北島秀一・山路力也・山本剛志 共同責任編集
【目次】
□クロスレビュー「必食の一杯」
■ラーメン活動月報(11月)
□告知/スケジュール
■編集後記
■巻頭コラム
『「ラーメン」という概念の広がり』山本剛志
今の「ラーメン」には、醤油・塩・味噌だけでなく、豚骨・鶏白湯、最近では鮮魚系やベジといったジャンルもあり、多様性に富んだ食べ物だと紹介されている。しかし、そういった広い概念は「ラーメン」という言葉に最初から備えられていたものではなかった。
「ラーメン」という言葉を全国区にした存在は、1958(昭和33)年に発売された「チキンラーメン」だが、それまでは「ラーメン」といえば醤油ラーメン、それもチキンラーメンと共通する、澄んだスープに細縮れ麺をイメージする人が多かった。味噌ラーメンがブームになった1970年代、九州発の豚骨ラーメンが注目を集めた1980年代ともに、「あんなのはラーメンではない」という意見が見られた。そういった意見は、1990年代以降、次々と現れた「ニューウェーブ系」ラーメンに対するアンチテーゼとしても現れた。
新しいスタイルのラーメンを否定する理由は「ラーメンはこんなもので十分」という意見であり、ラーメン評論家だった石神秀幸氏は、そのような発言をする人を「中華そば原理主義者」と呼ぶ一方、彼らにラーメンを常食する傾向がなく、進化の意志がないラーメンが市場を拡大する事はないとした。
「ラーメンブーム」は、他の食品のブームよりも長く続いていると言われているが、その実態は「塩ラーメンブーム」「つけ麺ブーム」「まぜそばブーム」「辛いラーメンブーム」などが入れ替わり起きている現象であり、同じラーメンだけがブームを起こしているのではない。ラーメンの多様性を認めていく事が、ラーメンの魅力を正しく捉えられる道であると考える。
ラーメンの多様性を考える上で避けて通れないのは、長崎をはじめとする「チャンポン」と、「沖縄そば」の存在である。両者とも現在の中国から直接渡来した料理であり、東京でラーメンが発祥するよりも前から麺料理として確立している。それぞれの独立性を尊重しつつ、ラーメンの兄貴分と考えるのが適当ではないだろうか。特に沖縄そばは、戦前は醤油味のスープが主体で、食べ手の側から「支那そば」と呼ばれてきた歴史を持っている。日本のラーメン史は、東京から全てが枝分かれしたものではなく、中国から複数の伝来があったと考えるのが自然な発想ではないだろうか。
□クロスレビュー「必食の一杯」
一杯のラーメンを三人が食べて語る。北島、山路、山本の三人が、今最も注目しているラーメン店の同じ一杯をクロスレビュー。それぞれの経験、それぞれの舌、それぞれの視点から浮かび上がる立体的なラーメンの姿。今回は6月、東中野にオープンした新店「かしわぎ」の 「塩ラーメン」を、山路と山本が食べて、語ります。
「塩ラーメン」680円