-量的な分析と質的な分析の両方が必要-
ひっ迫する国家財政をみて大変だと心配する人は多いものです。
確かに、大変なのでしょう。
ただし、物事には両面があります。右に対して左があります。
負債に対して資産というものがあります。
借金の額と資産の額という量だけを比べても意味はありません。
量の議論に合わせて、質の議論がなければ。
借金の内容と資産の内容といった質的な分析がなければ合理的な思考にはなりません。
昔の日本は国債の金利も高く数%の利子を払う必要がありましたが、資産は高速道路などのインフラ投資が中心で、これらの恩恵は民間が享受するものですから国家財政としての運用利回りというものはありませんでした。
国家にとって負債と資産の内容は悪かった。
いまはどうでしょうか。
国債の金利はほぼゼロで負債の内容は格段によくなっています。
一方で資産の方は事業投資です。
たとえば国家が半導体工場に出資をする。
あるいはGPIFや日銀が株式に投資をする。
金融投資でも株式の益利回りの平準的な水準が6%程度期待できることを考えればバランスシートの資産的評価としては「非常によい」わけです。
事業投資であればROE二けたは期待できます。
運用と調達とのスプレッドが5-10%あるのですから。
株式は資産が時間とともに徐々に増えていく可能性があるわけです。
借金については、怖い、返済が心配だ、という方は多いでしょう。
しかしながら、借金とは信用のバロメーターでもあります。
借金の調達コストを上回る運用資産が世の中には溢れているのです。
供給能力は技術革新で各段に向上しているのです。
一方で、需要はわれわれの意識の中に存在するため、無限ともいえる。
潜在需要は無限。供給力は大幅に増加。
カール・マルクスはこの状況を想定し、ユートピアの醸成や国家の消滅を想定したのでした。
どれだけ借金が可能なのかはその国家の力量の大きさともいえるでしょう。
昔とくらべて、国家の運営手法は随分とよくなったと思います。
富が順調に増えています。
国家が民間に投資をすることで、大企業が資金を得て、収益性高い事業を拡大することで、お金はグローバルに循環していきます。
無限の潜在需要。
世界的には人を人らしく遇することで需要というものは顕在化します。
南北戦争で奴隷が開放された。
彼らが市民として自由意思でマーケットに参画できるようになり、市場は広がりました。
今の時代がなぜダイバーシティか、ESGか、寛容な社会は需要を創造し、テクノロジーによる供給能力を存分に生かすようになりました。
信じられないことに、使ってもなくならない。
そういう便利なものがあります。
わたしはそういうものを大いに利用すべきだと思っています。
使っても使ってもなくならないものは、たとえば、わたしたちの包容力や寛容力です。たとえば、わたしたちの思考です。
わたしたちの頭の中のものは盗まれることはありません。
英単語を数万覚えようが誰もそれを奪うことはできません。
考え抜くという行為の投資効率は非常に高いものがあります。
現代社会で投資の対象となるのは、考え抜かれた優れた戦略のみです。
世界市場を相手に商売する以上、寛容な主体にお金は集まります。
不寛容な企業では需要を掴むことはできません。
大きなことを成すには大勢が協力しなければならない。
不寛容な企業から寛容な企業へとお金は逃げてしまうのです。
むろん、論評や批判からは何も生まれない。
憎しみや争いの投資効率は著しいマイナスになります。
社会・人を破壊する行為です。
批評する暇があれば善行を積む方がよい。
わたしには批判を気にするような贅沢な時間は残されていません。
人にどう思われるかよりも、人に何がしてあげられるかということに集中しているからです。
話が飛びました。
国家の借金のことから書き始めたのでした。
物事には両面があり、資産や負債の内容も知らずに借金の大きさを問題視するべきではないという主張でした。
たとえば大手不動産企業は負債総額が数兆円規模ですが、その価値を大きく上回る資産内容を誇っています。
借金ができるキャパシティが大きいほど、株価評価も高いものになります。
大型開発は少数しかできず競争が少なく収益性が高くなります。
正しく考え抜くという最高の投資術を継続的に用いることで、お金が必要なときには世界中から資金は調達できるようになる。
企業人が他者を批判しないのは、否定・批判の投資効率があまりにも悪すぎるから。批判する組織は事業が赤字になってしまいます。
説得力のある将来計画こそが資本主義における競争力の源泉かもしれません。
(NPO法人イノベーターズ・フォーラム理事 山本 潤)
(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。また、内容は執筆者個人の見解であり、所属する組織/団体の見解ではありません。)
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