大人気「あまちゃん」。特に最近のミズタクこと水口琢磨の最近のかっこ良さったらすごいですね。なんと一番かっこ良かったと評判の昨日は出張の関係でまだ見ていないのですが、今日もかっこ良かったです。最初余りの怪しさに「八戸のスパイではないか」とみんなに疑われていたのに、彼のかっこ良さを見抜いて惚れてた美寿々さん、さすがです。
でなんと、私はミズタクを演じる俳優さんが、松田優作さんの息子だということを今日知りました。というか、息子が二人俳優やってるということから今日初めて知りました。
でも、松田優作さんと言えば私の中でもっとも印象に残っている役者の一人。家族ゲームとかも好きですが、とにかく洋画見まくってた頃なので、その中で「ブラック・レイン」に出て、マイケル・ダグラスを圧倒する演技に「日本の役者、負けてなかったのか」と感無量でした。
もし、最初から彼松田龍平さんが松田優作さんの息子だと知っていたら、かなり違った見方をしていたと思います。まあ最初から見るからにキーパーソンではありましたが、かの大俳優の息子と知らなかったおかげで、かなり北三陸の人々と同じ心境で「水口琢磨」と接することができました。
こんな風に知らないことで、つまり先入観なく接することで、時として大きな喜びがあります。
私は大学の頃にそれで随分得をしました。例えば、ある友達は映画やクラシック音楽を良く知っていて、いろいろCDを借りたり、一緒にレンタルビデオを見たりしたのですが、「お前はいいよな、この名作を今初めて見られる(聞ける)んだから」と。その友達はいわゆる名作名演はほとんど押さえてしまっているわけで、新たな感動になかなか巡り会えません。一方で私は見せられるもの見せられるもの感激しまくるわけで、ずいぶんお得です。(ちなみに、たまにその友達も知らない名演奏というのがあったりして、たまたま貸したCDにすさまじく感動されるなんてこともまれ〜にありましたが。映画しかり。)
私が今初音ミクはじめボーカロイドが好きなのは、知らないPさんの曲は先入観がなくて、聞き流すこともあるけど、始まった瞬間に虜になったり、知らなかったジャンルを知ったり、そんなところにあるんだと思います。
私は京都出身ですが、出身ゆえ京都を離れるまで有名な寺社にそんなに訪れていません。大学生になり、京都に帰省したときに、生まれて初めて銀閣寺に行きました。すごかったです。金閣寺と違って地味ですが、すさまじい。こんな庭があるのかと、さらにその横にある銀閣寺。間違いなく大学生になってから行って良かったと思う場所です。あれは小中の自分が行ってもわけわかんないし、高校でも怪しかったです。他にも清水寺とかもういろいろ感動しまくりです。
逆に余分な知識や先入観あると損することいっぱいありますよね。おいしいと有名な店に行って、なんとなくおいしかったんだけど、どこか違和感あって、後日詳しい人に、「あ〜あの店? 有名だけど、〜〜でいまいちだよね」とか説明されると、あ〜確かにそうだった、なんだ有名なだけでおいしくなかった、損した〜、なんてことです。
ですから、下手に知ってるより、知らない方が先入観がない方がよほど楽しめます。ただ、若いうちは、失敗したくないからなかなか難しいところもあります。私も当時全盛だった「ぴあ」などの情報誌に頼り切ってました。名作映画やクラシックについては友達が今で言うキュレーターをしてくれていたから、薦められたのを見れば良かったわけですが、おいしい店とか楽しいスポットとか、知り合いだけで賄えないところは、情報誌調べまくってました。
でも、知らないことを楽しみましょう。私は18歳で東京に出て、途中アメリカで抜けてますけど、20年近く東京にいました。すると、デパ地下の食料品売り場に行くと、並んでいる商品全てを食べたわけではなくても、見れば大体ああこれはこんな感じの食べ物だなと想像がつくようになります。別にデパ地下にかけていたわけでもなんでもないですが、20年もいればそうなっていきます。でも、地方の道の駅に行くと、「いったいこれはなんなのか。そもそも食べ物なのか」といったものが並んでいたりします。それが楽しくなります。
