フリーランサーズ・マガジン「石のスープ」

村上和巳【我、百文の一山なれど】vol.2「注目されない『福島第二原発』」(後編)

2012/12/16 20:10 投稿

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石のスープ
定期号[2012年12月17日号/通巻No.63]

今号の執筆担当:村上和巳



 前号からの続き。
 2012年10月2日、東京電力・福島第二原子力発電所(通称・2F)を取材した村上和巳さん。ホール・ボディ・カウンター(WBC)による検査を受けて正常である事を確認。いよいよ取材が佳境に入る。


■制限された建屋外観の撮影

 ホール・ボディ・カウンターの測定後、再び会議室まで戻って、養生の済んだ機材を受け取り、取材内容についてのレクチャーを受ける。取材するのは2F4号機の燃料棒取り出し作業である。

 原子炉は一番外側が格納容器、その内部には圧力容器がある。圧力容器内部にはウランで生成された燃料棒が束ねられた燃料集合体が複数収められている。この燃料集合体の核分裂反応で発生する熱を使って水を沸騰させて蒸気を作り、その蒸気でタービンを回して発電するのが原子力発電の仕組み。
 そして燃料集合体は約3年でお役御免となるが、プルトニウムなども含む高レベルの放射性廃棄物であるうえに、その後も膨大な熱を放出し続けるため、使用終了後も一定期間冷却を続けなければならない。この冷却を行うのが冷却水が循環する使用済み燃料プールである。

 といってもいきなり燃料集合体をドッカンと圧力容器から取り出して、ドボンとプールに浸すわけではない。原子炉上部には原子炉ウェルという空間があり、そこに隣接して燃料プールが併設されている。原子炉ウェルと使用済み燃料プールの間にはプールゲートというものが設置されている。燃料交換などのために使用済み燃料を取り出すときは原子炉ウェル側の最上部に設けられたコンクリートハッチを開け、原子炉ウェルを使用済み燃料プールと同じ水位まで水で満たす。その後、プールゲートを開けると、原子炉ウェルと使用済み燃料プールは水で連結する。その後は、格納容器の蓋、圧力容器の蓋の順で開け、圧力容器内にある蒸気乾燥器と汽水分離機を吊り上げるとようやく燃料棒が見えてくる。この状態で燃料交換機と呼ばれるクレーンの一種で圧力容器内から燃料集合体を引き上げ、そのまま水中をスライドして使用済み燃料プール内にあるラックに格納する。つまり燃料集合体はこの間ずっと水中にあるので膨大な熱や放射線は水中で閉じ込められるのである。

 2Fの4号機では私たちが訪れた前日の10月1日から原子炉圧力容器内にある724本の使用済み核燃料集合体の全てを24日間かけて使用済み燃料プールに移動する作業が始まった。今回私たちが取材できるのはその様子だという。
 第3班全員にカードキーが手渡され、養生されたビデオカメラを持って本館前に出ると、マイクロバスが1台待機中。これに乗車して東電社員とともに、敷地南側から順に1号機から4号機までが立ち並ぶ建屋エリアまで移動し、ガラス張りの建物前でバスを降ろされた。敷地内でも建屋エリアはさらに柵で仕切られており、単純に行き来はできない。ガラス張りの建物が建屋エリアへの入口である。建物内に入るとまず金属探知機検査を受け、そこを通過すると二重扉のセキュリティゲートに進む。
 そこで東電側から渡されたカードキーをかざすと、まず1つ目の扉が開く。中はヒト1人が立った状態で入れる程度のカプセルのような空間になっており、入ると1つ目の扉が閉まる。完全な缶詰め状態でさらにカプセル内にあるカードキー認証部分に再度カードキーをかざすと、建屋エリアに通じる2つの目の扉のみが開き、ようやく外に出られる。そのまま直進すると、建屋エリアだ。既に乗車してきたマイクロバスはそこに待機していた。

 原子炉建屋が4棟並ぶ光景は何とも壮観である。当然ながら我々にとっては撮影したい光景だ。だが、構内はテロなどへの備え、つまり核物質防護上の理由から東電が認めた箇所以外で撮影はできない。ほぼ全員がこの光景の撮影を要望したところ、東電側から四角い箱状の建屋上部のみの撮影を許される。下部には配管などが映り込むためだ。
 指定された画角で撮影すると、ファインダーの半分以上が空になり、下半分弱がどこかの倉庫群のような四角い箱が並ぶというなんとも間抜けな構図になってしまうが仕方がない。

