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「銃魔のレザネーション」のシナリオを担当した
カルロ・ゼン自らがノベライズ!
ゲームでは描ききれなかった戦争と政争の裏側が明らかに。
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第二章『政治の季節』

 結論から言うならば、間に合った。
 ヤーナ・ソブェスキ指揮下で進発した救援部隊は、ボージュにて包囲されていた友軍の残存部隊との合流に成功。
 追撃戦だ、とばかりに散開していた革命軍を最高のタイミングで横合いから殴り飛ばし、孤立していた部隊を収容しておきながら損害は微々たるもの。
 壊滅的であったロスバッハ会戦の後始末としては、望みうる限りおいて最高の成功であった。
 なればこそ、否応なく注目をも集めてしまう。
 統制された暴力を、合理的に行使しえる集団。組織的に戦闘可能な有翼魔法重騎兵とは、ロスバッハで一敗地に塗れたるとはいえ……脅威そのものが消滅したわけでもない。
 そんな有翼魔法重騎兵が、依然として組織的に展開しているという事実は大勝利に酔っていた革命軍をして夢から目覚めさせるに十二分すぎたのだろう。
 ヤーナ率いる救援部隊を追う革命軍の追跡もまた執拗かつ迅速であった。
 いくら機動力に優れるペガサスとて、負傷者と敗残兵を収容して後退するとなれば、離脱中に足の速い敵騎兵に捕捉されるのは時間の問題でしかなかった。
 故に、ヤーナとて警戒はしていた。
 組織的な追手が、こちらを追いかけてくるであろう、と。
 なればこそ、アウグスト指揮下のペガサスを、あえて偵察任務に投じることまでやってのけた。一戦して疲弊していたであろう騎士らは、それでもよくやってくれる。
 長距離索敵飛行中だった幾班が、追手の詳細を的確につかんだのだ。
 その報は、ほどなくして殿軍という形で、負傷者と追手の間に位置することになっていたヤーナの下へと届けられることになる。

 「殿下、偵察がもどってまいりました。敵の増援です。詳細な報告は、こちらに」
 己の騎士から報告を受け取るなり、ヤーナ・ソブェスキは気に入らないとばかりにため息をこぼす。
 「……大規模な敵騎兵や歩兵の増強、か。これを相手にするとなれば、ずいぶんと骨が折れる仕事になりそうね」
 ぼやきつつ、勝算を求めれば見込みがないでもなし。 
 追撃部隊を相手取り、正面からぶつかっても勝てないというわけではない。
 ヤーナの指揮下にいるのは、爺とアウグスト。どちらも、優秀な指揮官だ。率いる部隊にも指揮系統に乱れはない。そして、自分自身の近習らを投入すれば。
 アウグストの言うように、叩けば勝てるだろう。こういっては何だが、自分の鍛え上げた騎士団であれば、できだろうとは信じている。
 だから、というべきだろうか。
 ヤーナは口にする。
 「国境線は固めなおしたし、停戦よ、停戦。これ以上は殴り合うだけ不毛じゃない。私の役目は、臨時の摂政。国境線を固めなおした時点で、私の担当は終わり」
 さっさと纏めて、帰路に就くわよとアウグストと爺に命じる。
 色々と二人が言ってくるものの、結局のところ、ヤーナは聞く耳を持つわけにはいかないのだ。
 はっきりと言えば、理由はいくらでもあるが主として二点に収斂できる。
 第一は、気分の問題だ。
 目先の勝利という名声に対してヤーナは全く興味をそそられていない。つまり、会戦に突入する意欲そのものが欠乏しているのだ。
 これで野心なり名声への渇望なりでもあれば、意欲もわくのだろうが……そもそも、名が売れることで否応なく付きまとう義務は糞面倒だと投げ捨てるタイプである。
 生まれながらの王族という立場があるのだ。
 戦果を求めて会戦に臨むというリスクを侵さずとも、国境を固めなおすだけで十二分にセイムへの恩ならば売ることができる。
 セイムの混乱を収め、挙句、私兵でもって危機を救う。まともに考えれば、これ以上を望まずとも以後はセイムから相当な配慮を引き出すことができるに違いない。
 つまり、ここで頑張るべき理由があまりない。
 義務でもない限り、積極的に勤労精神を発揮しようという酔狂さをヤーナは持ち合わせてはいない。
 第二に、より重要にして死活的な要素はパワーの問題だ。というよりは、こちらが全てだろう。
 物を言うためには、一定の力が必要となる。どこの世界でも変わらない真理だが、こと権力の世界では指図されない為にも、侮られずに尊重される程度には力が必要なのだ。
 コモンウェルスのように、高度に発達した文明でも例外ではない。
 魔法を使用することができるすべての人間に対して市民権を付与する政体においてすら、貴族という階級ははっきりと存在しているのである。
 権力の原理は不変ですらあった。
 力なき貴族、力なき王族など、態のいい駒だ。駒でなく、生きている人間として自由に呼吸することを欲するのであれば、軍事力を手にするしかない。
 むしろ、軍事力があって位があるというほどに力というものをコモンウェルスは暗黙裡にせよ『高貴なるものども』に求めてやまない。
 コモンウェルス軍の構成をみれば、一目瞭然だろう。
 封建諸侯軍という私兵の寄せ集めと、常備軍という国王直属の混成軍である。この点で、コモンウェルス貴族であるならば、有事に備え兵を養うのもまた権利であり義務でもあるとみなされるのである。
 『田舎に引きこもる』という選択肢をとっていたヤーナですら、自前の騎士団をもつことが当然の権利として認められたのもその延長だ。
 というよりは、ある種の義務と認識されていたというのが正しい。
 故に、コモンウェルス広しといえども、臨時摂政であるヤーナ・ソブェスキが公的な権限によって動員できる兵力は『父王ジョナスが失ってくれやがった常備軍の残骸』と、『心服定かでない封建貴族らからなる諸侯軍』の混成部隊となる。
 子飼いというには余りにも程遠い。
 なればこそ、ヤーナが『唯一信用できる兵力』である手勢は『こんな辺境部での小競り合い』で消耗するには貴重すぎた。
 脳裏によぎるのは、ピュロスの勝利。
 議会対策に、忠誠定かならぬ貴族らへの牽制には兵が欠かせない。裸の王様というのは、生殺与奪の権をよそ様に握られた王様なのだ。
 フランツと自分の安全のためにも、ソブェスキ封建騎士団を摩耗させることはできない、というのがよりヤーナが消極的となる現実的な理由だった。
 勝てようが、活用できない勝利のためにリソースを投入するなどヤーナに許されるはずもないのだ。
 そして、戦闘を選ぶべき理由がない以上は、為すべき方針も決まっている。
 かくして、というべきだろう。
 彼女より持ち掛けたるは外交交渉。シュヴァーベン革命軍の現場指揮官もまたリスクを厭った結果として、停戦は、現地の判断という形をとりつつも恙なく成立する。

