■ 画像付きの提供元サイトで全文を読む ■


私は、赤ちゃんの時から、先天性の「そばかす」が、両頬にありました。

それも、とくに目立つ大きなものがたくさん。でも幼い頃は、母に「キャンディキャンディ」の主人公のようで可愛いと言われて、そばかすがあることをうれしく思っていました。

テーマソングの「そばかすなんて気にしないわ♪」の部分を、何度も口ずさんでいたことを、今でも懐かしく思い出します。

でも、成長とともに、どうして私にだけ、こんなにそばかすがあるのだろうかと、疑問に思うようになりました。

そばかすを嫌いになったきっかけとは

小学校の高学年になると、女子と男子はまるっきり別れて遊ぶようになりました。

ある日、仲の良い女の子から、放課後に残って一緒に遊ぼうと誘われました。

そこには苦手な男子も来るというので憂鬱でしたが、渋々、皆でバスケットをして遊んでいました。

そのうち、男子生徒のひとりが

「あだ名をつけて呼び合おう!」

と言い出しました。

「やろう、やろう!」と盛り上がり、順番にあだ名をつけていくことになりました。

「あやこ」という名前の友だちは「あやっぺ」、「しんいち」という名前の友達は「しんちゃん」というように、一人ひとりに、名前をもじったあだ名をつけ合っていきました。

いよいよ、次は私の順番。どんなあだ名がつけられるのかと、ドキドキ緊張していると、隣にいた男の子が

「顔に黒いぶつぶつがあるから、ブツブツにしよう!」

と言い出したのです。

女の子達は「そんなの可哀想だよ」

と言ってくれましたが、男子たちは、爆笑しながら

「ブツブツかぁ、面白い~!」

と、ひたすら私のあだ名を叫びながら、笑っていました。

私は、その場にいることが、辛くなり

「私、先帰るね」

といって、その場を後にしました。

家に帰ると、母に優しく「おかえり」と言われましたが、私は泣きそうになっていて、居てもたってもいられない状態だったので、母にちゃんと挨拶もせずに、自分の部屋に行きました。

部屋に入ると同時に、涙が溢れ出てきました。

何時間が経ったでしょうか。

ごはんさえ喉を通らず、晩ごはんを抜いて、ただ、その日は泣き続けました。

それまでの人生の中で、一度も自分のそばかすのことを、嫌だと思ったことはありませんでしたが、この日から、自分のそばかすが大嫌いになりました。

子どもは残酷です。

悪気がなくても、思ったことを正直に口にします。

次の日から、中学校を卒業するまで、私は、一部の男子生徒たちから「ブツブツ」と呼ばれ続けました。

しかも中学生になると、さらに最悪の事態が待ち受けていました。

私の「ブツブツ」というあだ名が、同じ小学校の同級生の男子たちから次々と広まり、ついには、学年の違う先輩からも呼ばれるようになりました。

このことがきっかけで、女子からもいじめられるようになり、中学一年生の二学期に入ってからは、学校を休みがちになりました。

学校を休むときは、必ず体がしんどいと言って仮病を使って休みました。

母はきっと私が嘘をついていることを分かっていたと思いますが、本当の理由を、無理矢理、聞くことはありませんでした。

そっと、私のことを見守ってくれていた母の優しさに、今となっては感謝の気持ちでいっぱいです。

そのころは、親に自分がいじめられている事実を、話したくありませんでした。

心配をかけたくない思いと、母を傷つけたくないという思いが強かったからです。

前向きな気持ちになれた日には学校へ行き、無視されたり嫌なことをされたりして辛いことが続くと休む、という日々を繰り返し、それでも何とか中学校を卒業することができました。

自己判断が招いた最悪のケース

-- 続きを読む --