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粥川準二【特別寄稿】「中絶、先端医療、フクシマ」

2012/12/28 20:10 投稿

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石のスープ
定期号[2012年12月25日号/通巻No.64]

今号の執筆担当:粥川準二さん


 こんにちは。「石のスープ」編集部の渡部です。
 今回は、サイエンス・ジャーナリストの粥川準二さんから特別寄稿が届きましたので、お送りします。
 粥川さんと僕は、知り合ってもう10年ほどになります。どれほど前か忘れましたが、以前、粥川さんと雑談する中で「人工妊娠中絶は、是か、否か」という話題になりました。かなり熱く語り合っていたのですが、僕自身の勉強不足もあり、その時はとくに議論は進展しないまま、「いずれまた議論しましょう」という事になっていました。先日、この話を粥川さんにお話ししたところ、記憶にないって言われてしまったんですけどね(笑)。ただ、僕の中では、ぜひ認識を深めたいテーマだと思っていました。
 そんななか、先端医療として「出生前診断」が話題になっています。粥川さんが、このテーマについて書かれている記事を読んで、以前、2人で熱く語った記憶が蘇りました。
 そこで、粥川さんに今回の原稿をお願いした次第です。
 ということで、「石のスープ」もたまにはアカデミックに……
*  *  *  *  *  *  *


■福島市のナシ農家にて

 2012年11月22日、筆者は福島県福島市のナシ農家を訪ねました。そこで偶然、小さな赤ちゃんに会いました。そのお母さんに「生まれて何カ月ですか?」と尋ねたところ、「まだ3週間です」とのことでした。どうりでまだ小さなはずです。お母さんはその農家の娘さんで、出産後に里帰りしていたところでした。筆者が訪ねた農家の女性〜〜その赤ちゃんの祖母〜〜は「この1カ月間『大丈夫なの? ここで育てて……』が頭の中をグルグルうずまいていました」と、筆者にくれたハガキに書いています。
 震災後の夏の終わり、福島県に住む小学5年生の女の子が政府の担当者に宛てた手紙の中で「私はふつうの子供産めますか?」と書いたことが話題になりました。そのような疑問が頭をよぎらなかったのか、そのお母さんに尋ねてみることもできなくもありませんでした。しかし、そのときは赤ちゃんのかわいらしさに圧倒されて、そんなことは忘れていました。
 フクシマ原発事故とそれによる放射性物質の拡散によって「懸念」されていることの1つとして、遺伝性疾患(次世代に遺伝する病気)や先天障害(いわゆる奇形など)が増加することがあるともいわれています。本当に今回の原発事故による放射線によって次世代の子どもに何らかの影響が出るのかどうかは別にして、そうした「懸念」が人々の心の中で高まれば、中絶〜〜正確には「人工妊娠中絶」〜〜が増えるかもしれない、と筆者は考えました。
 今回、「石のスープ」に寄稿するということになり、読者の皆さんが震災情報に関心が高いということで、そうした中絶について、原発事故や先端医療の現状も踏まえつつ、考えてみたいと思います。

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[キャプション]福島市のナシ農家「阿部農園」
 

■日本の芸能人、アイルランドのインド人

 最近、中絶をめぐって、興味深いニュースが2つありました。
 1つは、お笑い芸人の藤森慎吾さんについてのニュースです。藤森さんは女性モデルを妊娠させたのだが、「中絶させ、慰謝料350万円を支払った」、その一方で、彼と女子アナとの間で「熱愛報道」が流されたのだが、それはモデルとの間の「スキャンダル」をもみ消すために意図的に流されたものだった、と週刊誌が報じたというものです(『スポニチ Sponichi Annex』2012年12月10日、など)。
 そのうえ彼が囲み取材でその件を認めたさい、本人がニヤニヤしていたこと、報道陣から爆笑が起きたこと、その様子を流したワイドショーのコメンテーターたちもやはりニヤニヤしていたことについて、タレントのフィフィさんがツイッター(@FIFI_Egypt)で以下のように批判したことも話題になりました。