       ◇

 もっとも、というべきだろう。
 『コモンウェルス』が『外交』によって活路を切り開くというアプローチは、古今にほとんど例を見ないのだ。
 観察者にとってみれば、大変に興味深い一手であった。
 「ほう、停戦ですか」
 「はい閣下、どうやら、現地協定という形式のようでありますが……」
 「交渉で撤兵に持ち込める、と」
 報告書を受け取ったモーリス・オトラント辺境伯は実に興味深いとばかりに我知らず声を上げていた。
 「……孤立していた友軍を救出し、二辺境伯の身柄を確保。挙句、追撃してきたシュヴァーベン革命軍と暫定的とはいえ停戦協定を成立させる?」
 「まことに僭越ながら、お見事であらせられました」
 「いや、全くですよ」
 いやはや、とモーリスは部下の言葉に苦笑しつつ頷いていた。
 羽檄に応じ戦地へ駆けて行かれたヤーナ殿下の才覚といい、指揮下の有翼魔法重騎兵といい、羽は腐っていないらしい。
 やれやれ、鳶が鷹どころかペガサスを産み落としたということですかねと苦笑するほかにない成果だ。
 世間も大いに感心することだろう。
 だが、本当に注目すべきは戦闘を回避しようと交渉を選べるということに他ならない。勝っているときに、交渉という選択肢を考慮できる人間というのは稀なのだ。
 程よいところで手打ちにできるというだけで、それは恐るべきバランス感覚を証明してくれるだろう。
 誰も否定できない武勲、暫定的とはいえ協定の成立により時間を確保。
 挙句が、手ごまの消耗を極力回避する姿勢。いずれにしても、ヤーナ殿下は非常な傑物としての片鱗をみせつけてくれた。
 全く、ジョナス陛下という愚物の娘とは思えないものだと、モーリスとしても実にワクワクさせられる人物であった。
 「やれやれ、では、当分はヤーナ殿下のおかげをもちましてコモンウェルスも安泰というわけですね」
 「はい、偵察に宛がっている手のものからは、シュヴァーベン革命軍が停戦協定を遵守するようだ、とも」
 「念のため、ハイマット方面に間者を増やしておくように。軍部隊、特に砲兵の動向に注目するようにだけ伝えておいてください」
 「かしこまりました。では、私はこれにて」
 「ええ、ご苦労様です」
 一礼と共に退室していく部下の足音が完全に遠ざかるのを確認し、やれやれ、とモーリスはそこで肩をすくめて見せる。
 セイムに屯する愚者どもにしたところで、これだけの成果を前にしてはぐうの音も出ないことだろう。
 ヤーナ殿下のお見事な手腕ということに対し、モーリスとしては絶えて久しく感じていなかった新鮮な感動すら覚えている。
 何はともあれ、急場の応急手当は終了。
 ロスバッハ会戦の大敗北以来、大混乱に陥っていた王都ヴァヴェルの情勢も多少は落ち着きを取り戻すに違いない。戦場の季節から、政治の次元へと舞台が転じることだろう。
 「……順当に行けば、あとはフランツ殿下の即位、ということですかね」
 ならば、とモーリスは算段とめどをつけてゆく。
 ロスバッハで現王ジョナス陛下がお隠れ遊ばし、目下、コモンウェルスの王位は空位となっている。
 まずもって、この状況を解消することから始めなければならないだろう。
 「王位継承権の順序から行けば、現存する唯一の男系嫡子であるフランツ・ソブェスキ殿下が継承権第一位。それに次ぐのが、女系のヤーナ・ソブェスキ殿下ご自身。まぁ、法律からすれば間違いなくフランツ殿下でしょう」
 もっとも、とモーリスはそこで少しだけ苦笑する。
 「法律というのは、往々にして『守られない』わけでして。だからこそ執行者を必要とするのですよね」
 ヤーナ殿下は、法律上で唯一の有力な対抗馬だろう。そういう意味で彼女自身がフランツ殿下の王位へ挑戦しない限りにおいて、法の観点からみれば『フランツ殿下の王位』は事実上約束されたようなものだ。
 他の代替候補は、継承法の正統性から言って泡沫も同然。王位継承法と正統性の観点から見て、それはどう言い繕うとて揺らぎようがない。
 「さてさて、オペラというには少々滑稽に過ぎるオペレッタの主演たちがそこまで頭を回せるものでしょうか」
 嘲笑しかける彼の手元に届いているのは『某貴族』からの熱烈なラブレター。
 王位を諦められないとある貴族が、自身を支持するように叫びまくる書状の一つ。つまらない人間であるが、先王ジョナス陛下の婿の立場に我慢ならず、婿養子を称し始めたとか。
 まぁ、誤解を招く素地としてジョナス王が親し気にふるまいすぎた、という問題もあるのだろう。
 「ジョナス陛下にしてみれば、特に深い考えがあったわけではないのでしょうけれどもね? 蒔いた種は、刈り取らねば無責任というものでしょうに」
 モーリスの見るに、ジョナス王が可愛がっていたという時点で資質は察しが付く。
 ユニマール朝のアホ、ジョナス陛下の間抜けぶり、そして自意識過剰な幻想の世界にお住まいな青い血と称する猿。
 ところが驚いたことに、調べさせれば『破産寸前だった』はずの彼は資金を大量にばらまきながら、私兵まで集めているというではないか。
 「錬金術でもありますまいし、金など何処から生み出したものやら」
 猿回しにだって、猿を回すための人手と投資が必要なのだ。きっと、南の友人諸君が手厚く手配してくれているに違いない。となれば、彼らの期待するのは一寸した騒乱程度。
 お猿さんが王位をとろうが、とれまいが、興味はないはずだ。
 もし、本心から王位継承権争いへオルハン神権帝国が介入するつもりであれば、陰謀としての熟成度合いが薄すぎる。
 やはり、オペレッタとなることだろう。
 とはいえ、全く持って不愉快極まりないことに違いはない。南は、この、モーリス・オトラント辺境伯累代の所領があるというのに。
 「やれやれ、少しは勤勉に働きつつ趣味も楽しむことにしますか」
 全く、義務とは面倒なものだ。
 さりとて、遊びと本業を混同するわけにもなかなかいかない。
 塩梅が難しいとは、このことだろう。
 ならば、と彼はそこでほほ笑んでいた。
 「オペレッタを拝見するための席を抑えなければなりませんね」
 劇場のチケットというのは、きちんと手配しなければならない。最高に楽しい舞台をどうして、立ち見する必要があるだろうか。
 「ミッテルロージェに近しい位置を予約しなければ。やれやれ、人気の席ですからねぇ、私も手を回してみますか」
 仕事と楽しみは、両立されてしかるべきなのだから。

