今号の執筆担当:駒林奈穂子さん
こんにちは。「石のスープ」編集部です。
今号は、岩手県大槌町出身の駒林菜穂子さんから届いた特別寄稿をお送りします。
編集者として活動している駒林さんは、大槌町で被災し、現在は釜石市の仮設住宅で暮らしています。昨年まで、三陸の今を発信する情報誌『Re-born』を発行。情報発信をする立場から、現在の心境を率直に書いていただきました。
(※なお、無料時代の『Re-born」が、公式サイトから入手できます。公式サイトはこちら→http://office-r311.com/←)
[キャプション]岩手県上閉伊郡大槌町
3月11日が近づいている。
私が鈍いせいなのか、その日に向かって周りの空気が変わっているようにも特段感じないし、新しく何か始める人、もう始めて走り回っている人、会社で仕事をする人、お店のお客さんが増えたと喜ぶ人、また反対に減ってしまったと嘆く人、これから何をしていったらいいか悩んでいる人、みんな泣いたり笑ったり時には怒ったり、そんな日常に囲まれていて3月11日が来るから、それが来たからといって劇的に変わる訳でもなく、一日一日を淡々とであれ精一杯であれ虚無であれ生きている。
遺族の方々は三回忌を迎え、その心中は完全に私が理解出来るものでもなく、また何かをしなければならないということでもなく、この時期はそっと静かに見守り、あとは日常で普通に笑ったり泣いたりすればよいのだ、と思ってる。
私は一昨年から昨年にかけて、情報誌を発行していた。
震災から半年後の当時は前に進み始めた人や特に悲惨な被災状況にあった方々が主に報道されていたように思う。被災地はそれだけではない、いろんな状況の人がいる、仮設住宅だって報道されるほど悲惨とは限らない、そして、命があるのは人間だけではなく動物も、という思いで「知ってください」と切に願っていた。
そういう中で昨年2月に東京へ行き、私は衝撃を受けた。
ここでは震災はもう過去のことだ、と。私自身も震災のことなど忘れたかのように友達との逢瀬を楽しんだりした。そして、発信するということをあきらめたというよりも、むしろ「覚悟」のようなものを感じた。
地元に戻り、当初は国からの助成事業として始めたが、独立し有料で発行する事にした。
「売れない」とは最初から覚悟していたが、作った以上広めなければと躍起になった。完全に自分自身を見失っていた部分もあったと思う。私の努力不足もあったが、情報誌は売れなかった。最後は、自分が作ったものなのに私自身が嫌々売っていることに愕然とした。
「知って下さい、忘れないで下さい」ということに意味はあるのか。
何を知ってほしいのか、そもそも知るとはなんなのか。
専門を持つジャーナリストの方々は、自分の専門分野での問題点や課題に焦点を当て発信している。その部分を知る、ということでそれはとても有益な情報になる。しかし、私自身が発信する意味や怖さを分かっていなかった。それは大手のマスコミが流す「お涙頂戴物語」はたまた「被災地サクセスストーリー」に成り下がってしまう危険性をもはらんでいたと感じる。
被災地に住んでいる人間の声だから聞かなければ、と思って下さるのは嬉しい。しかし、それはあくまで個人や一部分での声であり、全体を通して発信出来る人というのは、実はここにはいないのではないかと思っている。全体が見えている人が多ければ、復興などどんどん進んでいるのだから。
時折事務所の電話が鳴る。もう震災から1年以上たち、人々の生活は仮設住宅に入るなどして一見落ち着いてはいたが、今度はそのぽっかりと空いた心の空白に焦燥と虚無を繰り返す時でもあったのだ。そこへ「古着を送ります」「絵本を寄付したい」等々、やはり「被災地のために何かしなければ」という焦燥感と正義感にかられた方の電話。「今はそんな時期ではない」という意味のことをやんわりと断るほど私には余裕がなかったかもしれない。
そして、被災地そこここに「支援」の名を借りた魔物が棲み始めたのもこの時期だったように感じる。正義や大義名分に酔いしれ何か見えないものに向かって突き進むそれは私には異様に映った。そのような違和感を放っておいた結果の一つが、被災地某町の不正問題などを町ぐるみで引き起こしたのではないか。
そしてここで暮らしていると、被災地の外にいる方々が、震災に関してどのように感じているのかという事が、外から届く情報や、ネット上やSNSからでしか把握出来ない。
そこでは、去年肌身で感じた、「過去のもの」とはまた違うもっとドロドロしたものが見えてくることがある。「この人、よくわかってくれている」と共感することもあると一方で、「いい加減なことを言う人もいるなあ」と時々違和感を感じる。瓦礫焼却反対のニュースやツイートを見るたび、それが利権や危険と隣り合わせということをうっすら知っていながらも、その反対の罵声や暴動に「正義感の恐ろしさ」も見た。その違和感がどこからくるのか、また、なぜこんなに無関心な人が多いのか……。
それが自分なりに納得出来るまで情報発信は自分の好きなお店、今住んでいる所の風景以外やめようと思った。
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