 2分ほどの撮影後、再びバスで4号機建屋前まで移動する。ここも入口は前述のガラス張りの建物と同じ二重扉で、同じようにカードキーを2度かざして通過する。すると目の前はロッカーが並ぶ更衣スペース。我々はここでパンツ1枚になり、備え付けの「TEPCO」マーク入りのスウェット上下、靴下、綿手袋を着用する。靴下はスウェットのズボンの裾を覆い込むように履かねばならない。着替え光景を撮影したいと申し出るものの不許可。スウェットの胸部分には「警報付きポケット線量計」(APD)の格納部分もある。そのAPDは着替え後に渡され、ポケットに装着した。

 これで終わりかと思いきや、建屋内で最も放射性物質付着の可能性が高いエリアに入るために必要なC装備と呼ばれるものをさらに着用しなければならない。頭にはオレンジの網状の帽子をかぶり、上下繋ぎの赤のカバーオールをスウェットの上に重ね着し、帽子の上からカバーオールのフードを被る。さらにカバーオールの袖と裾を覆うようにゴム手袋と新たな靴下を重ね、赤のゴム靴とヘルメットもかぶってようやく装備が完了する。その姿はまるでウルトラマンだ。ここでの撮影は許可されたので畠山さんと一緒にC装備姿を撮影し合う。
 
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[キャプション]2F構内での作業着。
一番右端が原子炉近くで作業するC装備
 

■美しく真っ青に澄んだ水

 そのまま誘導に従って、やはり迷路のような建屋内を駆け足で移動して原子炉棟に入る大きな二重扉の前に移動する。1つ目の扉が開くとなぜかスイス民謡の「静かな湖畔」のメロディが大音量で流れる。最深部入口が開いている警報の意味だという。
第3班全員と誘導の職員全員が1つ目と2つ目の扉のあいだの空間に入り、1つ目の扉が閉められると、メロディが止む。この状態にならないと原子炉棟に通じる最終の2つ目の扉は開かないのだそうだ。2つ目の扉が開けられると、再び「静かな湖畔」のメロディ。その間抜けな音調に畠山さんと共に吹き出した。
 ちなみに2重扉の内部は外部よりも気圧が低い「負圧」になるよう調整されている。空気は気圧が高いところから低いところに流れる。だから、この場合、2重扉の内側から外側には空気が流れない。万が一の時に放射性物質が外部に漏出し難くする仕組みなのだ。

 コンクリートの壁に配管が通る狭い通路を再び移動してエレベーターの前に出る。これで6階のオペレーティングフロアに到着すると、既に第1班、第2班の記者が溢れていた。我々はまず階段で1フロア上にある燃料交換機室に入る。基本的に燃料交換機はコンピューター制御となっているが、細かい作業はこの部屋にいるたった1人の職員が遠隔で操作する。

 
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[キャプション]燃料交換機室
 
 ここからはオペレーティングフロアが一望できる。様々な機器が並ぶその光景の大雑把な印象は「小奇麗な自動車整備工場」。ひときわ目立つのが黄色い鋼鉄製の原子炉格納容器の蓋。コンクリート製の原子炉圧力容器の蓋も見える。

 そこを経てオペレーティングフロアに降り、ようやく使用済み燃料プール脇に案内された。
 私の場合、どうしても使用済み燃料プールというと何度もニュース映像で目にした北朝鮮の寧辺(ヨンビョン)の核施設の使用済み燃料プールを思い浮かべてしまう。あの映像ではフロアとプールの間に柵はなく、そこを小学校の給食係のような白衣を着た北朝鮮の技術者が闊歩していた。
 しかし、この2Fのオペレーティングフロアとプールの間には腰の高さほどの二重柵が設置されていた。北朝鮮の核施設がいかに杜撰かがわかるというものだ。

 
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[キャプション]燃料プールとオペレーティング
フロアとの間は二重柵で仕切られている   
 
 そして放射線がいくら目に見えないものとはいえ、プールの水は驚くほど澄んでおり、高レベル放射性廃棄物が沈んでいることが信じられないくらいである。唯一、そんな雰囲気に似つかわしくないのは、プールの両端の軌道をまたいで設置された燃料交換機が移動しているときに発せられる轟音だ。

