「昔の話などつまらない。」などと言わずに今回も少しお付き合い下さい。
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現代社会では当たり前のような組織形態となっている株式会社ですが、それは事業のリスクの存在が背景になっているということは前回の話にも出てきたかと思います。
420年も前に設立されたオランダの東インド会社のアジア進出において組織化されでできたのが世界初の株式会社なのです。欧州からアジアに辿り着くには陸路か船しかなく、欧州の人々が必要としたアジアの香辛料を求めて商人たちはこぞって東アジアの地に船出した訳です。
そこには時に嵐が吹き荒れ、波にもまれての厳しい航海があったに違いありません。そうした事業のリスクと費用を賄うための仕組みが株式会社なのです。
株式会社制度が生まれたことが今日の経済発展の礎になっていると言っても過言ではないでしょう。
ただ、オランダの東インド会社には現代の株式会社よりももっと深い意味と国家から与えられた権限(戦争すらできる)もあった点が興味深いところです。
わが恩師である杉江先生の「証券に関する12章」(萌書房)は証券を勉強する初心者に向けて21年前に書かれた本ではありますが読み返すと実に示唆に富む内容が記されていて現在にも当てはまる意味深い内容ですので、皆さんも一度お読み頂くと良いのかも知れません。
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第1章には「株式会社と株式市場の誕生について」、また第2章には「バブルは資本主義以前からあった」、第3章「ケインズも株式に首を突っ込む」、第4章「株式の評価と予測をめぐる優雅な対立」と続いていきます。第7章では「企業にとって株式とはなにか」、第8章では「株式会社は誰のものか」そして第11章では「財政と証券市場の両面から見た国債」、締めくくりとなる第12章では「21世紀の証券市場」が描かれており、株式会社を超える企業形態が出てこないことについて先生は触れておられます。
最初の株式会社の設立のところだけを本コラムではお伝えしようと思っていましたが、各タイトルだけを見るだけでも心が躍ってしまいますので、今後折に触れて取り上げてみたいと思います。
オランダの東インド会社に端を発する株式会社の株式が金融商品として流通するようになり、経済が発展し人々の生活も物心両面で豊かになった事実を知ると感慨深いものがありますが、遠い欧州のオランダと日本の交流が始まったのがこの時期に起きた当時としては大事件だと思われる東インド会社の先駆会社が用船した5隻の船の1隻であるリーフデ号の日本の大分県臼杵湾への漂着事件です。
この船に乗っていた船員が後に三浦按針と名乗り徳川幕府に仕えたとされるウイリアム・アダムスと八重洲という地名の大元となったヤン・ヨーステンなのですから改めて日蘭の交流に思いを馳せることができます。
オランダの東インド会社が世界で最初の株式会社であると言われるのはおよそ3つの条件が備わっていたから。
つまり、
1)すべての株主(出資者)及び取締役が無限責任制から有限責任制に移行した。
2)取締役団が会社機関として確立したこと。
3)譲渡可能な株式が発行されたこと。
この東インド会社は設立されてすぐに大砲を備え兵士を乗せた船団をアジアに送って拠点づくりを始めたとされます。1619年にインドネシア、ジャワ島のジャカルタに要塞を築きイギリス人を追い出してバタビアと改名し、この地をオランダ東インド会社のアジア貿易の拠点とすることに成功。それが第2次世界大戦でのオランダ占領時まで続いたインドネシアの歴史に紐づいていることに気が付かされます。
(次回に続く)
(炎)
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