ちきりんさんの記事。
「ハマる」ことって、実は大事じゃない?
で、「偏っていることの有利さ」を書かれています。さらにツイッターで、
と書かれています。バランス型の人と1時間、お茶するとか、苦行に近いくらい退屈だったりするし・・・
― ちきりん (@InsideCHIKIRIN) August 13, 2013
でも世の中には「バランス」を取ることに抜群に「偏っている」人もいます。中途半端にバランス型の人は退屈かもしれませんが、そんなの中途半端に「偏っている」人だって退屈です。「バランス」だって極めれば、ものすごい神業です。ありえないバランスを取ってる動画見たらびっくりするように、ものすごいバランス型の人がなし得る仕事というのは神業です。
一方、「バランス型」と思われている人の大半は、「中途半端なバランス型」です。ですから、ちきりんさんのように「バランス型の人は退屈」と思われてしまいます。
なぜなら、秀でたバランス型の人の偉大な業績というのは、表舞台には滅多に出ないからです。だって、「この偉大な仕事は○○さんがやり遂げた!」なんてネットで騒がれたら、その時点で極めてバランスに欠いています。達成されたもの自体は世の中に知られているかもしれませんが、それが、実は「バランス型」を極めた人の神業でなされたとは、誰にも知られることがないです。
バランス型を極めるのは並大抵のことではありません。バランス型と思われている人の大半は、そんなにバランスが取れていません。ここミラフツの話題的に言えば、都会に住んでいるひとの経済生活の中で、地方と海外なら、まず確実に地方とのつながりの方が強いはずですが、「国際化、国際化」とはいうものの、地方に全く意識が行っていない人はたくさんいます。そういう人は地方の人から見ると一瞬で分かってしまうし、地方の人は寂しくさせられます。その人がどんなに都会の中でバランス型と思われていても、地方の人から見れば、まったくバランスに欠いているわけてす。
バランスに秀でた人は、世界中のことをなんでも知っているわけではないのですが、こんな風に、ある角度から見た時に、ぼろぼろに崩れるということがありません。何でも知ってないことを知って、その分もバランスを取るのです。
そして、世の中の大半の成果は、こういうバランスに秀でた人によって成されています。たとえ、一つ一つは小さくても、その全てを合わせれば、何かに偏って秀でた人が成したことより、遥かに多いです。
たとえば、毎日「何かができた」というニュースはいくらでもありますが、それに個人の名前が貼り付いていなければ、でも「バランスよく」プロジェクトを運ぶリーダーによって成し遂げていることでしょう。
この傾向はこれからますます強まります。有り体にいうと調整型のプロジェクトが増えています。みんな変えなきゃいけないことは分かっていて、つまり総論賛成だけど、具体的に変えるとなると、それぞれ問題があり、各論反対になってしまう、そんな問題が山積みです。地域活性とかその典型でしょう。
そんな中、調整ができたり、合意形成ができたりすることがプロジェクト推進の要だったりしますが、そのためにはバランスに秀でた人が必要で、今絶対的に数が不足しています。目指すなら、「突出した」バランスです。
でも、そういう話はあまり表に出ません。私は幸運にもバランス型の人による具体的な神業を聞いた経験が何度かあります。話を聞いているともう本当にほれぼれするのですが、その人たちの名前が表に出ることはありません。
また、実はそういう話は地味なので表に出ても目立たないということもあります。私は「ほれぼれ」と言いましたが、実際は、
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