 案内役の東電社員から「こっち来てください」と呼ばれる。ちょうど燃料交換機が原子炉の真上から燃料を引き上げて移動したのだ。件の社員が「ほら、今ちょうど原子炉の入口が見えますよ」と。
 水中には車輪を横倒ししたような不思議な穴がポッカリと口を広げている。原子力発電というパンドラの箱の入口だ。波一つ立っていない水面の奥に見える真っ青な底部。何も知らずにその部分の拡大写真だけを見れば、高級リゾートホテルのやけに水深のあるプライベートプールと勘違いする人もいるかもしれないと思えるほどだ。誤解を恐れずに言えば、その様相はある種、神秘的なまでに美しかった。私は夢中でシャッターを切った。

 
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 [キャプション]使用済燃料プール内に口を開けた原子炉ウェル
 
 その社員はさらに燃料交換機が使用済み燃料プールのラックに静かに燃料棒が下ろしている場面を指差した。燃料棒を移動させたせいで、やや波立つ水中にぼんやりと映るラックの穴に使用済み燃料棒は静かに、かつ正確に下ろされる。まさに現代の最先端の科学技術が集積された結果でもある。

 この様子を収めようとせわしなくプール脇を我々が移動していると、案内役から「危ないです」との大声が飛ぶ。同時にトラックがバックする時のようなピーピーピーという警報音。一瞬、線量計が反応したかと思ってドキッとしたが、交換機との接触事故の危険を知らせていたのだ。一瞬の緊張に加えて、綿手袋とゴム手袋を重ねて着用していることもあってか、カメラを持つ手のひらに汗がにじんでくるのがわかった。
 この間、わずか20分ほど。案内役の社員からは「普段はなかなかここまでは公開しない」としきりに言われる。この時、私は高揚感に近いものすら感じていた。

 
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[キャプション]炉心から燃料を取り出して
使用済み燃料プールへ運搬する燃料交換機
 
 
■増田所長の記者会見

 さてオペレーティングフロアから外に出ようとすると、出口すぐ脇の小ブースにカメラを預けるように言い渡される。機材の線量をチェックするとのこと。さらにそこでスウェットの上に着用していたC装備を脱ぐようにも指示される。しかもこの脱ぎ方が独特だった。カバーオールの外側を内側に巻き込むように脱ぐのだ。要は汚染されている可能性がある表面を拡散しないようにするためである。靴もヘルメットも網状の帽子も全てここで脱ぎ捨てる。
 さらに我々がC装備を脱いでいた目の前の床上には高さ5〜6cmほどの敷居が設けてある。案内役から一番外側に履いていた靴下を片足づつ脱ぎながら、脱ぎ終わった段階で敷居の向こう側、すなわちC装備の要らないエリアに足を下ろすよう指示される。そしてC装備より一段階低い線量レベルの場所で着用する青のカバーオールに着替え、そのまま来た道を引き返した。
 前述の更衣室のちょっと手前で再び装備を脱いで、スウェットのみになり、APDを係員に渡す。最後はスウェットのまま被爆有無を計測するボックスに入り、何事もなければ最初に着替えた更衣室に出る。そこで自分の服に着替え直し、またカードキーで二重扉を開けて建屋の外に出た。

 再びあのガラス張りの建屋エリアの検問まで来たとき、ここからは見えない海側のポンプが津波で甚大な被害を受けていること、さらに1Fに来襲した津波は15mだが、同じものが2Fに来襲した場合、その高さは建屋エリアを囲むように存在する高台と同じであるとの説明を受けた。高台を見上げて、流石にその高さの津波が襲来したならば、もはやここも今のままでは済まないだろうという感を強くした。そして検問所付近には3月11日に構内が浸水した高さ50cmを示すプレートもあった。

 そのまま本館に戻って、再度WBCによる内部被曝検査を受け、会議室へ。ちなみに行きのバスの車内で我々は東電側にWBC測定値の開示を求めていたが、それは帰りのバス内で口頭により告げられた。この時、東電職員はバス内で声を張り上げてデータを言うため、他人のものも聞こえてしまった。
 6人の内部被曝量は271〜910cpmとかなりばらつきがある。ちなみに私は原子炉建屋入り前が872cpm、建屋入後が784cpm。6人の中ではちょうど真ん中くらい。やや高めといったところか。もっとも、最高値の910cpmでも異常値とは言えない。

 会議室に戻ると、後方には山崎パンのランチパックシリーズが積まれたトレーが置かれ、テーブルの上には新たに「熱中対策水 梅干し味」なる飲料が置かれていた。
 ここで震災当時から2F所長を務める増田尚宏所長との記者会見が行われた。

