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それは、私が小学校低学年のときでした。
学校で、いつものように授業を受けていた私は、突然職員室に呼び出されました。
職員室に行くと、担任の先生がとても悲しい表情で「お父さんが事故に遭って、今からお母さんが迎えに来るから、急いで帰る支度をしてきてね」と、私に優しく語りかけました。
わけがわからないまま、帰る準備をしていると、母が迎えに来てくれました。
そのとき、同じ小学校に通っていたひとつ上の兄と共に、母に連れられて、急いで病院へ行きました。
病院に着くと、父はすでに息を引き取っており、冷たくなっていました。
幼かった私ですが、父と二度と会えないことだけは理解でき、その場で泣き続けたことを今でも鮮明に覚えています。
その後、母の地元へ、母と兄とともに、3人で引っ越しをしました。仲のよかった友人達との突然の別れがとても辛かったです。
新しい小学校で待ち受けていたいじめ
新しい小学校は、都会の栄えたところにあり、前の小学校よりも、クラスも、一教室当たりの人数も多かったんです。
転校生として紹介されたとき、あまりの人数の多さに、ガチガチでどもってしまったことを今でも覚えています。
これが「あがり症」の症状の始まりだったのかもしれません。
クラスも歓迎モードではなかったのだと、今、振り返ってみると思います。
いきなり隣の席の男の子から「お前、お父さん、いないだろう」と、からかわれたり、小学校指定の黄色い帽子を水たまりに落とされたり、ランドセルを引っ張られたり……。毎日、泣きながら家に帰る日々でした。
黄色い帽子が濡れて帰ってきたとき、母は、その異変に気付き、どうして濡れているのかを私に聞きました。
正直に本当のことを話すと、母は、仕事で忙しいなか、合間を縫って学校へ出向き、担任の先生に私の帽子の件について、話をしにいきました。
次の日に学校へ行くと、帽子を捨てた子たちに、揃って「ごめんなさい」と謝られました。
いじめを克服して、リーダーシップを発揮するように
母のおかげで、それからはいじめられることはなくなり、友人も少しずつできるようになりました。
引っ越す前から、私たち家族のことを、親たちが子どもに言い聞かせていたことが、いじめにつながったようです。
それでも、正義感の強い母は、私たち兄弟に「いじめられたとしても、人を恨んだり、同じようにいじめ返したりすることは絶対にしてはいけない」と、言い聞かせました。
そんな母の姿を見ているうちに、私自身も正義感が強い子どもに。
いじめられている子がいれば、いじめっこに対して「いじめはいけない」と言う、仲のいい友人同士の「交換日記」に、「嫌いな人ランキング」が書かれていると、それを担任の先生にいけないことだと直訴して、学級会で話し合いをして解決する……そんな正義感に満ち溢れた性格へと成長していきました。
次第に周囲はたくさんの友人で囲まれ、小学校高学年のときには、学校を代表する生徒会長に選出されました。
そして生徒会長に選ばれて、初めて挨拶するときのことです。
全校生徒を目の前にした瞬間、今までに味わったことのないほど心臓がバクバクして、暑いわけではないのに、手や額から、汗がにじみ出てとまりませんでした。
挨拶するひと言めのセリフ「皆さん」という、たった4文字の言葉が、うまく出てこない……。
クスクスと前列の人たちに笑われていたのは覚えていますが、そのほかの記憶はまったくありません。
それから、毎週の朝礼で挨拶をするとき、毎回、どもってしまうようになりました。とうとう緊張やプレッシャーに押しつぶされて、学校も休みがちに。
仕事で忙しい母には心配をかけたくないという思いから、学校であったことは、一切話さなくなりました。
中学時代は症状の悪化が進んだ暗黒時代
中学生になると、ますます症状は悪化していきました。
たとえば、教科書の本読みは必ずどもってしまい、過呼吸のような荒い呼吸なって、まともに話すことができませんでした。
周囲からはクスクスと笑われ、泣きそうになりながらも、必死に最後まで読んでいました。
担任の先生に、何度か相談しましたが、私だけ特別扱いはできないという理由から、本読みを避けることはできず、辛い日々を送っていました。
音楽の授業でひとりずつリコーダーのテストをするとき、緊張しすぎて震えてしまい、まともに吹くことができません。
おかげでいつまでたってもテストに合格しませんでした。放課後に泣きながら居残り練習をしていました。
そのうち、「あいつは声が震えてる」などと、陰口を言われるようになり、周囲から距離を置かれるようになりました。
やがて友人はひとりもいなくなり、クラス全体のいじめの対象になっていました。
学校へは、恐怖で行けなくなりました。中学2年の2学期には、ほとんど投稿していなかったと思います。
心配した母は、しきりに、私に学校を休む理由について聞いてきました。
正直に話すことを恥ずかしいと思っていた私は、学校でのいじめのことを一切話しませんでした。
当時の私は、自分が大嫌いで、どうしようもない自分への苛立ちを、母にぶつけ「うるさい。黙れ」などと、ひどい暴言を吐くこともありました。
それでも前向きな母は、私を学校へ行かせたい一心で、私のクラスメートに連絡を取っては、会って学校へ行かない理由を聞いていたようです。
もちろん、誰も私がクラス全員からいじめられているということを、正直に話す人はいませんでした。
父の死をきっかけにどもりを発症。いじめられ続けた私の半生[体験談](2/2)に続きます。
written by nakayama00000