産業新潮
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11月号連載記事
■その17 資本主義社会では誰もが味方であり敵である
●知らないやつは殺せ
「銃・病原菌・鉄」(草思社)のベストセラーで有名なジャレド・ダイアモンド氏の著作に「昨日までの世界」という本がある。同氏が鳥類研究などのために足しげく通ったニューギニアなどの「小規模血縁集団」と現代の「巨大な国家」との対比の中で「人間社会の本質」を見事に描き出している。
両者は奥深い部分での共通性がかなりあるのだが、違いも相当ある。その中でも特筆すべきなのは、「小規模血縁集団」は、文字通り「血縁関係がある顔なじみの集団」で暮らしているのに対して、現代人は「日常の大部分をどこのだれか分からない人物との接触」に費やしていることである。
「小規模血縁集団」の場合は、隣の集落と友好関係を結ぶこともあるが、大概は限られた食料資源の確保をめぐって緊張関係にあり、見慣れない者が自分たちのテリトリーにいれば「追い払うか殺すか」のどちらかである。したがって、隣の集落を通り過ぎて、さらにその先へ行くことさえできない者が大半だ。
江戸時代の日本や中世欧州の農民でさえ、自分の村に縛り付けられて、自由な旅などできなかった。そもそも、当時の庶民が旅に出ることができたとしても、「東海道中膝栗毛」に描かれているように、徒歩が当たり前であった。
ちなみに「膝栗毛」とは、膝から下が馬の脚=馬に乗る代わりに自分の足で歩くという意味である。
また、伊勢参りが庶民のあこがれであったのも、知り合いだらけの狭い村から脱出できる数少ない機会であったからだ。
このような社会では、当然のことながら「見たことが無い他人」は「追い払うか殺す」べき対象である。
●現代人は見知らぬ他人の中で生きている
読者が、朝の通勤時に立ち寄ったKIOSKやコンビ二の店員と知り合いであるというケースはどのくらいだろう?どこのだれか分からないケースが大半では無いだろうか?
ネットの世界では匿名が珍しくないし、顔や声、姿かたちもわからない(写真や動画を見てもそれが本人かどうかはわからない)。よく考えたら物凄いことである。
あるドキュメンタリー番組で、二通りの方法で道行く人に実験を行った。
一つ目は、マイクも何も持たず手ぶらで「現在の政権に対する意見を伺いたい」と道行く人に尋ねる。当然のことのようにこの「インタビュー」に答える人はほとんどいなく、完全に無視して通り過ぎる。
二つめは、マイクを持った上に、大型のカメラを携えたクルーを同伴する。
すると、ほとんどの人間が丁寧に質問に答え、無視する人間などいなかった。
しかし、実験だからこの取材はまったくの偽物である。なぜ、前者では疑うのに、後者では全く疑わないのか?
また、3億円事件の犯人が、白バイと制服で警官の扮装をして、現金輸送の担当者をだましたのはあまりにも有名だ。しかし、それ以後現在に至るまで、制服を着た警官から職務質問を受けた時に、「偽物かもしれないから警察手帳を見せろ」という人間は滅多にいないし、「その警察手帳も偽物かもしれないから警視庁(警察庁)で鑑定してもらう」という人は皆無と言っていいだろう。
世の中には、詐欺事件が蔓延し「他人は信用できない」と考える人が少なくない(実のところ私もその一人だが・・・)が、現代社会は、実は騙されるリスクがあるにもかかわらず、他人を信用することによって成り立っているのだ。
<続く>
続きは「産業新潮」
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11月号をご参照ください。
(大原 浩)
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(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。)
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