北島秀一・山路力也・山本剛志 共同責任編集
【目次】
□クロスレビュー「必食の一杯」
麺屋ぼくせい@下北沢「塩らーめん」
■クロスコラム
■告知/スケジュール
□編集後記
■巻頭コラム
「武内さんの事」北島秀一
去る7月13日は武内伸さんの命日だった。2008年に彼が亡くなってから早い物でもう6年。この機会に、私の知る武内さんの事をある程度まとめておきたい。
読者諸兄もご存じのように、武内さんは第二回TVチャンピオンラーメン王選手権の優勝者。その圧倒的な知識と独特のキャラは非常に存在感があり、「ラーメン王」として「食べ歩きを続けて来た素人が評論家としてプロの情報提供者になる」スタイルの先駆けとなった人だ。その第二回は1992年。インターネット普及前夜であり、それこそ足とクチコミでしか得られない情報を、損得抜きに、しかも全国レベルで蓄積していた武内さんの知識はマスコミにとっても貴重だったのだろうと思う。
九州で生まれ東京に引っ越し、麻布高校時代に春木屋と出会って衝撃を受けたと言うのは有名な話だが、もともとご実家は九州で土建業を営んでいたそう。子どもの頃から現場の荒くれ男と混じって生活をしていたのが、おそらく武内さんの基本的なキャラを作り上げたと思われる。麻布高校と言う国内有数の進学校に進みながら、学校では漫研に属する変わり種。更にそこに春木屋以降はごりごりとラーメンを食べ歩き、学祭ではラーメン漫画の同人誌まで作っている。ちなみに武内さんはその後「一杯の魂」「虹色ラーメン」など漫画原作も手がけているが、その原作は文章ではなくネーム(下書きの更に下書きのようなもの)で出していたとも聞いている。
日大に進み、更にラーメンを食べながら、武内さんは日本拳法の部活に属していた。元々のバンカラな気質にどうもここで更に拍車がかかったようで、詳しくは割愛するが、トラ箱だのブタ箱だのに少々お世話になった事もあったとか無かったとか(^_^;)。優等生的な性格はほとんど無く、どうも昭和の漫画に出てくる番長とか不良がラーメン愛一直線に生き抜いた人物、と言うのが一番近いように思う。
大学卒業後は工務店に就職し、テレチャンに出場。その後ラ博設立を受けて長年の夢だった「ラーメンの城」で働きたいと館長に直談判し、広報担当として転職してからの姿が、主に我々の知る武内さんだと思う。その知識と経験と情熱を持って運営や企画に参画し、更に「ラ博の顔」としてマスコミなどにも多数出演。当時から今でも、その出演数の多さから武内さんをラ博の館長と勘違いしている人は多い。ちなみに武内さんがラ博で手がけた最初の大きな企画は【新横浜発全国ラーメン紀行】の第二弾、飛騨高山「やよいそば」だった。結果から言うとこの企画は大失敗。そこまで二年半、多少の凸凹はありつつも順調に推移していたラ博の収益に相当のダメージを与えたらしい(その当時、私はまだラ博に入っていなかった)。「首都圏で知られていない、全国の多彩なラーメン文化を紹介する」と言う企画意図にはぴったりはまってはいたが、当時の飛騨高山はあまりにご当地としての認知度が低すぎたのが敗因のよう。この件は武内さんにとっても非常にショックで、「マニアと一般人」「食べ手と提供者」の立場を強く意識するようになったみたいだ。後に私がラ博に転職後、幾度となく「北島、アマチュアじゃダメだ。プロになれ」と言われたその源泉はきっとここにあったのだと思う。
私自身の武内さんとの本格的な付き合いは、1999年にラ博にスカウトされてからになる。一応私もこの時点でテレチャンにも出ていたし、「東京一週間」の連載を担当させて貰うなどプロとして活動は開始していた。その私にとっての武内さんはマニアとしても書き手としても大先輩であり雲の上の人だったが、実際に上司と部下として付き合ってみると、良く言えば人間味溢れる、悪く言えば非常におっちょこちょいな人物だった。
例えば彼の方向音痴のおかげで旭川でタクシーを降りてから店に着くまで30分も連れ回されたりとか、沖縄出張が終わってさあ帰ろうとしたら、航空券を出張開始日日付けで手配していて始末書物になったりとか、あほな話には事欠かないが、当然ながらそのラーメン愛を一番叩き込まれたのもこの数年間。叩き込まれたと言うより、武内さんの言動を身近で見ているとその一つ一つに目が覚める思いがしたのが正確な所か。個々は細かすぎてなかなか列挙は出来ないが、彼が愛するのはあくまでラーメン全体で、個別の店や職人に媚びる事はなく、誉めるべきは誉めつつ批判すべきはする。それで自分がもし誰かに嫌われるとしてもそれがラーメン全体の為になるなら全く気にしない。とにかくひたすらラーメンそのものと、ラーメンを取り巻く環境がより良くなる事が第一優先であり、その他の事は些末だと思っていたのだろう。
唯一の例外は、有名な佐野実氏との親交だが、これは佐野氏もまた武内さん同様「私」より「ラーメン」を優先する二人の信念が共鳴した為であり、そこになれ合いなどは全くなかった。よく佐野実氏を「ラーメンの鬼」と表現するが、私は武内さんの事を「ラーメンの仁王様」だと思っている。