「男女の身勝手な行為により人工妊娠中絶に至った場合、それは両者の責任であり、誠実に対応しようが否か胎児の尊い命が奪われた事実に変わりは無く、会見でこの話題に触れた際、笑いが起こった事は信じ難い。同時に視聴者との道徳観の隔たりや社会への影響に無責任なマスコミの姿勢も浮き彫りになった」(2012年12月10日 - 17:56、原文ママ)

 フィフィさんはこの直前、「若者の間で自覚症状の無い性病も蔓延していますし、性交渉の乱れによるHIV感染や中絶も増加の一途」と述べ、日本社会を「性教育後進国」とみなし、「自分を着飾る前に、自分のカラダに関心を持ちませんか?」とフォロアーらに呼びかけていました(2012年12月10日 - 14:33)。
 彼女の事実認識には、後述するように一部誤解もあるのですが、その主張は多くの共感を集めているようです。筆者もおおむね同意します。

 もう1つは、アイルランドで起きた事件です。同国在住のインド人女性がやむにやまれず中絶を希望したのですが、カトリックの国である同国の病院ではそれをすぐ受け入れてもらえず中絶手術が遅れ、その直後に死亡してしまいました。この事件は日本ではわずかしか報じられなかったので、少し詳しく見てしましょう。

 2012年10月21日、31歳の歯科医サヴィータ・ハラーパナヴァールさんは、当時妊娠17週でした。彼女は背中の痛みを訴えてゴールウェイ大学病院を受診し、流産しかけていることを知りました。彼女の夫プレヴィーン・ハラーパナヴァールさんによれば、サヴィータさんは深刻な痛みに苛まれ、何度も中絶手術をしてくれるよう医師に頼んだのですが、断られました。医師たちは彼女に、子宮頸部が膨張し、羊水が漏れており、胎児は生き続けられないだろう、と伝えました。医師たちは胎児の心臓の鼓動を1日に何回も検査したといいます。プレヴィーンさんは地元紙『アイリッシュタイムズ』の取材に対して、サヴィータさんは動揺していたが、お腹の中の子どもを失うことを受け入れていた、と話しています。
 22日の朝、サヴィータさんは主治医に、お腹の中の子どもを救えないならば、妊娠を終わらせてくれるよう頼んだのですが、主治医は、胎児の心臓の鼓動がある限り何もできない、と答えました。23日の朝にも同じやりとりがあったのですが、主治医は、法律があるといい、「ここはカトリックの国なのです」と答えました。ヒンドゥー教徒であるサヴィータさんは「私はアイルランド人でもカトリックでもありません」といったのですが、受け入れてはもらえませんでした。その夜、サヴィータさんは身体の震えに襲われ、嘔吐し、トイレで倒れました。アラームが鳴り、医師が採血して、抗生物質が投与されました。
 24日の朝、プレヴィーンさんは、サヴィータさんの症状があまりに深刻なので、中絶手術をしてくれるよう頼んだのですが、医師たちはできない、と答えました。その日の昼頃、胎児の心臓の鼓動が止まると、医師たちはサヴィータさんを手術室に運んで、中絶手術を実施しました。彼女が手術室から出てきたとき、彼に「大丈夫よ」といったのが2人の最後の会話になりました。その日の午後11時、プレヴィーンさんは病院からの電話を受け取り、サヴィータさんが集中治療室に運ばれたことを知らされました。脈拍が低くなり、体温が上がったといいます。
 27日の午後7時、医師たちは、サヴィータさんの心臓、腎臓、肝臓が機能していない、といいました。その夜、彼女は帰らぬ人となりました。11月1日、プレヴィーンさんはサヴィータさんの亡骸を故郷に運びました。彼女は火葬され、3日に埋葬されました。