       ◇

 戦勝、国境部の暫定的な秩序回復、そして議会の開催。
 史書を書き連ねるのであれば、それで十分だろう。白馬金羈とばかりに壮麗な詩文として唄うにたる成果なのだ。
 歴史書の数行に要約されるであろう順当にして、誰もが納得するであろう流れ。
 『ヤーナ第三王女の輔弼を受けフランツ王が登極せり』という一文に至るには、しかして歴史書が往々にして省略する煩雑な思惑が入り乱れているものだ。
 そもそもとして、というべきだろう。
 コモンウェルスの王政は『選挙王政』なのである。セイムこそは王を選び、誰もが服する法を定め、諸外国との条約を認める主権者の議会だ。
 認められた権限は絶大であり、強大なセイムの同意なくしては王といえども課税も戦争も独自に始めることすら許されない。
 無論、例外的な措置を認めることはあり得るだろう。
 例えば直近の事例として国王戦死という異常事態を前に、茫然自失状態におちいっていた議会より臨時摂政位という方策でもって、ヤーナ殿下が指揮権をもぎ取っていた。
 その決断はなるほど、正しい結果をもたらすことができたのだろう。
 セイムは、適切に『委任』したとも言いえる。
 だが、そこでヤーナ・ソブェスキは完全に誤解していたのだろう。自分が乗り込んだ瞬間のセイムは、ただ大敗北によって『混乱』していたに過ぎず……本来は有能とまでは言えないにせよマトモな統治機構なのだろう、と。
 なにしろ、というべきだろうか。
 セイムへの信頼、セイムの実績、セイムの伝説はコモンウェルスという国家において一つの神話とすら化して久しいのだ。
 コモンウェルスにおいて、王と市民はセイムを通じての契約関係にある。
 形式の上ではさておき、実質において主権者たる市民の代表たるセイムと首脳としての国王という対比が適切であると語られるほどなのだ。
 故にコモンウェルスとは共和政であり、王政でもある一方でセイムという議会がすべてを輔弼してきていた。
 いうなれば、国王は君臨すれども統治せず。ヤーナの知る限りにおいてすら、議会ことセイムは有能な実務者として賞賛されて久しい。

       ◇

 故に、ヤーナは単純に事態を楽観していた。
 彼女の心境を語るならば、フランツが王様になること自体は仕方がないと納得してもいる。なにしろ(継承権下位の自分以外に)他の候補がいない以上、選択の余地はなし。
 とはいえ、だ。
 フランツの年齢は、わずかに9歳なのだ。どう考えても、政治を行うのは無理だろうという彼女の判断は妥当だろう。
 ということは、と彼女は考えたのだ。
 摂政として自分が名目上の儀礼職や形式的な権限を代行しつつ、統治ということについては議会が選ぶ宰相が仕事するであろうと。
 王権の過度な発揮を望むでもなく、ただただ、議会と強調しつつの穏健な政権運営を目指す方策。
 時代が時代であれば、あるいはセイムが建前通りに機能するのであれば、それでよかった。ヤーナにとって不幸なことは、彼女が中央政界との繋がりを完全に絶っていたという一事に尽きる。
 ヤーナ・ソブェスキは王族であるがセイムに議席はなかった。(なにしろ、政治に興味がないと宣言し、堂々と自領にひきこもっていたのだ。議席などあるはずがない。)
 故に彼女は、知らないのだ。
 セイムが、コモンウェルス最大の立法府にして統治機構が、どれほど制度疲労に陥っているのか、という事実を。いうなれば、セイムという議会の実態を知らぬがゆえにヤーナ・ソブェスキは完全に誤った見通しを抱いていたのだ。
 セイム議会の演説席にて『賢明なるセイム議員諸君、臨時セイム議会の開催を宣言する!』と告げた瞬間、彼女は皮肉に気が付くべきだったのだ。
 賢明なセイム議員という存在が、どれほど希少なのか、ということを。
 かくして、彼女の楽観とは裏腹に議論は紛糾し会議だけが躍る羽目になる。