そんな武内さんがラ博を退職したのは2003年2月。私事で恐縮だが、私が白血病で半年間入院闘病し、退院して一ヶ月そこそこの事だ。これは正直ショックだったなあ。「人をここまで巻き込んでおいて相談も無しに退職は無いでしょうが」との思いも少なからずあった。結局私も体調的・精神的に会社勤めは難しくなり、同年の5月にラ博を退職。その後は、らーナビや日本ラーメン協会設立準備委員会などで、またかなり密に武内さんと仕事をする機会はあった。
あまり良くない意味で武内さんの転機になったのは、確か2006年頃だったと思うが、とあるラーメン集合体の運営責任者に就任してくれないかとの話があってからだ。「ラーメンの城を作る」と言う子どもの頃からの夢を一度はラ博で果たしたとは言え、やはりここに来て「自分の城」が持てると言うのは大きな魅力だったみたいで、武内さんはその話を受ける事となる。が、そこに「夢」と「現実」の大きなギャップがあったようだ。ここまでの文章でも推察出来ると思うが、武内さんにはいわゆる「的確にルーチンの仕事をこなしていく実務者」としての能力は、ハッキリ言って無いに等しかった。得意なのは、そのラーメン愛と一途な性格での一点突破。企画立案や、調査、情報収集などの不定形、あるいは未定形な仕事をブルドーザーのようなパワーでもって切り拓いて行く事だ。
が、何も組織が無く、ほぼ一人で管理運営を引き受けた武内さんは一番苦手な仕事を任される事になった。日々の設備の管理やテナントとの交渉、業者との折衝、ガスや水道の管理など。朝イチで施設の鍵を開け、夜も責任者として最後に帰るような状態だったらしい。当然一番やりたかった企画立案などは後手後手に回っていた。それでも、商売的に好調であるなら徐々に組織を整備し実務を人に任せて行けたのかも知れないが、当時は既にラーメン集合体自体が飽和状態で集客もなかなか延びず、また各テナントの意識も強く統一されてはいなかったようだ。滅多に弱音を吐かない武内さんが、とある知人に「北島が居てくれたらな」と幾度となくこぼしていたと没後に聞き、何ともやるせない思いもした。
実はラ博退職後、武内さんは「置いていってしまった」私の事をかなり気に掛けてくれていて、この施設が上手く行ったら私を招聘して安定収入に繋げてやりたいと思っていたようだ。状況が良くなれば呼ぶつもりだが、厳しい時は声を掛けない。「迷惑をかけたくない」との一心だったのだろうが、武内さんの優しさや誠実さをもっとも表していると同時に、私としてはもっとも切なく哀しいエピソードでもある。
この集合体の件は確か一年少々で武内さんが退職し、施設自体はリニューアルされたと思うが、結局このストレスフルな時期の飲酒量の増大と飲酒習慣が災いして肝機能障害を引き起こしてしまった。もともと酒量の多い人ではあったのだが。その後の体調は一進一退を繰り返しながらも徐々に悪化。2008年3月の「日本ラーメン協会」設立にも尽力したが、その後同年7月13日に48歳で逝去された。人生で「たられば」を言っても仕方がないが、もし協会設立の動きがあと二年早く、あの集合体に彼が関わらなければまた違った展開があったのかな、と思ったりもする。
ここでハッキリしておきたいのは、武内さんの死因について必ずと言っていい程「ラーメンの食べ過ぎで」と言われるが、これはデマであると言う事。肝臓を悪くした初期や亡くなった前後に何度か武内さんご本人、あるいはご家族に「ラーメンの食べ過ぎも関係あるんですか」と確認したが、回答は必ず「ラーメンではなく酒です」だった。むろん、長年の食習慣のダメージが肝臓に何らかの影響を及ぼしていたかどうかは私に判断はつかないが、少なくとも直接原因としてはラーメンは無関係であると言うのが一貫した回答である。もしかしたら武内さんの遺志で「ラーメンも関係ある」との事実が隠されているとかであるにせよ、だとしたら当時の担当医、あるいはカルテ内容そのものなどの証拠でも無い限り、それはあくまで「イメージ」「想像」に基づく根拠の無いデマであり、更に大部分は単なる伝聞であろう。この点は、この機会に重々念を押しておきたい。
武内さんが亡くなって6年。これは私にとって大きな精神的支柱を失った6年でもある。自分の体調悪化に伴い、ラーメンとの関わり方を変えざるを得なかったここ一年ほどは特に「ああ、ここで武内さんならどうするかな」「武内さんと話したいな」と思う事はしばしばあるが、そのたびに「多分こうすれば叱られないだろう」と思いながら選択してきたつもりでもある。果たしてそれが正しかったのかどうか。今年のお盆は一度くらい夢枕に現れてくれてもいいんじゃないかと思うんだが。
□クロスレビュー「必食の一杯」
一杯のラーメンを三人が食べて語る。北島、山路、山本の三人が、今最も注目しているラーメン店の同じ一杯をクロスレビュー。それぞれの経験、それぞれの舌、それぞれの視点から浮かび上がる立体的なラーメンの姿。今回は6月26日にオープンした蔦待望の2号店『蔦の葉』の「醤油そば」を三人が食べて、語ります。
「醤油そば」750円
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