 サヴィータさんは最終的には「敗血症」で亡くなりました。敗血症とは、血液に入り込んだ細菌が増殖して体中に広がることによって、臓器に異常が起こる病気です。死後に行なわれた検視では、「ESBL(拡張型β-ラクタマーゼ)産生大腸菌」による敗血症であることが確認されました。抗生物質が効かないことがあり、病院の集中治療室などにおける院内感染がしばしば問題になっている細菌です。
 ゴールウェイ大学病院のスポークスマンは、アイルランドの保健省および病院自体がこの件について調査を始めていることを認め、サヴィータさんの家族や友人にお悔やみの意を伝えるとともに、個々のケースについて話すことはできない、と各メディアに答えています。
 アイルランドでは1983年に憲法が改定され、胎児は「市民」とみなされています。資金豊かな宗教的右派の圧力によってなされたといわれているこの憲法改定によって、アイルランドでは、中絶はほぼ全面的に禁止されています。そのため多くの女性が中絶手術を受けるためにイギリスに渡っています。2010年には、ヨーロッパ人権裁判所が、アイルランドは妊婦の生命がリスクにさらされる事態に備えをしていない、と裁定したこともあります。

 アイルランドでは、サヴィータさんの死を受けて野党の政治家が法律を改定して中絶を認めることを訴えました。また、隣国イギリスを含む各地で、中絶の容認を求めるデモが行なわれました。しかしながらカトリックの影響の強い保守政党は、法律改定による中絶の容認には難色を示しているようです。
 日本では、お笑い芸人がかかわる中絶についてニヤニヤする人がいて、それをたしなめる人がいます。アイルランドでは、異邦人の死をきっかけに、厳しすぎる中絶の容認を求める人がいて、それに抵抗する人もいます。
 日本では、中絶はあまり真剣に考えられていないように見え、一方、欧米諸国では、政治論争になるほど真剣に考えられているように見えます。


■中絶とは何か?

 あらためて、中絶=人工妊娠中絶とは何でしょうか? 人工妊娠中絶とは、手術や薬品といった人工的な方法を使って、意図的に妊娠を中断させることを意味します。「中絶」という言葉には、本来は「流産」や「死産」も含まれるのですが、「中絶」というときには一般的に「人工妊娠中絶」を意味します。「堕胎」ということもあります。
 その方法は、妊娠初期(12週未満)と妊娠中期(12週以降)で異なります。初期では、麻酔下で子宮の中身を除去します(海外では人工流産を促す薬品が使われることもありますが、日本では認可されていません)。中期では、分娩と同じような経過をたどらせて胎児を体外に排出させます。
 日本では、中絶は、刑法(第212〜216条)では犯罪とみなされており、本人が医師やそれを行なえば罪を問われる可能性があります(刑法堕胎罪)。しかし、母体保護法で「経済的事由」による人工妊娠中絶が可能であることが規定されているため(第14条1項)、この法律で定められた指定医師の下で中絶を行なうことが認められています(違法性阻却)。後述する出生前診断にともなう選択的中絶も、この「経済的事由」の下で行なわれています。

 中絶をめぐる議論でしばしば問題になるのは、人間の生命はいったいいつから始まるのか、という疑問です。
 精子と卵子は卵管と呼ばれる部位で受精し、「受精卵」と呼ばれるものになります。受精卵は細胞分裂を繰り返し、受精から5〜6日目で、70〜100個程度の細胞からなる「胚盤胞」と呼ばれるものになり、これが子宮の壁にたどり着きます(胚盤胞は単に「胚」とも呼ばれます)。このことを「着床」といい、通常、この着床が成功したことをもって、妊娠が成功したと考えます。日本の産科では、妊婦健診で胎児の発育度を見て、それから逆算して受精を2週0日、出産予定日を40週0日として、妊娠期間を推測します。細胞分裂を始めた受精卵は、妊娠7週6日までは「胎芽」、8週以降は「胎児」と呼ばれます。