 会議は踊る。
 されど、進まず。

 セイムの議事進行を表するならば、まさにその一言が相応しい。
 誰もが、責任を避けつつ自分の取り分を最大化しようとする究極のジレンマ。協力すれば、取り分が増えるとしても、抜け駆けされないという保証がどこにもないのだ。
 故に、多少先が読める人間がいたところで、じり貧が避けがたくある。
 それこそ、モーリスの知るセイムという愚か者の国際展示場の実情だ。
 故に、心底から彼は驚愕したものだ。
 「まさか、ヤーナ殿下がセイムの実情をあそこまでご存じないとは」
 ぽつり、と震える声でつぶやかざるを得ない。
 あれでは、オペラ座の内部構造も知らずに、脚本だけを書き上げるかのような無謀ことをヤーナ殿下はやられているも同然だ、と。
 「地方に隠遁していたとはいえ、知ろうと思えばいくらでもセイムという愚か者たちのオペレッタを眺める術はあったはず。やれやれ、ヤーナ殿下の政治嫌いは想像以上ですね。興味すら抱かれていないというのは、まんざらの嘘でもないらしい」
 それこそ、政治や権力闘争に興味があれば、政治というものを味見するぐらいは可能なだけの権威と権力が第三王女という地位にはある。
 が、どうやら……ヤーナ殿下が時折隠し切れず顔面に浮かべてしまう戸惑いや苛立ちからすると、どうやら、初体験ということらしい。
 モーリスにとっては新鮮極まりない発見だった。
 「やれやれ、あのお方は英邁な資質をお持ちのようであるが……陰謀家や政略家としては素質に乏しいようですねぇ」
 根回しや、細かい調整という部分ができないわけではないにせよ。
 面倒極まりないセイムという空間へ、本能的に嫌悪や苛立ちを覚えるタイプともなれば、ある意味ではジョナス王の血を引いているといえなくもない。
 だが……とモーリスはそこで苦笑するのだ。
 ジョナス王の場合、『自分の手に負えない厄介な連中』とセイムを認識しているのに対し、ヤーナ摂政は『なぜこんな自明のことも理解できない愚かな連中なのか』と瞠目しているというべきだろう。
 小さく見えるかもしれないが、決定的に異なる差異。
 ジョナス王が単に苦手意識を持っていたことに比較すれば、ヤーナ殿下のそれは、頭の良い人間が、往々にして陥る陥穽だろう。
 賢明な人間というのは、『愚か者』が存在することを理性や理屈の上で知っていても、なかなか現実として理解していないのだ。
 『幾なんでも、そんな馬鹿なことはしないだろう』というヒトの理性に対する過信。
 ふと気になり、いくばくか探りを入れた時点でモーリスは確信しえていた。
 調べてみれば、ヤーナ・ソブェスキという指揮官は戦略に卓越し、戦術面は部下にゆだねるタイプだった。
 大きな図面は描ける一方で、細かい実務を補佐する手足を必要としている。だからこそ、というべきだろう。優秀な人材をああまでも、集めようと頑張るわけである。
 そして、というべきか。
 「勝利を約束してくれる上司が、自分を信頼してゆだねてくれるともなれば……まぁ、あの方の下に優秀な人材が集うわけですねぇ」
 さぞかし、やりがいに富んだ職場というわけだ。
 苦笑しつつも、モーリスとしてはだからこそヤーナ閥とでもいうべき政治権力の主体が存在しないことを危うく思う。
 「強く、賢く、そして閥として満ち足りている、と。やれやれ、典型的な自己完結型封建領主の一派ですね」
 極端なことを言うならば、ヤーナ殿下とその指揮下の人間は『自己完結』してしまう組織機構なのだ。
 外部の閥と取引し、あるいは妥協するという必要性をこれまで学んできていない。
 「こんなことにでもならなければ、絶対に表舞台に立とうとしない性格。強いていうならば、有能な怠け者の典型ですかね、ヤーナ殿下は。故に、傍に集う人間もまた同類か、そのありかたを良しとしてしまう」
 近衛として傍に侍るアウグスト・チャルトリ騎士団長など、典型的な軍人だ。
 『職分』を遵守する優秀な手駒としては抜群なタイプであるにせよ、閥の政治を担当させるにはあまりにも不向き。
 一応、王領副宰相であるイグナティウス・ポトツキー老はこの辺の機微を理解してはいるのだろうが……ジョナス王に度々諫言をかまして疎まれていた経緯から、政界におけるルールこそ承知しても、好き好むタイプでもない。
 結論、ヤーナ殿下の閥はそもそも論として政治を得意としていない。
 「私以外の辺境伯らや軍人貴族と誼を通じるのも簡単なわけだ。政治をさほども好まれない面々にとってみれば、ある意味お仲間というわけですからねぇ」
 辛うじて、というべきか。
 辺境伯のように、否応なく政治に首を突っ込まざるを得ない立場の人間ともヤーナ殿下は先の出兵で縁を結んでいる。
 例えばイグナス女辺境伯、アッシュ辺境伯の二人。そして、中央政界にも一定の地位を占めるポルトツキー伯爵なども軽視はできない。
 けれども、というべきだろう。
 どいつもこいつも、モーリスからすれば政治音痴もよいところだ。
 モーリスの知る限りにおいてアッシュ辺境伯は完全な武人肌。それこそ、チャルトリ騎士団長の同類だ。ポルトツキー伯爵にしたところで、伯爵家そのものが尚武の家風と聞いている。代々の武官職で、しかも純軍事部門の合間に街道警備や巡回裁判に混じった程度。
 イグナス女辺境伯だけは、多少の政治手腕がないわけでもないのだろうが……どちらかというまでもなく、彼女のそれは『理想主義者』の『正論を掲げての政治理論』だ。
 老練ゆえに現実思考のポトツキー老と比するのもあれだろうが、ある意味では清濁併せ呑むことを嫌うという点で老の同類ということになる。
 「うわぁ……これは、また……」
 思わず、うめき声をこぼしたくなる程に面倒な事態が予想されてしまう。
 モーリスとて、遊ぶのは嫌いではない。だが、混乱で楽しみたいのであって、混沌に巻き込まれたいのではないのだ。
 現状、コモンウェルス政界は微妙な均衡の上に辛うじて成り立っている。機微を理解している第一人者が纏めてくれるのであれば、モーリスも遊びようがあっただろう。
 けれども寝技で合意を形成するなり、対立派閥との汚い交渉を行ってきたという経験がヤーナ殿下とその周辺にはない。
 なまじ、優秀なればこそ、その必要がなかったともいうべきなのかもしれないが……有能で狡い手段を必要とせず、楽しむ素質もないとなれば……浮世離れした選良共ということになる。
 機微を理解するどころの話ではない。
 この手の類は、個人差はあるにせよ権勢や地位に対する欲求が非常に鈍感だ。他者それを理解しえていないであろうことも、容易に察しが付く。
 ……根源的に地位への渇望、権勢への衝動が乏しい閥にして、有能な怠け者が頭。
 下手をすれば、当人たち自身すら閥の形成を自覚していないやもしれない。
 「ん?」
 ふと、モーリスはそこで自分の思考を再検証する必要に気づく。
 「……閥を形成しているかも、無自覚だとすれば?」
 閥として、地位を確保するという発想が、未成熟なのではないだろうか?
 「ふーむ、これは、案外と……私のポジションがあるかもしれませんね」
 ミッテルロージェに近い席をヤーナ殿下閥の人間がとらないのであれば。
 一つ、自分がお邪魔させてもらっても殿下は黙認ないし妥協することも期待できる。
 「ま、大丈夫でしょう。試金石としては、悪くない。試してみますか」
 仲間外れは寂しいですからねぇ。

