彼はウイングとしての性格を維持した。
だからとい
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