 母体保護法(にもとづく厚生労働事務次官通知)では、妊娠22週未満まで、中絶が認められています。「22週未満」というのは、胎児が母体外で生存できない時期を意味します。逆にいえば、母体保護法は妊娠22週目以降の胎児を人間と認めているようにも読めます。ところが、刑法では、胎児が母体から一部でも出ていれば、それを人間とみなす解釈(一部露出説)が有力です。さらにやっかいなことに、民法では、胎児が母体から完全に分離した時点で人間とみなす解釈(全部露出説)が有力のようです。ただし刑法では、堕胎(中絶)はいまだに違法行為であるので、もっと早い時期から人間と認めているとも解釈できそうなのですが、これ以上の法解釈は筆者の手には負えません。
 一方、日本を含む先進国では、受精から14日以内の胚であるならば、後述するES細胞(胚性幹細胞)の作成など研究のために使うことを認める、という考え方がスタンダードになっています。14日目というのは、胚が外胚葉・中胚葉・内肺葉へと分かれていくさいに生じる「原始線条」が形成される時期でもあります。神経系の細胞は外胚葉からつくられます。つまりこの考え方においては、神経の有無、いいかえれば感覚(とくに痛み)の有無が、その胚が人間であるか否かを決める理由の1つとなっているとみなせます。
 キリスト教では、受精の瞬間の人間の生命を始まりと考えています。そのため中絶はもちろん、ES細胞研究などについても批判的です。そのほかのキリスト教各派も中絶に対して厳しい意見を持つことが多いようです。とくにアメリカ合州国では、女性の権利として中絶の権利を求める人々(プロチョイス派)と、キリスト教原理主義者ら中絶に強く反対する人々(プロライフ派)との間で、熾烈な論争が続いてきました。過激な中絶反対者が中絶を行なうクリニックを脅迫するだけでなく、爆破事件まで起こすといった状況が続いてきました(荻野美穂『中絶論争とアメリカ社会』、岩波書店)。
 キリスト教以外の宗教では、意見らしい意見があまり目立ちません。

 筆者自身は、生物としての人間、すなわち「ヒト」であれば、受精の瞬間から始まるのではないかと考えています。しかし、人間は単なる生物というよりは、人「間」という熟語が示すように、ほかの人間と複雑な関係を取り結ぶ存在であり、ある種の状態であるともいえます。だとするならば、人間という存在は、それが「あなた」と呼ばれうるときから始まるのだといえるでしょう。重要なことは、それが「人間」であるどうかであって、それが「生命」であるかどうか、ではないように思えます(この見解は社会学者の加藤秀一さんの議論を踏まえています。『“個”からはじめる生命論』日本放送出版協会、を参照)。しかも、受精から誕生に至る過程でのその境界は、おそらくは点ではなく、ゾーンでしょう。
 しかしながら、「潜在的な人間」と「現に存在する人間」との間で、どちらかを優先しなければならない場合があるとしたら、後者を優先するべきであると筆者は考えています。したがって中絶に対しては、可能であるならば避けたほうがいいが、事情があって避けられないならばやむをえず、安全に中絶手術を受けられる環境が女性に与えられるべき、というのが筆者の見解です。

 では、そうした中絶は、日本ではどのくらい行なわれているのでしょうか? 「日本では中絶が多い」、「日本では中絶が増えている」、「日本は堕胎天国」などという人がときどきいますが、それは大きな誤解です。
 厚生労働省の「母体保護統計報告」や「衛生行政報告例」によれば、中絶のピークは1955年で、女子人口1000人当たり50.2件が報告されてしました。ところが2010年ではわずか7.9件です。55年間でおよそ6分の1に減っているのです。また、国際的に比較しても、国連がデータを集めることのできた先進11カ国中、日本は7位です。いちばん多いのはロシアで、女子人口1000人当たり40.3件。日本は2006年の9.0件という数値が採用されています。興味深いのは、この数字がカトリックの国であるはずのフランス(14.7件)よりも少なく、同じくイタリア(9.0件)に近いということです(アメリカとアイルランドのデータは残念ながら入手できませんでした)。
 つまり日本では中絶は年々減っており、国際的に見ても日本は中絶が多い国とはいえないのです。日本社会は、中絶を認めつつも、忌避する方向に進んでいるといってもいいでしょう。

[参考]人工妊娠中絶の実施率
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2248.html

[参考]人工妊娠中絶の国際比較
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2247.html

 では、中絶について、もう少し別の角度から考えてみるために、最近話題になっている先端医療技術2種類と中絶との関係を見てみましょう。
 

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