昨日は、長男の中学入学式でした。
何人かの祝辞の中に、「好きを大事にして続けなさい」というものがありました。まあ言われたことだけをやるんじゃなくて、「これが好き」と思ったことをやればいいという激励なんだと思います。そういうのは情熱もあるから、伸びるだろうし、続けやすいだろうということなんだと思います。
好きで続けることができて結果も出たって人はどれくらいいるんでしょう。私はそういう人じゃなくて、そう言われてもいまだにピンとこない人なので、「好きで続けよ」を新中学生全員が実行した時にどれくらいの人に効果があるのかよくわかりません。
音楽始め芸術とかスポーツで結果出してる人たちとかというのは、「好きだから、続けられて今がある」のが普通なのでしょうか。
例えば中学生で好きなことやり続けていいよとなれば、真っ先に思いつくのゲームだったり、youtube 見まくったりが候補にくるんじゃないかと思うのですが、それでもいいのでしょうか。もちろん一部の子は徹底的にやって、プロのゲーマーになったり、人気ユーチューバーになったりするのかもしれませんが、そんなのごく一部だし、その裏で多くの中学生が身を崩すようじゃ、「好きで続けよ」を全面的に支持するわけにはいけない気がします。
というか、好きで好きでそれしかなくてなんて子は、禁止したって止めないし、それくらい内なるエネルギーに溢れてるような人は、努力を努力ともおもわず、そして結果を出していくのでしょうが、そういう人は、いわゆる天才系でごく一部だし、その人たちの成功例をもって、全員に「好きで続けよ」と言っていいものなのでしょうか。
たとえ好きであっても、毎日みっちり努力し続けるということは、実はそれも大変なことで、子供が好きでやり始めたことを、それならばと親などが毎日続けさせようとしむけても、子供はすぐに飽きてしまうということは、昔々からよく知られていることです。「好きで続けよ」という言葉をありがたがると、いろんなことに好奇心を持つことを阻害するのではないかと心配です。いろんなことに好奇心を持つということは、一方で過去に手を出したことをやめることだからです。
うちは、二人の子供に毎日勉強させましたが、それは毎日やることの訓練だとはっきり言ってあります。好きなことができた時、それでも毎日続けることは大変であり、それができるように親がしつけるということです。「毎日続ける」訓練を子供の好きなことで始めてしまうと大変だとよく聞きます。どうせ辛い訓練ですから、勉強でやればいいのだと思っています。
さらに、将来の仕事となると、自分で選ぶのもいいですが、人から見込まれたことをやった方が活躍できるというのはよくある話です。
なんてことをいろいろ考えていると、どうして新中学生に「好きで続けよ」と諭す必要があるのか、堂々巡りに入り込んでしまいます。まあいかにも良さげな言葉ではあるので、なんとか自分なりに噛み砕いてものにしたいとは思うのですが。
(追記:この後フツクロウが噛み砕いてくれました・・・)
《ワンポイントミライ》(?)
ミライ: 「続ける」ネタはここでもよく取り上げてますね。
フツクロウ: ホウじゃな。
ミライ: 「続ける」ためにはどうすればいいかという問題、でも、ここでは「好き」は別問題として扱ってますよね。
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