子どもの肌ってとてもキメが細かくてキレイですよね。私もそうでした。

でも中学生になったっころ、ある朝起きたらほっぺたに赤いできものが……。そうです、これが初めてのニキビとの出会いでした。

親は「ニキビができる年頃になったんだね」となんだか普通な様子だったので、私も軽く考えていました。

実際に中学時代、高校時代は運動系の部活に所属していたこともあって、汗をかくたびに洗顔をしていからでしょうか。ニキビは、ポツポツとできてはいましたが、そんなに悩むほどではありませんでした。

自分でも一過性のものとして楽観視していたと思います。

ところが、それから4年後、私の顔はとんでもないことになっていたのです。

21歳にして顔中がニキビだらけに

年齢にして21歳のころでしょうか。

お化粧をすることが多くなったのも原因だったのでしょう、ニキビがひとつ、ふたつとできていくペースがとにかく速くなりはじめ、顔中ニキビだらけになってしまったのです。

私はそのころ、就職をして働いていたので、毎日お化粧をしていました。

しかも、「とりあえず、ファンデーションで隠してしまえばいいや」という安易な考えで、ファンデーションを厚塗りしてしまっていたのです。

当時は今のようにクリーム状のファンデーションはあまりなかったこともありますが、成分も考えず流行のファンデーションをファッション感覚で使っていたことも、ニキビの悪化の原因かもしれません。

また、今思うと社会に出て楽しくて仕事の後に友達と遊ぶことがかなり多かったのも原因のひとつだったのでしょう。

ニキビの芯を無理に出したせいでさらに悪化

あまりにニキビがひどくなってきたので、さすがに母が心配になったらしく知り合いに相談。

その知り合いの人は、薬局勤めをしており、ニキビ肌の相談もよく請け負っているそう。

母の知り合い、薬局の人、肌の相談を請け負っている……、この3点が揃っていたら迷うことはありません。

藁にもすがる思いで……というよりこれなら治ると思い込んでその知り合いのもとへ通いました。

そこでは、先の細くなったガラス管でニキビひとつひとつの芯を抜いてもらっていました。

しかし、これはかえって悪い結果を招きました。

毎週土曜日に通っていましたが、痛みもさることながら終わると顔中血だらけで日曜日など外へ出かけるなんてまったくできなくなってしまいました。

日曜日、丸1日時間があるということでなんとかかさぶたにはなるのですが、化粧はできる状態ではありませんでしたし、する気にもなりませんでした。

平日は仕事がありましたが、すっぴんで出社していました。当時はほとんどが男性という会社の事務職をしていたので、男性社員によく、「どうしたの、その肌?」と聞かれてとても困惑したことが何度もありました。

とにかく、そのころは誰にも会いたくなくできることなら引きこもっていたいという気持ちでいっぱいでした。

それでも、治ると思い3か月ほど通いましたが、あまりによくならないのと肌が心配になって通うのをやめてしまったのです。

そのころ、はじめて自分の母も若いころはニキビに悩まされていたことを聞かされ「遺伝なんだ」と失望してしまいました。

自分の周りの友人や同僚はみんなニキビがない肌で、キレイにお化粧をしているのを見ると「なんで、私だけこんな肌質なの? 親の悪いところだけ遺伝してしまったの?」と落ち込む日々でした。

母の言葉がきっかけに

ニキビに悩みながらも日々は過ぎていったのですが、仕事にも慣れ新人ではなくなり仕事の量も増えてきました。

残業も多くなり、ふさぎ込みな私に気分転換だと友人が趣味で歌をすすめてくれたこともあって休日は趣味のために出かけていました。

ただ、あまりにハードな毎日で睡眠不足も重なっていました。

ある日、母が「もう少し身体を休めなさい」と心配してひと言。

たしかに、身体は疲れ切っていたし、ニキビはどんどんひどくなっていたので、すこし生活を改善することにしたのです。

もういや。どうしてこんな肌質に生まれてきたの? ニキビとの果てしなき戦い[体験談](1/2)に続きます。

written by kujyaku

提供元サイト