 そして、とモーリスはさっそく行動に移っていた。
 なにしろ、言うではないか。
 『善は急げ』と。

       ◇

 コモンウェルスの宮中、王族の住まう一角を訪れてみればまぁ、とモーリスはあきれ顔で隣のポトツキー老へ視線を向ける。
 見てくれるな、と無言でそらされる老の顔に浮かぶのは苦渋のそれ。
 これはまた、傅役殿も随分と苦労されたことに違いない。
 「爺。また?」
 のほほーんという擬音が聞こえてきそうな声で、だらけている当人はこちらに視線すらよこそうはとしない。
 これが、ヤーナ殿下の地か。
 「いえ、本日はお客様がお見えです」 
 「客? って……」
 ごほん、というポトツキー老のせき込みにようやく気付いたのだろう。自分の顔を見るなり、げっ!? とばかりに顔面を歪ませてみせる。
 ああ、全く、脇が甘いことでいらっしゃるとモーリスは内心の可笑さを堪え、殊更に丁重な素振りで一礼して見せていた。
 もちろん、当てつけである。
 とはいえ単に趣味で当てつけを行っていた、というわけでもないのだが。自室で寛げるとは……余程後ろめたいことをしていない証左なのだろうとアタリをつけているのだ。
 ちと、うらやましいというヤッカミもキチンと込めておいた。
 ムスッとした反応もまた、なんとも楽しいものであるのだから。
 加えて言うならば、取り繕った表面を見せられるよりも余程ヤーナ殿下とその一党のありようを見ることができて幸いだった。
 「おお、うるわしい朝にございますな。殿下の親しげな笑顔をいただけるだけで、一日の活力が湧いてくる思いであります」
 なればこそ、確信と共にモーリスは最大限の笑みを浮かべつつ、再び一礼を示す。
 「……ああ、ありがとうね? で、用件は?」
 「摂政殿下、臣はこのたびセイムより宰相を拝命しました。さてさて、殿下のお力になることが出来ればとつとめてまいりますぞ」 
 軽くヤーナ殿下の表情が痙攣しかけたのは、また、なんとも感情の読みやすいこと。
 さすがに、摂政という地位からすれば、宰相という席を自分の手勢以外に抑えられれば面白くないぐらいはあるのだろうか?
 「殿下、差しつかえなければ……一つだけおうかがいしたいことが。……なぜ貴族たちにご芳情がないのでありましょうか?」
 故に、問う。
 政治に対するヤーナ殿下の感性を。
 「……モーリス? 芳情とはなんのこと?」
 「殿下をしたう忠実な臣下たちに、殿下からのお志をいただけないことでございます。……諸卿が気に病まれておいでですぞ?」
 「え?」 
 ぽかん、とばかりに零れ落ちるのは困惑の声?
 ちらりと部屋の隅で近侍しているポトツキー老に視線を向ければ、またしても、さっとそらされる始末。
 まさか、と軽い頭痛を堪えつつモーリスは言葉を重ねていた。
 「……殿下、言葉遊びがお気に召さぬならば申しあげましょう。ようは、賄賂です。賄賂。即位の支持を金で買ってください」
 王になる、ということはコモンウェルスにおいて『選挙に勝つ』と同義だ。
 古の時代、コモンウェルスの貴族たちが高潔さと英知を誇っていた時代であれば……『なりたい』人物ではなく、『推戴したい』人物が選ばれていたのだろう。
 今日では、王位継承権保持者の中から『セイムにとって都合の良い人物』が選ばれている。都合の良い人物になるのは簡単で、金貨を積み上げればだいたいは事足りる。
 逆説的に言えば、積み上げられた金貨が零れ落ちる音でもない限り、即位に賛成する拍手すら買えない始末。だからこそ、セイムの貴族たちはヤーナが買収を持ち掛けてこないことに困惑しているとモーリスは語らざるを得ない。
 そして、というべきか。
 「……議員達にフランツの即位を認めてくださいと金を払えってこと? じょ、じょ、冗談じゃないわ! いくらなんでも、馬鹿にしすぎ!」
 激発するヤーナを目の当たりにすれば、確信もできようというものだ。
 「ありえないでしょ? ふざけてるの?」
 「ふざけるなど、とてもとても。殿下、ご理解ください。フランツ殿下は、まだ王ではありません」 
 ヤーナ・ソブェスキは本心から驚き、そして怒りをあらわにしている。
 なんとも、初心なことではないか。
 ジョナス王の即位時すら、あの無能で偏屈なジョナス王ですら、ソブェスキ家の私財を総動員して莫大な金穀をばらまいた。当時の記録を読んだモーリスの感想としては、相場よりも随分と吹っ掛けられたらしい。
 おかげでセイムに苦手意識を抱いた、というのは穿ちすぎというわけでもないだろう。
 だからこそ、ソブェスキ王家はセイム対策に汲々としてきたのだ。
 その一門で最も有力な第一人者となっているヤーナ摂政が即位にかかわる必要経費というものを知らないとはセイムの議員たちには想像すらできなかったに違いない。
 なればこそ、モーリスですら意表を突かれていた。
 政治にかかわりながら、かくまでも全うな感覚を保てることを言祝ぐべきか、不勉強をなじるべきか、全く、迷える愉悦とはこのことだろう。
 「……お金ですむ問題であれば、さっさとすませるに限りませんか?」
 自身が口にしたのは、宥めすかすような言葉。
 「仮定として聞いておくわ。賄賂、断わった場合は?」
 ほう、と考えさせられたくなる言葉であった。
 反発なり、峻拒なりだろうとあてをつけていただけに、返されてきたのは予想外の言葉。
 『王位を買う』という選択肢のほかを模索するために『払わない』という選択肢が真剣な考慮の俎上に上ること自体が珍しい。
 「……失礼、少々考えさせていただいても?」
 「ええ、あなたの意見を聞かせて頂戴」
 「御意。では……」
 セイムの議員たちにしてみれば、王の即位時に『臨時収入』を得ることができるのはもはや伝統も同然なのだ。
 即位を認める引き換えの賄賂は、結構な額の収入だ。
 手に入らないとなれば、あてが外れたと騒ぐどころでは済まないだろう。即位時に、票を売るのは自分の権利だと信じて疑わないセイムの愚物どもから、利権を取り上げるも同然だ。猛反発は必須、と読まざるを得ない。
 その一方で、コモンウェルスが置かれている政治的な環境を考慮すれば……正統な王位継承者であるフランツ殿下の正統性に揺らぎはない。
 何時もであれば、『対立候補』が名乗りを上げうるだろうが……対立候補足りえるヤーナ殿下にその意思はない。したがって、票を買うために双方が賄賂をばらまき、賄賂費用が高騰するという本末転倒な事態は避けられるだろう。
 王位に興味津々の間抜けも居ないではないものの、継承法を完全に無視するわけにもいかない手前、セイムが彼を呼び出すことも難しい。
 故に、とモーリスは苦笑交じりに自身の推測を口にする。
 「そうですね、王位そのものは、かろうじて認められるでしょう。ですが、諸卿の反発は留まるところを知らぬかと」
 王位が長らく空位であることを良しとするわけにもいかないのだ。
 拒めるだけの理由がなければ、さしものセイムとて不承不承、フランツ殿下の登極は可決することだろう。
 とはいえ、理屈だけで納得できる人間のことを『できた人間』と呼ぶのは、往々にして納得できない愚者が多すぎるから。
 セイムの貴族らが、不本意な賛成票を投じさせられたと騒ぎ出せば……先にあるのは混沌だ。モーリスの読みでは、十に九は確実だろう。
 なにしろ、とモーリスは胸中で嗤う。