 今回の燃料棒移動作業は、2Fの中では3.11津波被害の設備の本設化が最も早く終了したのが4号機であるため、同機で着手されたものだ。増田所長は「既に4号機は冷温停止状態であり、燃料棒を圧力容器内で冷却を続けることと、使用済み燃料プールで冷却することは安全性の上で差はないと考えているが、使用済み燃料プールに移動して一元管理することで管理の簡素化が測れる」と説明した。
 24日間かけて4号機圧力容器内の全燃料棒を使用済み燃料プールに移動した後は、11月下旬から約20日間をかけて水中カメラで炉内の健全性評価を行う。増田所長は
「今回の地震の揺れは、設計時に想定した地震動の半分程度なので4号機の炉心は何ら傷んでいないとは思っている。ただ、予断を持たずに検査は実施する」
と語った。

 一方で全体の復旧作業状況については「4号機は復旧計画のスケジュール通り。3号機はもうじき燃料棒の取り出しに入るが、やや遅れている。1、2号機は冷却に必要な機能の本設化が年度内に終了し、2号機の燃料棒移動は年内から年明けに開始されるだろうと考えている。ただ、全体としては作業スケジュールの遅れを取り戻すよりも、しっかり冷却機能を維持することの方が重要と考えている」(増田所長)とのことだ。
 「本設化」という言葉がわかりにくいかもしれないが、要は3.11の津波で被害を受けた2Fの設備は9月末時点では4号機を除くと、一部が仮設の設備で運営されているということである。9月末時点で本設化完了までの進捗状況が1号機で50%、2号機で53%。つまり震災から1年半でまだ半分は仮設設備で運用されているのだ。一見、何事もないかのように記憶の奥底に追いやられている2Fもまだ完全収束とは言えないのである。

 2Fに関しては参加した記者が最も関心があるのは、復旧作業完了後に2Fを再稼働させるのか、それとも最終的に廃炉にするかである。この点について東電は態度を明らかにしていない。私も9月11日の東電会長・社長会見でこのことを質問したが廣瀬社長は「まだ決まっておりません」と回答している。
 この点について一般紙からの質問に増田所長は次のように答えた。

「これからプラントがどのようになるかは国のエネルギー政策もありますし、福島県議会で廃炉決議がされていることも認識しております。ただ、廃炉に行くにしろ再起動(再稼働)に行くにしろ、プラントをしっかり冷やすということを続けていくことが我々の使命だと思っております。警戒区域の見直しをはじめ地元の方々が帰っていただける状況をしっかりつくりあげていくためには、我々は心配をかけるようなプラントの状況にすることは2度とあってはならないと考えております。プラントをしっかり安定して冷温停止を維持するということは2Fが今持つ使命。廃炉に向かおうが、再起動に向かおうがそこは変わらない」

 この受け答えをどう解釈するかは分かれるだろう。東電は内心は再稼働したいのだろうと捉える考え方は少なくないかもしれない。ただ、いま東電は再稼働も廃炉も明言できないことは確かだ。再稼働は地元も世論も許すはずがない。
 一方、廃炉も東電の懐事情が許さない。というのも廃炉を決めた場合、その時点で算出可能な廃炉費用を一括でその年度の通期決算の特別損失に計上しなければならない。国からの資金投入を経てもなお赤字体質、しかもなお上場企業である東電が、さらに2Fの廃炉費用を計上することはできないのだ。
 もし現時点で東電の2Fに対する腹積もりが廃炉でも、それを公に表明できるのは、廃炉費用を計上してもなお黒字が見込めるような財務体質になってからと考えられる。

 私は以前から増田所長に会う機会があったら、どうしても聞いてみたかったことがあった。それはなぜ2Fは1Fのようにならなかったのか?ということ。簡単に言えば、前述のように外部への電源が1系統残った理由はなぜかだ。この質問に増田所長はこう答えた。
 「外部電源が1系統だけ残ったことに関する特異的な理由はない。ただ、風や雪に耐えられるように設計されている高圧の送電塔が地震で簡単に倒壊することはないと思っていた。とにかく外部電源が残っていたことで、中央制御室でプラントの状況が確認できたことは大きい」
 私は畳み掛けるように「電源が1系統残ったというのは、たまたまだったということですか?」と尋ねた。増田所長はこれに「はい」と応答した。

