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「考える楽しさ」を生徒と共有する先生の「雑談システム」(その1)

2015/07/30 22:45 投稿

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 前回は、

 「考える楽しさ」を身につけるには  

で、「考える楽しさ」について考えましたが、考えるうち、実は先生が授業中にする雑談、いわゆる「脱線」が「考える楽しさ」を伝える効率の良いシステムだということに気づきました。

 「考える楽しさ」について昨日整理したのは次のような点です。

 ・子供は本来「考える楽しさ」を知っている。
 ・子供の「考える楽しさ」を大人の「考える楽しさ」につなげるために親は自分自身が疑問に思って考えたことを普段から子供に話すと良い。

 そうすれば、子供は大人も自分と同じような「考える楽しさ」を持っていることを知れますし、親の話題の中で自分に興味あることがあれば、自分でも考えるようになります。そうやって、子供しか興味を示さないようなネタから、社会が興味を持つようなネタで「考える楽しさ」を実践するようになります。

 ここで重要なポイントは、親の話はそれぞれいわば自分語りで、子供に何か明確なアクションを求めないことです。これはしつけですとか勉強ですとかなった時点で、こどもにとっては嫌なものになり「楽しさ」どころではありません。親は一方的に話すという形をとることで、こどもはリラックスして聞けるし、あるいは聞き流してもいいし、その中で、こども自身たちの「考える楽しさ」と自然にリンクしていくきっかけになります。

 で、それってまさに先生の雑談かと気づいたのです。雑談にもいろいろありますが、どのようなものであれ、先生自身が興味を持ってそれについて考えたことを話しているわけで、大人の「考える楽しさ」を表現していると言えそうです。

 そしてふたたび、ここで重要なポイントは、先生の雑談は生徒に聞く義務がありません。試験に出るわけでもないし、聞き流してもいいわけです。実際生徒全員が共感するわけではないでしょう。でも一部の生徒はその雑談を面白いと感じ、自分でも考え始めることでしょう。「考える楽しさ」を先生と生徒が共有する瞬間です。

 ですが、中学以降の先生が教科で変わるシステムでは、たった一人の先生が雑談をすればいいというものではありません。親子や小学校の先生なら共有する時間が長く共感しあえるネタにも事欠かないでしょう。
 しかし、中学校以降の先生は科目も決まっていて、時間も限られていますから、生徒にしても苦手な科目や苦手な先生の雑談に共鳴する可能性は減ります。いろんな教科のいろんな先生がみんなそれぞれ自分自身の疑問と考えを雑談することで、そのどれかが生徒に共鳴する可能性があがります。

 「先生のあの時の雑談で、その教科に興味を持つようになった」という体験持つ人いるのではないでしょうか。「なぜか雑談になると熱く語り出す」とか「先生の雑談を聞くのが楽しかった」という思い出もありがちです。

 つまり先生たちの雑談システムは「考える楽しさ」を伝える上で、強力なツールになっているのです。単なる長い授業時間の間の息抜きで本来無駄なもの、というものでははく、生徒が「考える楽しさ」を知る上で、先生の雑談は中心的な役割を持つものなのです。

 そうとわかれば、親にしろ先生にしろ、ただ雑談するのでなく、戦略的に雑談することができます。戦略を磨き、みんなで共有し、駆使することで、子供達が自分たちの「考える楽しさ」を社会の「考える楽しさ」につなげていける可能性が飛躍的にあがるのではないでしょうか。

 実は前回の「考える楽しさ」を身につけるにはを書いている時、考えるといえばとちきりんさんの「自分のアタマで考えよう」かと思い、ちらっと読み直してみました。
 

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