 「さすがに、殿下ほどの知性をおもちなればお分かりかと。ここで、揉めることになれば大惨事ではございませんか?」
 さすがに、現状でフランツ・ヤーナ陣営に挑みかかるという蛮勇を抱く愚者はいないにしても。フランツ王が、自分たちにとって都合が悪いとなれば『代わり』を模索し始める程度にセイムというのは愚かでもある。
 ……そして、コモンウェルスには『フランツ/ヤーナ』といったジョナス王直系以外にも、『代用品』足りえる程度にソブェスキ家と縁の深い連中もいないではないのだ。
 先ほどから気になっているジョナス王の婿殿とて、無理をすれば既成事実を積み上げて王位に挑みかかるぐらいはできるかもしれないのだから。
 「……ど、どこまでも人の足元をみる連中ということね!? ……私が、セイムの貴族たちに屈するか、屈しないか。つまるところ、貴方はそれが知りたいと?」
 「御意。貴族たちをどこまでも尊重するかどうかでございます」
 御意と頷きつつ、モーリスはちらり、とヤーナの表情に浮かんだ嫌悪の色を読み取っていた。ああ、と小さく口元を緩めながらモーリスは確信する。
 随分と、面白そうじゃないか。素敵な予感があるとは、このことだ。
 「さて、殿下のご存念やいかに? 貴族の意をくむのか、それとも敵対する覚悟があるのか。コモンウェルスの国王は市民によって推戴されるものです。その正統性はただ血統にのみ限るのではありませんぞ」 
 無限の王権は、市民の同意によってはじめて成立する。
 王位継承者とは、まだ王ではない。王となっていないのであれば、制約付きの無限の王権ですら、王位を継承するまでは発動しえない。
 故に、策謀の余地が残されている。
 策謀の余地が残されているということは、モーリスにとって遊び場が残されているということでもある。
 だからこそ、モーリスは知りたいと願うのだ。
 ヤーナ・ソブェスキ。
 この歪な才覚者がなにを思い、言葉を発するのだろうか、と。
 「難しい問題ね。とはいえ、決断も必要か」
 改めて、モーリスはヤーナの答えを待つ。
 「一度しか言わないわ。良く聞きなさい……『クソ喰らえ』よ」
 「殿下? よろしいのですか?」
 思わず、と。
 本当に、自然に。
 モーリスはぽかんとした表情で訊ねてしまっていた。
 「モーリス。私はね、セイムに期待していたの」
 それは、分かる。
 彼女は、ヤーナ殿下はセイムの実情を知らなかったのだろう。
 モーリス自身も推測をつけているのだ。
 なればこそ、セイムへ失望した、と語る声色の背後にある怒りも失望もある程度までならば理解はできる。
 「セイムの大人たちがフランツを助けてくれるだろう、と。……お礼だって、そのためならばいくらでもしたわ。でも、それは順序が逆」
 ヤーナの目を見つめれば、揺るぎはなし。
 「フランツを助けもせず、危機にあっては傍観し、そして金の無心?」
 瞳に映っているのは怒りと侮蔑の色。
  「セイムという議会はクソの塊よ。期待するだけ、無駄と理解したの」
 だが、とそこでモーリスは困惑する。政治的生き物として、せざるを得ない。
 今迄羅列された言葉は、随分と率直にして直截な本音だろう。
 結構なことだ。
 それこそが、知りたかったことでもあるのだから……自分に不都合はない。けれども何故、彼女は『股肱の臣下』でもない自分へこのようなことを口にするのだ?
 「貴族って、どこまでも自分本位なのよね? 私の大切なフランツのことを、どれぐらい真剣に考えてくれるかしら」
 「殿下、青い理想論でございますか? われわれとて、コモンウェルスのことを思っておりますぞ」 
 咄嗟に舌を動かし、空疎な建前でヤーナの言葉を遮らざるをえないほど、モーリスは困惑していた。
 ヤーナより、信を置かれるいわれが自分にないことは、モーリスとて理解している。
 これまでの経緯からすれば、むしろ警戒されているほうが自然だろう。それが順当というものだ。許されるならば、声を大にして問いたいほどである。
 何故、それを私が聞かされるのですか、と。
 「建前はいいの。本音で話すわ。それとも、あなたは『議会の知性とやらを信じている』の?」
 「……フランツ殿下に、不本意な思いなどさせたくないというヤーナ殿下のお気持ち。臣はよくよく理解いたしました。ですが……よろしいのですかな? セイムを信頼しないのであれば、行き着くところは非常に限られますが」
 なればこそ、モーリスは困惑をぬぐえぬままに言葉を重ねる。
 自分がヤーナ殿下の信を得ようと美辞麗句を連ね、懐に入り込んでいるのであればほくそ笑むこともできようが……直截な会話を交わすべき前提もない状況で親しくされれば戸惑いは恐怖にすら転化しうる。
 「王権の強化。貴族のわがままを許さないだけの権限を強化、あとはそうね、弱体な中央政府を強化するのだから……嫌われるんじゃないかしら?」
 ……そこまで理解しているならば、という一言を飲み込むのも簡単ではない。
 辛うじて自制したモーリスは、さらなる言葉が続けられるまで固唾を飲んで待つしかないのだ。
 「叛乱も時間の問題かしらね。でも、モーリス。一つだけメリットがあるわ」
 メリット、とつぶやく彼女は明日のランチを語るかのような気軽さだった。
 「主導するのは、私。フランツじゃないの。フランツはすごくいい子だし、頭も悪くない。だけど、誰が見ても9歳児に決定権なんてないわ」
 だからこそ、異常だ。
 モーリスをして、咄嗟には理解しえない理論。
 いや、気高い自己犠牲の精神とでも説明すればある程度までは理屈を付けられなくもない。ヤーナ摂政殿下がどのようにお思いであれど、世間一般では確かにフランツ王子をヤーナ殿下の傀儡とみなすことだろう。
 それは、道理だ。
 「君側の奸を除き王室の難を靖んずると名分がある。負けるつもりはない、でも、私が負けてもフランツは助かる見こみがある。なら、私は姉としてあの子の障害物を壊しておくの。理解できた?」
 理解できるし、非常に納得もできる理屈ですらある。だが、とモーリスとしては心中で壮絶に混乱せざるを得ない。
 やはりたった一つだけ、どうしても確認しておきたかった。
 「……殿下、なぜ、それを私に?」
 「はっ、面倒な男! 口に出さないと分からない? あなたのことだから、どうせ察しがついているでしょ?」
 困ったことに、とモーリスは心中で苦笑して見せる。
 実は、『わからない』のだ。
 「さてさて、なんとも。ですが……戦乱をのぞまれるのですね? 下手をせずとも、内乱ですが」 
 「あなたは、のぞまないの?」
 「無論のこと、のぞんでおりませんぞ。臣は、平和を愛するものですので。ですが、臣は王意にまつろうもの。御意を奉じるまでであります」
 作りものの笑顔を張り付け、無意味な言葉を重ねつつモーリスは懸命に思考する。
 なぜ、と問う疑念。
 けれども欲の薄い人間の目的を読むのは、いつだって難しい。
 「口元のにやつきさえなければ、信じそうになる言葉ね。結構、では、戦争の準備を始めましょう」 
 ぼつり、とそこで重ねられるのは決意だろうか。
 「……面倒ごとというのは、一瞬で片づけてしまうに限る」
 「それもずいぶんと率直なご意見です。……臣を信用なさるので?」
 「いえ、まったく。だけど、あなたは勝ち目がない私にえんえんと助言を垂れるほど善良?」
 「……おみそれいたしました。では、楽しむことといたしますか」
 