 
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[キャプション]増田尚宏所長
 
 
■原発に対する報道のスタンスを考える

 終了後再びバスで広野駅前に戻る。車外は警戒区域内外とも人気は少ない。緊急時避難指定区域が解除された広野町ですら住民はほとんど戻ってきていないのだ。
 そんな光景を目にしながらふと思う。原子力発電って誰が発明したのだろうと。何も厳密な発明者の名前を知りたいというわけではない。ただ、夢のエネルギーとかクリーンエネルギーとか、はたまた効率性が高く安価なエネルギーと言いながら、その内部を見るだけで、なぜあれやこれやと細かいセキュリティーチェックや放射線防護のための複数回の着替えが必要なのか。だからこそ思うのだ、こんな仕組みを考え出したのはよほどの天才かよほどのキチガイだろうと。正直、震災が起きるまで反原発派でも原発推進派でもない曖昧な立場だった私にとって、初めての原発内部入りは、非常にメンドくさい、厄介なものという印象だったのだ。

 だが、実はこれと相反する気持ちもあった。それは前述しているが、未知のものに遭遇するワクワク感である。そもそも記者という職業は、取材を通じて他人の体験を擬似体験したり、一般の人よりも未知のものや希少なものに触れられるチャンスが多いからこそ魅力があるとも言える。実際、私は種々のメンドくささはあったとはいえ、今回、一般人では入ることができない警戒区域に入り、さらにその中の2Fの使用済み燃料プールのそばまでいくという機会には恵まれたのだ。

 そんなことを考えながら、ハッとした。今回の取材時には予め史上初の1F事故という前提があった。もしこれがなければ、相反する2つの感慨のうちの前者、すなわち原子力発電に対する疑問というのは取材前も取材後も、もしかしたらかなり希薄なものだったかもしれないと。そうすると残るのは希少な機会、そして最先端技術に触れた高揚感だけになる。
 今回の事故以降、大手メディアが過去に原発に対してとっていた報道スタンスを疑問視する声は少なくない。その背景に関する分析は陰謀史観のようなものも少なくないが、最も頻繁に言及されている理論は、電力会社がばらまいた広告宣伝費が記者の筆を鈍らせたのではないかというものだ。
 実際、エネルギー業界に詳しい人に言わせれば、電力会社の広告宣伝費はガス会社とは「ゼロ1つ違う」ものらしく、そうした理屈は全くの虚構とは言えないだろう。

 だが、大手メディアになればなるほど、広告収入云々という経営的な側面に現場の一記者のタッチできる場面は少ない。
 むしろ記者を懐柔するならば、「記者の性」という鍵穴に対する鍵、すなわち未知の経験さえ与えてあげればすむのではないか。
 震災以前から電力会社が記者を原発構内に案内することが頻繁に行われていたことは、私も知っている。そう過去もそして今も電力会社は記者を原発構内へ案内することだけで記者を満足させられるのだ。そして耳元でこう囁くのだ。
「普段はなかなかここまでは公開しないのですよ」
 そうすれば無垢な記者ほど、その希少な機会に率直に感動するのかもしれない。まあ、そんな雑感が頭の片隅をよぎった。
 



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電子メールの送り先は、「石のスープ」編集部宛に。


■12月20日(木)

東日本大震災 取材報告番組
「風化する光と影〜継続する僕らの取材レポート」岩手篇

去る10日(月)、イベントの生中継として放送する予定でした番組が、ご案内の通り放送事故となってしまいました。それを受けまして、来る20日(木)、改めて生放送で東日本大震災の取材報告番組をお送りする事となりました。

日 時:2012年12月20日(木) 20:30〜22:00
出 演:渋井哲也(フリーライター)
    村上和巳(フリージャーナリスト)
    渡部真(フリーランス編集者)





村上和巳
むらかみ・かずみ
1969 年、宮城県生まれ。医療専門紙記者を経てフリージャーナリストに。イラク戦争などの現地取材を中心に国際紛争、安全保障問題を専門としているほか、医療・ 科学技術分野の取材・執筆も取り組む。著書に「化学兵器の全貌」(三修社)、「大地震で壊れる町、壊れない町」(宝島社)、「戦友が死体となる瞬間−戦場 ジャーナリスト達が見た紛争地」(三修社/共著)など多数。
[Twitter] @JapanCenturion
[公式サイト] http://www.k-murakami.com/
 

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