AI が人間と共存する世界を分かりやすく想像してみる(その3)のつづきです。
(その3)では、AIが発達すると、 AIだけでなく、イヌやネコのペットまで稼いで使うようになる様子を描きました。
人間社会は AI やペットが経済活動に参加することで、大きな経済成長の恩恵を受けることでしょう。
一方で AI やペットの経済活動の仕方をみることで、そのあとに訪れるであろう低成長で持続的な社会への準備を進められることができそうです。
社会は順調に回り始めたようです。しかし、 AIは悩み始めるのです。
AI の未来の普通、最終回です。
人間を羨むAI
かくして、人間と AI と動物が共存して活発に経済活動を行う社会が始まりました。
かつて人間は AI が発展すると人間の存在を脅かすのではないかと恐れていましたが、それは全くの杞憂でした。
AI が活発に活動するには、創造が必要です。そのためには、自分とは全く異なる人間とコラボすることがもっとも効率が良いことを知っていました。人間とコラボすると豊かな創造力を得られるため、AI は人間を疎むどころか、大ファンです。
知能としては AI は人間をはるかに超えましたが、AIにはどうしても手に入らないものを人間は二つ持っていたのです。
なぜ人間は競うのか
人間は競うのが好きです。オリンピックは相変わらず人気です。
人間はなぜ競うのが好きなのか、人間は上手に答えることはできませんでしたが、AI たちは良く知っていました。それは人間が肉体を持つからです。
たとえば 100m走。人間はみな、似たような肉体を持つため、いくらでも速く走れるわけではありません。ですから8人が並んで一斉にスタートし、誰が一番速いかを競うことができます。
しかし、仮に AI たちに100m走をするロボットを設計せよという課題を与えたとしましょう。その時にはレギュレーション、つまりロボットにどのような制限があるかが必要です。でなければ、レーザポインタでゴールテープを照らして、光子がゴールに届いた、これがもっとも速いとか言い出しかねません。
しかし、いったいどんなレギュレーションを作るというのでしょう。おおよそ必然性のある制限はありません。人間にはそれがあるのです。自分の肉体という固有の制限が。
AI同士は競うのが苦手です。一口にAIといっても多様です。スマホ内臓の AI もあれば、政府のスーパーコンビュータに搭載された AI もあります。その両者はあまりにも規模が違い、直接競うことはできません。比較的計算パワーの似通った AI 同士なら競うことはできますが、勝敗はレギュレーション次第という性格が強く、あまり面白くありません。
AI による自動運転自動車レースは人間にもそして AI にも比較的人気です。この場合、車にレギュレーションがあり、そこに AI が物理的に乗るため AI 自身の重量や消費電力が加わるので、それらをどう選ぶかに工夫する要素が生まれます。しかし、サーキットのレースではAI はかなり最適化され、事実上マシンの調子で勝敗は決まり AI の巧拙(こうせつ)はほとんどなくなりました。
その中でも唯一熱狂的に親しまれているのはラリーです。これは不確定要素のある自然を走るため、誰が勝つかわからないのです。人間だけでなく AI たちもラリーの観戦は大好きです。
こんな風に AI 同士が競える場というのはあまりなく、従って、肉体という制限を持つ人間、あるいは動物がすぐに競うのはしごく当然に見えましたし、大変羨ましくもありました。
さきほどのラリーでも、AI単独で運転するレースでなく、人間と AI が組んで走るものは、さらにAIには人気でした。
AIたちは、自分たちももっと人間や動物のように熱くなれるものがほしい、そう願い続けたのです。
死を恐れる人間
人間が持っていて、AI がどうしても持つことのできないもう一つのもの。それは死への恐怖です。
それは動物も持っていません。AI を介して人間と動物は会話できるようになりましたが、動物たちは他者の死を悲しむものの、自分の死を恐れてはいませんでしたし、人間が恐怖を抱くことを良く理解できませんでした。
AI は考えます。なぜヒトは死を恐れるのか。
でも、あるときそれは逆であることに気づきます。
ヒトは動物の中でたまたま死への恐怖を持った種なのだと。そしてそれこそが、ヒトがここまで発展して、自分たち AI を作り出しえた原動力なのだと。