       ◇

 何時になく強硬な王家の姿勢で危ぶまれていたにせよ、だ。他に適切な候補者がなく、軍権そのものを王家が掌握している戦時である。
 当選そのものは、つつがなくというのが大枠の予想であり、モーリスの読みとも変わらない。フランツ第四王子の当選そのものは確定していた。
 もっとも、波乱なく選挙戦を戦い抜きたいのであれば賄賂はやはり必要不可欠。
 なればこそ、モーリスが『裏工作』を一切行わずに成り行き任せの投票を議事進行役として告げた瞬間に、セイムの議員たちが『自分以外が賄賂をもらっているのではないか』と疑心暗鬼の色を浮かべるさもしい様は見ていて楽しめた。
 つまらない儀礼に、恭しい表情のまま参列するちょっとした役得とはこのことだろう。こんな慎まやかな程度の喜びでも、無いよりはましである。
 「セイムの選挙結果をお伝えいたします。皆様、セイムは厳正にして公正なる信任投票の結果……」
 さて、どうなることやらと思いつつ、彼は結果を口にする。
 「フランツ・ソブェスキ殿下を、コモンウェルス王に推戴いたします! 市民諸君、陛下に忠誠を!」 
 宰相である自分が選挙結果を読み上げると同時に、列席した貴族らがそろって頭を垂れる光景は宮廷画家が壮麗に描いてくれることだろう。
 できることならば、とモーリスは出来ぬこととは分かって居れども願うてしまうのだ。渋面をかみしめている連中の表情を、画家がどうにかして残してくれれば楽しいだが、と。
 かくして、王として初勅を告げることになるフランツ王の治世が形式的には始められる。
 「朕は、ここに王権の発動を宣言する!」
 王権の始動を告げる幼王の宣旨。
 「全市民の信頼と信託に対し、朕は誠実かつ熱意をもって取り組む」
 伝統の一節を口にするフランツ王の所作は、気負いとは無縁のそれ。
 けれども、フランツ王が気負いなく口にしたのは爆弾の投下にも相当する衝撃的な文面でもある。
 「朕は法を尊重しよう。王国の全住民よ、諸君は朕と同じく法の前に平等である。厳格な法と市民的自由と義務の履行を朕は諸君に求めたい」
 本来ならば、それは次のような契約の文面でなければならない。
 『もし朕が法、自由、特権、慣習に反することがあれば、王国の全住民は朕に対する忠誠義務を解除されるだろう』と、王権を制約するべき宣言。
 それを、フランツ王が放つ初勅は含んでいない。
 コモンウェルスの貴族らにとって、それがどれほど衝撃的かはざわめき始めているセイム議場に立ちこめ始めている不穏さを見れば一目瞭然だろう。
 だが、大仕事をやり終えたとばかりにテトテトと壇上から降りていく幼い王の背にそれを理解しているという様子もうかがえない。
 あるいは、とモーリスはふと愚考してしまう。
 ヤーナ摂政殿下に置かれては、『フランツ陛下』に何一つとして事前知識を持たせることなく、即位の辞を記した原稿を与えたのではないだろうか。
 そうでもなければ、とモーリスは垂れた頭の下で苦笑する。
 事の重大さをわかっていれば、あの素直な子供がこうまでも躊躇いなく口にできる文面ではないのだが。
 とはいえ、とモーリスとしても楽しい、全くもって楽しいシーズンの到来を確信しえる。
 『もし朕が法、自由、特権、慣習に反することがあれば、王国の全住民は朕に対する忠誠義務を解除されるだろう』との一文を欠いたフランツ・ソブェスキの即位宣言は衝撃を全列席者にもたらすものだ。
 すでに、不穏の種は蒔かれている。
 フランツ王の即位宣言はセイムへの心づくしが欠けていたことと相まって、『貴族の慣習的権利』を取り上げるおつもりだ、という著しい憤激を引き起こすに違いない。
 公然と不満が語られる穏やかならぬ雰囲気の中で、フランツ・ソブェスキは即位を果たす。
 彼の治世がどうなるのか。
 それは、モーリスにとって先行きが楽しみな謎である。
 