知らないことが多すぎると恥ずかしいかもしれませんが、卑屈になる必要はありません。どうせ人生20年以上たくさん行きている人にはかないません。そんな人にはより知っている風に見せかける必要もない(したところでばればれ)ので、楽でしょう。同年代や少し上くらいだと、プライド・見栄もあって、さじ加減は難しいですけど、恥ずかしくはおもいつつ開き直っていいと思います。
とにかく世の中多様化していますから、知らないことはますます増えます。いまさら初音ミク知らないとか言えないとか思うかもしれませんが、そんなのいくらでもありますから、「いや〜、完全ノーマークで」と言えたもん勝ちです。
「じぇじぇ、ミズタクって、松田優作の息子なんや、てか松田優作の息子、俳優なんや、え二人も?」とか、「いまさらですけど、東京編もとっくに始まりましたけど『あまちゃん』見始めました」とか。
そんでもって楽しんだもん勝ちです。
もちろん失敗もします。切実な問題の一つは、外食でしょう。旅先でまったく調べずに、自分の鼻だけを頼りに食べ物屋に入る。時に大失敗します。旅が台無しになったりしますので、本当に手痛く「なんで調べておかなかったのか」と後悔もするでしょう。でも、その代わり、内面で、おいしい店を見抜く力は大きく成長します。次はそういうのを避けられる確率は高くなります。知らないことが血肉になります。
そして、時に(その瞬間)人生最大の幸せを得られます。有名なせいですれてもない、地元の人が楽しんでる店に巡り会えたときの感動は、その旅一番の思い出になります。
もちろん、たとえば別世界、たとえば私は行ったことのないアフリカに、予備知識なしで行くのは愚かなことです。つまり、調べないというのは、失敗してもまあなんとかなる範囲でということでしょう。
そして、現実的な問題としてやっかいな知ったかぶりの問題。プライドや見栄もありますから、知ったかぶりは知らず知らずにしてしまいます。それはある程度仕方ないことかもしれませんが、であれば知ったかぶりを楽しみましょう。言葉を変えると中途半端な知識をどう楽しむかです。
例えば私は幼い頃から相撲を見ています。とはいっても、必ず見るわけでもないし、最近は力士の名前もほとんど分かりません。相撲ファンからすれば「はぁ?」みたいな低レベルでしょう。でも、見てれば、どっちが勝つか分かります。立合いの前で大体分かりますし、立合い直後で十中八九分かります。アナウンサーや観客の反応くらいのレベルでしょうか。
でも時としてその予想が外れます。でもその瞬間こそが一番楽しい瞬間です。見ていて、こっちが優勢だと思ったのに、逆転で負けてしまう。自分の知ったかぶりをあざ笑うように、負けるはずの力士が力を尽くし勝つ。あるいは勝つはずのがミスをし、そこを逃さない。そんな時は大いにその力士を讃えます。すごいなと一目を置く。次にまたその力士を見るのが楽しみになります。
上の方で紹介したクラッシックを聞きまくってても稀にすさまじく感動する友人もそのような心境だったのでしょう。
どんなに小さい分野であれ知り尽くすのは大変なのに、多様なこの時代、いろんな分野を知りたいのに、つまりどうせ知ったかぶり程度にしか知ることができません。
であれば大いに知ったかぶりをし、その範囲で考え尽くし、それでも外れたら、大いに感動し、賞賛しましょう。より知ってる人から見れば、鼻で笑っちゃうようなことかもしれませんが、楽しんだもん勝ちです。
ということで、多分、松田優作さんと言われても作品見たことない人のが多いんじゃないかと思いますが、知らなくて結構、というか、今から彼の作品を見られるとか、やっぱり羨ましいです。
松田龍平さんにしても、今までは違う感じの役が多いそうで、いずれ見られるのが楽しみです。
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