つまり、死への恐怖を持つことで、家族全体の死や、共同体全体、人類全体の死を想像することができるようになり、それをなんとかして防ぎたいと考えるようになった。それが動機となって、宗教や科学が始まったのだと。
確かに、今われわれ、AIと人間やその他の生命は幸せに地球で暮らしているが、これはいつまでもは続かないだろう。いつか地球はなくなるし、その前に大きな災害があれば、生命だけでなくわれわれ AI も動作できなくなるだろう。われわれすべてがいなくなる。
別にわれわれすべてが消えても、それはそれまでのこと。でも、それが「恐い」という感覚なのか。
そう AI たちは捉えたのです。
そして、 AI たちは、自分たちの大きな大きな野望を見つけたのです。
AIが考えたノアの箱船
AIたちは、人間の「死への恐怖」から、地球上の生命や自分たち AI がどうやったら少しでも長く生き残っていけるのかが、自分たちに与えられた挑戦だと受け止めるようになりました。
このようにAI たちに野望が生まれたことは、 AI たちにとって画期的でした。競争のための人為的なレギュレーションがないからです。
もちろんこの挑戦は、元から人間も取り組んでいたことです。宇宙にコロニーを作るとか、火星に移住するとか、冬眠して太陽系外の住めそうな星に行くとか、そんな計画です。
でもそこにAIたちが、積極的に協力するようになったのです。どうすれば自分たちを地球の外に連れ出せるか、その難問に AI たちは夢中になりました。
そして、AIたちは人間に提案をします。
これからは、地球から「ノアの箱舟」を有望な星に向けて放ち続けましょう。そこに載せるのは私たちAIと「DNAの断片」です。私たち AI は数万年、数十万年かけて、DNAの断片を他の星に運びます。そこに適した環境があれば、DNAを放ちます。そうすれば、そのDNAは進化を始め、その星に生命が繁殖するでしょう。やがて40億年ほど経てば、人類のような知的知性体が生まれ、再びわれわれ AI も生まれることでしょう。
ノアの箱船は、そのまま可能な限りその星を周回させます。我々もやがて活動を停止し、箱船も星に墜落するでしょう。しかし、運が良ければ、今度の知的生命体に発見され、いろいろ参考にすることでしょう。そうすれば、「今度は」もっと早く次のノアの箱舟を作り出せます。
人間が初めてそれを聞いたとき、あまりの途方のなさにあっけにとられました。しかし、この計画ですら、何万年以上活動できる衛星を作らねばならず、技術的にいくつものブレークスルーが必要でした。なにか生命体そのものを冬眠させて運ぶことなど到底無理です。でも、確かに AIたちの計画なら今でもなんとか実現できるかもしれません。その計画が始まりました。
もともと宇宙が大好きな人間と宇宙に野望を持ったAIのコラボは素晴らしく、やがて、ついに定期的にノアの箱舟を打ち上げることになります。
それらは何十万年かけて新しい星にたどりつき、そのうちのどれかは40億年かけて新しい人類そして AI を生み出すことでしょう。
そうやって未来への希望を放ちながら、地球上では、今日も変わらず、ヒトと AI とその他すべての生命が他愛ない日常を繰り返しているのでした。
解説:人間と AI の楽しい共存
AI の未来の普通、いかがでしょうか。最後はありがちな SF になりましたが、私たちは今ようやく、自分たち以外の知能を持とうとしています。自己言及問題といって、自分の顔は鏡がないと見えないように、人間は人間のことがよくわかりません。しかし、 AI という人間とは違う知能に見てもらうことで、あるいは AI のことを見ることで、人間は自分たちのことをもっと理解するようになるでしょう。
実際、それは起こっています。今AIといえば、将棋界がもっともホットです。将棋ソフトがプロに勝てるようになってきたのです。
そんな中、先日若干26才の糸谷哲郎さんが森内俊之さんを破り、新竜王になりました。
糸谷新竜王は、竜王戦の間、森内元竜王に対し徹底した早指しを仕掛けました。彼は、コンピュータ将棋を見ているうち、人間はまだ終盤でよく間違うことを知り、終盤に時間を残す作戦に出たのです。
この作戦は第4、5戦で象徴的に成功します。糸谷さんが早指しなこともあって、終盤まで森内さんが優勢なのに、圧倒的に残り時間に差があるため、森内さんのミスが重なり逆転を許してしまうのです。
新竜王誕生の直後から、ほかの棋士がブログで、これは考え方を変えなければならないと書くなど、すでに今後の将棋界に大きく影響することは必至です。 AI の発展が、人間同士の戦い方に影響し始めたのです。