       ◇

 あるいは、なればこそ、というべきか。
 彼は、自室でぽつり、と不満げにつぶやく。
 「……さて、またラブレターですかね。気持ち悪い手紙なことで」
 先立ってのセイムでフランツ王の即位が支持されたというのに。
 相変わらず、自分こそが正統なコモンウェルスの王位継承者だと称するお手紙を親しくいただく身ともなれば、身の振り方を考えなければならないところだ。
 モーリスとしてみれば、セイムでよい席をとったのは笑い転げるためであり、誰かの後始末をするためではない。
 所領のある南方に基盤を持つ大貴族が、馬鹿げた妄念に突き動かされるとあらば……仕事が増えて仕方がないではないか。
 「とはいえ、お手紙を一方的にいただくのもあれだ。お返事を書くのは、人間としての礼儀でしょうね」
 しぶしぶ、という態で『諫める』手紙を書くべく羽ペンに手を伸ばしかけたところでモーリスは暫し黙考する。
 普段であれば、遊ぶことも考えるのだろうに。
 「なぜ、『制止』しようとおもったのですかね?」
 ぽつり、と自問すれば答えも自ずと明らかになる。
 「面白さを感じない? なるほど、興味の対象が移っている、と」
 まぁ、無理もない。不思議の塊を見ている方が、愚者の愚かさを嗤うよりも遥かに健康的というものだ。
 ハタと気づくのは、その瞬間だった。
 「猿回しの猿、私は楽しめませんけれどもね? 殿下や陛下はお楽しみくださいますかね? ふーむ、忠実なる王家の臣下として、ちょっとしたご奉公というのも悪くはないでしょう」
 であるならば、とモーリスは書きかけていた手紙を焼き捨て、空疎な美辞麗句だけを書き連ねた時候の挨拶文を書き上げる。
 無意味に壮麗にして、無意味に荘厳な文。クルクルと巻いて、封緘のために封蝋を押せば雰囲気も抜群だ。
 往々にして、愚か者は中身まで理解できないので『文が帰ってきた』という事実だけで飛び上がって軽率な行動に出てくれることだろう。
 「おっと、臣下の家族をヴァヴェルに招いておかねば。まぁ、フランツ陛下の即位を記念し忠誠を改めて、という名目か何かでいいでしょうね」
 誰か、所領に心得たるものを配置することも怠れない。
 ヤーナ殿下の動向を観察するうえでも、戦地での振る舞いや統治手腕というのは情報がいくらあっても多すぎるということはない。
 けれども、というべきだろうか。
 モーリスとしてみれば、まったく楽しくない『仕事』でしかなかった。
 「やれやれ、やはり絵は自分で描くに限りますね。よそ様の下絵をなぞるばかりでは、ちっとも面白くない。おもちゃを与えられて喜ぶ子供ではないのですよね。遊び、というのは遊び相手がいてこそだというのに」
 陰謀、謎、分からないこと、遊び相手。
 それらはすべて、自分で見つけてこそだ。楽しそうに遊んでいる面々の遊び場に混ざったところで、同じように楽しめるという保証はない。
 悲しいかな、王位を僭称せんとする愚物程度では、モーリスの趣向に叶いそうにもないのだ。
 「しかし、まぁ、仕方がない。この好機に、少し、仕事をしておくことにしますか」
 セイム内部に、それとなく風説を流して……自分が『ヤーナ殿下閥』だという認識を蔓延させておくことにしよう。
 せいぜい、自分の地歩固めに使おうじゃないか。
 「やれやれ、おっと、ため息は幸せを遠ざけるといいますがね。勤勉に過ぎるのも考え物、ということですかねぇ。私も、無責任に生きていければ楽しいのでしょうけれども」
 どいつもこいつも、目先のことすら見落とすセイムの中で綱渡り。
 酔っ払いがフラフラとさまよっているようなもので、まともな人間にしてみれば、まっすぐ歩くだけでも簡単ではない。
 「憂いあればこそ、楽しみもあり、とでも思わねば。さてさて、オペレッタというにはちと演者も演目も凡も凡ではありますがね。踊りたという愚か者が躍るぐらいは応援して差し上げますか」
 笑えると、楽しいのですけれど、どうですかねぇ……と嘆息したいほどにつまらない演目と演者。期待しない方が、良さそうであった。
 
   
第三章『宮中異変』に続く!

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